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2020年05月07日

シニアの記憶は幼児期へ後退する 国定忠治の墓がある町

コロナ巣ごもりで自宅に閉じ込められる私たち、特にシニアがすることは皆同じと見えて、家の中の断捨離・不要物の整理による
外出自粛いらいゴミの量が増えていると、メディアで報じられています。
確かに、団塊世代も古稀を迎えると、想いは未来に向かうよりも、過去へと後退する傾向は否定出来ません。

そんな事例を先日、友人のある事件で経験しました。
80才の男性、数年前に自分の運転する車で死亡事故を起こしたことが起因になったのか、70代半ばで認知症を発症したようです。
家族はここ最近、徘徊が始まりに気をつけていたのですが、或る夜、寝室にいないのが解り近所を探し回ったのですが、見つからず、捜索願をだそうと思案している時、携帯に電話があったそうです。
ご主人は、昔暮らしていた鎌倉のお寺で確認されました。
帰ってきてから話を聞いた所、散歩していて道に迷い、タクシーを拾い、告げた住所が、昔、子供の頃住んでいた住所だったのです。
認知症のご主人は、「家に帰りたかった」と話していたそうです。
この話を聞いて、60代の私だったら、ただ単なる認知症の老人の話・・・と聞き流していたでしょうが、古稀を過ぎた今ですと、このご主人のその時の心持が解るような気がします。

人は鮭と同じように、生まれた所、育った所に戻って行く。
私の場合、田舎、生まれた所、青年期まで育った住所には、現在は家はなく、両親も亡くなっていません。
実家を継いだ長兄は、私たち兄弟が生まれ育った町なかではなく、郊外の新興住宅街に住んでおり、帰郷した時、私の実家はそこなのですが、自分の思い出のアルバムをめくらなくても、心の中での私の実家は、生まれ育った街中のあの家、あの町なのです。

先週の土曜日の新聞特集記事、「みちものがたり」にその名前がありました。




朝日新聞の土曜版特集では、色々な歴史や、文学、小説に登場する「みち」を実際に歩いてみる記事を掲載しています。
この日の特集の道は群馬県伊勢崎市、江戸後期の上州の任侠・博打「国定忠治」が弟分の仇討で信州に向かい、途中の関所を押し通って、信州・善光寺に行き、この罪で代官所から追われることになる道すじを追った紀行文です。

このなかで、国定忠治の墓を紹介していました。
「国定忠治の墓 長野市権堂 秋葉神社」



そこは、なんと私が子供の頃、毎日遊んでいた神社の境内なのです。
この紀行文のなかでも紹介していましたが、私の育った町は、信州善行寺のおひざ元、現在の長野市の昭和時代、と云うよりも新幹線が開通するまでは県下一のアーケード商店街・繁華街、昔の歓楽街・遊郭があった場所です。
このMAPは、長野市ガイド協会の善光寺門前町おもてなし参道物語から借用しました。
このMAPにでてくる「転校生ロケ地」の交番裏の細い小道が私の生まれ育った家があった場所です。今回のブログを書くまで、大林映画「転校生 さよなら あなた」の舞台が私の故郷、それも、あの権堂アーケード交番の裏通りだったとはしりませんでした。

子供の頃から、国定忠治に関わるは話は大人から聞いていました
商店街のお祭りで、この町の商店主が江戸時代の仮装パレードする時、くじ引きで父が国定忠治の役を引き当て、喜んでいたいた事、そしてその当時の仮装写真が父が亡くなった後の遺品に残っていました。
若き母と一緒に映っているのは、誇らしげに三度笠をかぶった父の顔。
しかし、あの子供の頃、秋葉神社には国定忠治の墓があった記憶がありません。

ネットで国定忠治の墓の画像や、グーグルマップで秋葉神社を検索するとありました。
子供の頃の話、思い違い違いかと調べると、やはり、私の記憶が正しく、私が故郷を離れてから上州から分骨して建てられたようです。
父と母が亡くなってから、数年に一度ぐらいしか帰郷していません。
故郷の町は、新幹線と長野冬季オリンピック開催で大きく変わりました。
昔も子供の頃には、街中に小さな川が沢山流れていました。子供の頃この小さな川が氾濫したり、学校へ行く時、野球ボールを落として先回りして拾ったりしていました。
市立図書館の前の土手の桜が咲いた時、姉と一緒に見ていたら信濃毎日新聞の記者が写真に撮って掲載してくれた、あの土手の川も全て暗渠となってしまいました。
そんな姉も定年直後の伴侶を心筋梗塞で亡くし、昨年から後期高齢者です。

今回の土曜版の「みちものがたり」の記事を見て、こんなコロナウイルス騒動でなかったら、久しぶりに、カミサンを置いて、一人で故郷の町を歩いてみようかなと思うのですが、そうも行かず、グーグルストリートビューで昔の町の面影を探しながら辿っています。
故郷を離れて50年以上になります。
グーグルストリートビューで、あの頃のお店が何軒か残っていました。
美容院・洋服屋さん・化粧品屋さん・映画館が見えます。しかし子供の頃の飲食店は全く残っていません。
新幹線が通ってから、街の中心は駅前と移っていたのです。
アーケード通り、駅から善光寺へ向かうメイン通り、駅前には、全国展開する大手チェーン店ばかりが目立ち、日本中の他の地方都市と変わらないのです。
しかし、街から眺める善光寺平の先の山々の風景は、子供の頃と全く変わっていません。

こうして、この信州の花街の一角にあった八百屋も、そこで育ったの私たち兄弟のことも、いつしか埋もれ、忘れられていくのでしょう。
C'est la vie. (セラヴィ)、それが人生さ、と呟いています。


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posted by 西沢 at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ