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2020年06月04日

私たち夫婦の最後の海外旅行先はホノルルか?台湾か?

私が管理人を務める、定年からの海外ロングステイサイトの掲示板(BBS)は、先週土曜日のNHKドラマ「路(ルウ)〜台湾エクスプレス 」
で盛り上がりました。

この定年後の過ごし方&海外ロングステイサイトの読者のほとんどは、私と同じ世代層ですから、技術系の海外進出のストーリー、それも舞台は日本と距離的にも、社会生活環境・様式・道徳観が同じで世界一親日的な台湾、プラス主演女優は、オジサン世代に大うけの、賢そうで清楚系、何とか手を延ばせば届きそうな美人女優系の「波留」ですから、これはヒットします。
3週連続の放映で、掲示板には台湾通の皆さんの投稿で賑わいました。
https://www.kikuya-rental.com/bbs/?owner_name=2438

私もこの台湾好きの一人として、掲示板での会話・交流に参加しました。
そのなかで、ふと漏らしたのは、最後の海外旅行の行き先の話です。
私は55才で退職し、10年後の65才の時にパスポートを更新せずに海外旅行を打ち止め、卒業しました。
一番大きな理由は、病気です。
65才の時に、私が胆管結石の発作を経験してからは、あれほど、世界の僻地を一緒に旅して来た看護職のカミサンは怖がって海外は中止です。
日本にいたからからこそ、初めての胆石発作に対応できましたが、あれが海外だったらと思うと、確かに、幾ら海外旅行保険があっても、旅行どころではなく、言葉も出来ない、海外での、ましてや個人自由旅行ではパニックに陥っていたことでしょう。
あれから7年、時々鳩尾にシクシクとした痛みがありますが、頓服の痛み緩和薬や、毎日飲む胆石が出来にくい薬の服用で国内旅行はOKです。

このドラマを見終わってカミサンと話しました。
胆石も落ち着き、慣れてきたけど、若し、最後の海外旅行に行くとしたら何処へ行きたいと、カミサンに尋ねると「ワイキキ・ホノルル」という答えが即座に戻って参りました。
うーん、確かに・・・私たちの最後の海外旅行はホノルル・ワイキキの何時もの定宿での9日間の滞在でした。
年に2~3回滞在する定宿(パジェットホテル・アンバサダー)のフロントは顔なじみで、「well come back」と笑顔で迎えてくれます。
豪華ではないものの、部屋も広く、リーズナブルな値段の宿でしたが、アジアの富裕層が多くハワイに来るようになってから、徐々にこのホテルも変化し、ついには中国本土資本が入り、フロントは中国本土の客で混み始め、数年前の1.5倍にまで値上げになりました。
そこに「テルミークラブ」の破綻が追い打ちをかけ、私たちの海外は終わり、国内へと切り替わったのです。
確かに、ホノルル・ワイキキは、安心して歩けます、毎日朝のルーティンとして運河沿いを歩き、ABCマートで朝食用のサンドイッチと果物・コーヒーを買ってカピオラニ公園のベンチで海を見ながら過ごす朝と、昼寝をし、午後はモアナサーフライダーのベンチで町ゆく人を眺め、夕方、西に沈む夕日を見てからワイキキのウィンドショッピングしながらホテルに戻ると云う、毎日同じ生活・滞在に満足していたあの頃。
最後のワイキキなら、ホテルは今までの倍以上の値段を払えるけど・・・

でも、私は最後の海外旅行なら、台湾へ行きたい。
台湾は、ホノルルと違った意味で安心して歩ける街です。
同じアジア人と云っても、中国本土、韓国、タイ、インドネシア・バリとは違う、同じ価値観・道徳観・社会常識を感じます。
私が初めて台湾を訪れたのは1985年、37才の時、現場の同い年3人組で初めての台湾でした。
この土曜ドラマ「路(ルウ)〜台湾エクスプレス 」で主人公の女性「波留」は現地の男性に道を聞いたことをきっかけに知り合い、1日バイクで台湾の町を案内してもらったのが物語の、そして台湾が好きになるスタートでした。
私たち30半ばの日本人の3人は、観光ルートを嫌い、自分たちの足で歩くスタイルを選択しました。
故宮博物館から市内に戻るバス停を探している時に、英語が解りそうな雰囲気を持つテニスウェアの男性を見つけ、バスについて尋ねました。
彼は英語も話せるし、共通漢字筆談でもコミュニケーションがとれました。
バスで巡るより、自分は車でここのテニスコートに来ているので、市内にまで送ってくれるとと云うのです。
海外では良くあるケースの、案内するよ・・、買い物をここが安いよ・・、最後にガイド料を・・・とは違うのは解りました。
友人のお茶さんとか、台北で人気のお菓子屋さんとか、夕方まで一緒に過ごし、極々普通の台湾の生活、台湾人を知り、とても好感を持ちました。
翌朝、ホテルのロビーに前日の彼がいました。
どうしたのかと聞くと、台湾のテレビニュースで日本で飛行機が落ちて、大変な事故となっている、知っているか?と心配して来てくれたのです。
1985、日航、御巣鷹事故でした
昨日、数時間一緒に過ごした日本人を心配してわざわざ知らせてくれた台湾人の心根にいたく心を動かされ、その後の阪神大震災や、東日本大震災での台湾からの素早い、膨大な寄付・援助もあり、私は台湾が好きになりました。
その後何回か、カミサンと二人の台湾個人旅行へ行くたびに、台湾の一般の方から親切にされました。
日本人と同じ感情です、自分たちの国に来てくれた外国人が困っていそうなら、助けてあげるのは当然と云う感情です。
その後、何回か、カミサンと二人で、自由個人旅行を繰り返してまいりました。
やがて、台湾をはじめアジア諸国の経済発展により、中産階級が育ち、LCCの発展で多くのアジア系観光客が日本に記観光客としてくるようになりました。

昨年の春、熱海駅でアジア人女性親子から話かけられました。
パンフレットの熱海緋寒桜の写真を指差して、此処へ行くにはどうやって行くか、カタコトの英語でした。
服装・持ち物・化粧から台湾かなと思って聞くとやはり台湾の方でした。
バスで行くよりも、まっすぐ坂道を下っていけば、桜まつりの会場ですからと教えると、私の持っているビニール傘は何処で売っているか聞いてきました。
この日は急な雨で私たちも、先ほど駅ナカで300円で買ってきたものです。
しかし、今は今晩泊るホテルの送迎を待っているので、傘はもういらない、邪魔だったので、このお二人にプレゼントすることにしました。
すると、このお二人猛然と遠慮するのです、私は理由を英語で、ホテルの送迎バスがあるので、傘は不要、それに安いものだし、明日は晴れるし。
ようやく、納得してお二人は傘を受け取り、そして私に送迎バスは何時に来るのかと尋ねました。
すると、英語が話せない母親は一人慌てて、娘さんをおき、駅ナカに行き、手には缶コーヒーとお饅頭を買って戻ってきました。
傘のお礼だと云うのです。さすが、台湾人は違うと、改めてこの時に思いました。

こんな感情を持てるのは、来日外国籍観光客全てかと云うと、それは違います。
ある時、東京秋葉原で困っていそうな二人カップルがスペイン語で話していました。
私は、何かお困りですか?、お手伝いが必要ですか?と声をかけると、「東南アジアの物売り・ガイド」ずれしているのでしょう、「No」の一言あっちへ行け、の態度です。おそらく彼ら二人は、母国から中東・インド・アジア・中国を渡って、東の端の国、日本にたどり着いたばかりだったのでしよう。

私は、最上級の丁寧・上品なスペイン語で、「困ったことがあったら日本の場合「ポリスボックス」或いは「高級ホテル」へ行きなさい。
日本人はシャイで、英語が苦手だけど、少なくても知らない事は知らない、と云うし、インドや中東と違って平気で嘘は教えないから」と云い別れようとすると、「カスティージャ訛りのスペイン語ですが何処で習いましたか?」と今度は丁寧に聞いてきました。

会話するうちにかれらは、私が想像したとおり、スペインから陸路、中東・インド・アジア・中国を通って昨日、日本にたどり着いたようです。
解ります、その間、親切そうな物売り・詐欺・かっぱらい・ドロボー・客引きに苦しめられてきたでしよう。

私は、彼らに「全員とは云わないが、基本的に日本人はアジア人と云っても、中国人や他のアジア人とはちょっと違う。プライドを重んじるし、恥を知る。なにも解らない外国人を騙すのは、日本では一番、恥ずかしい行為だと説明した後、台湾は行ったか?、もし余裕があるなら台湾へ行きなさい。
同じアジア人でも、日本人と台湾人は、基本的な価値観・社会道徳は同じだから、きっと良い旅ができますよ」云いました。
彼らは、中国本土も旅して来たようで、あまり良い印象をもっていないようでした。
中国本土と台湾は別の人種、別の社会体制、どちらかと云えば成熟した自由民社主義・経済の日本と同じだから、世界一周の最後のアジアなら台湾へ行きなさい。とお薦めしました。

さて、私たちですが、もう一度パスポートを申請するか?
まさか、自分の人生でパスポートのない時期があるとは想いも寄りませんでした。
後期高齢者となってからでは海外へは行きたくない。
あと数年、ホノルルか、台湾か
羽田発 台湾経由、ホノルル便と云う手もありますが・・・・

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ