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2020年01月10日

定年後の熟年離婚・介護別居夫婦の実態

ネット検索している私のパソコン画面をカミサンが後ろから覗いてみています。
「何に、熟年離婚、熟年別居・・・そんなことに興味があるの?」
「いや、いや、僕の周りに意外と、熟年離婚予備群が多いんだよ、実は今日スポーツに誘った人も、現在別居中なんだよ」と私。

一般的に云うと、現役中に知合い、付き合う自分の廻りの範囲の人々は「同じような社会階層、収入、学歴」の人々でした。
しかし、退職後の住まいの選択として選んだ、地縁も血縁もない新しい老後の住まいの土地では、これまで知りえなかった色々な人と知り合う機会が増えてきます。
鎌倉に越して来て、16年になると付き合いも深くなり、これまで知らなかった個人の内輪話も耳に入ってきます。
そして驚くのは、私自身には全く考えられない「熟年離婚」と云う言葉でした。
それは世間の話、統計上の話、ドラマや映画の世界と思っていたことが、同じ団塊世代、机を並べている隣の人の話、現実の話なのです。

元大企業の部長の場合
会社で退職送別会を終えて深夜タクシーで帰宅したら、奥さんはいなく、家財もなく、机の上に判子が押された「離婚届」があった。
元金融地銀の支店長の場合
退職して3年目、働いていた妻が帰宅しなくなり、別居が始まり、電話もメールも受け付けなく、全て相手の弁護士を介さないと話が出来なくなり、離婚。財産分与で自宅を売り払い、アパート暮らしの生活。

二人とも、同じ団塊世代でボランティアを通じて知り合った方です。
学歴、職歴、収入ともに、かなり平気値よりも高い部類に属する、社会のエリート層に属する人です。
でも、そんなことは家庭内、夫婦間、親子間では全く関係ないことであることは、ここ数年の家庭内暴力、殺人事件で解っています。
元広告屋さんの場合、ご本人は詳しく話しませんでしたが、仕事が忙しく、全く家庭を顧みない生活であっただろう・・・というのはお話していて感じていました。その分、世間一般の人以上の収入を家庭に入れていた・・のに。とご本人は話していました。
初対面でお話していて、元国立大卒、企業の中枢部にずっと席を置いていたエリートらしい話し方が鼻につきました。
全て上から目線の説明、解説的なお話方をされる方なのです。家庭内でも奥さんにこんな話方をしてるのかな?と思ったことがありました。
しばらくして、まわりから退職した日に、奥さんから「三行半」を突き付けられ離婚したと云う話を聞いて、「うん・・男としても解る」と思いました。

元金融地銀の支店長の離婚はまた違っていました。
退職後3年目の離婚です。
同じ世代の彼は、性格も穏やかですし、ボランティア活動でも廻りに気配りの出来る人です。
しかし、趣味の世界の浪費癖があったようです。分不相応、定年後の年金収入に見合わないなヨットにかなりのお金を注ぎこんでいたようです。
奥さんは、自分の仕事を持っていて毎日定時に出勤しており、夕刻に帰ってくるのですが、夫は現役時代と同じ生活スタイル、家事は全くしなく、帰ると、洗濯物は取り込んでなく、キッチンは汚れた食器のまま、自分の趣味のボートと、外面はボランティア活動に精出す自分かってな性格に愛想をつかして出ていきました。

今問題となっているのは最近急増中の定年後別居です。
私の身近のところに、同じ団塊世代の二組が現在別居生活中です。
二人とも、遠距離別居がもう10年近くなります。
夫婦仲も特段悪い訳ではありません。
二人ともに、東証一部上場企業の部長で60才で退職しており、退職金、企業年金は私の倍近くあるので、経済的にも豊かなです。
遠距離別居の原因は、実家の両親の介護なのです。
お二人とも、もう既に10年近い別居生活です。
お一人は奥様の九州の実家の両親の介護です。両親の介護が始まったのは10年前、一昨年父親が亡くなり、現在93才になる母親の介護生活だそうです。既に老人介護施設に入居しているのですが、施設側からは、何時、緊急呼び出しが入ってもすぐに駆け付けると云う
条件があり、奥様だけが一人、実家に暮らしているそうです。
介護費用は、亡くなった父親の遺族年金で何とか賄っているそうですが、奥様の生活費、実家の維持費がかかり、夫からの毎月10数万円の仕送りは欠かせないようです。

もう一人の知人の場合も既に10年の長きに渡っての介護別居が続いているそうです。
この方の場合は、二人息子の次男が母親と一緒に、岐阜県の田舎で同居して実家を支えているようです。
現役時代、定年後の年金生活でこんな、夫婦が離れて暮らす、なんてケースがあることは、夢想だにしなかったことです。
私の場合、昨年、カミサンの母親が倒れた後の半年あまりは、月に何日かの実家サポートがありました。
元々、三姉妹の三女が家を継いでいて、直接的な介護は足りていたのですが、実家の妹の自由な時間を支える為のサポート支援でした。

定年退職し、年金生活に入ったら自由な時間が手に入り、贅沢さえしなければある程度のゆとりのある生活が始まると考えていた方でも、夫婦二人の両親の介護だけでなく、兄弟の介護ケースもあります。
私の廻りでも、カミサンの友人の団塊世代女性は、実家を継いだ独身の兄が何度も脳梗塞で倒れ、唯一の兄弟として、介護を担うことになっています。
幸いにして、実家の土地・家屋を売却した資金で老人介護施設に入居できましたが、これがなもかったら妹の彼女に全て被ってきていたでしょう。
そして、彼女が云うには、兄の介護の次は、最近目に見えて衰えて来た夫の介護生活が始まるのか知れない、とこぼしているそうです。

それに引き換え我が家の場合はどうなっているのか
私の実家の両親二人は、ほぼ介護らしい介護もなく、短時間で亡くなりました。
父は動脈瘤破裂、71才、一晩。母85才、晩年すこし認知症症状はあったものの、寝でたきりとか、下の世話もなく、冬の寒い朝、トイレに座ったまま亡くなり、いずれの場合も、私は実家からの電話で知り、列車で駆けつける程度でした。
妻の父親の場合は、末期がんと分かってから、二度の入退院があったもの、家庭内の闘病、介護生活は短く、病院亡くなりました。72才。
恵まれた環境と云う云い方は不謹慎かも知れませんが、確かに、このように夢を持って定年退職されてから、思ってもみなかった、遠距離介護、介護別居されている方みれば、今のところ恵まれた老後環境かも知れません。

カミサンは、送られてきた旅行社のパンフレツトを見ながら、2月何処へ行こう・・・といってきます。来週の2泊3日、伊豆ジオパーク、吉永小百合のCM撮影地を訪ねる旅から帰って来てからでいいでしょう。と私の返事です。
posted by 西沢 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ