私はと云うと、カミサンが出た後、日課としている朝日新聞「天声人語」の書き写しです。
しっかりと落ち着いて、綺麗な文字を心掛けて書くと30分はかかります。
昨日の天声人語の話題は、珍しく時事問題ではなく、筆者の生活の一部に触れていました。
気が付けばもう師走も中旬、今週や来週は忘年会と云う方も多いだろう。飲んで騒いで終電に乗り、目が覚めると見知らぬ遠方の駅・・・そんな「寝過ごし」は避けたいものである体験談は拾えば枚挙にいとまない。慌てて降りて網棚にカバンを忘れた。
バスもタクシーもなく、家まで3時間歩いた。
終電バスで熟睡したまま車庫に運ばれ、外から施錠されたと云う人もあった
この天声人語の筆者は、おそらく私たち団塊世代よりもちようど一回り下の世代と推測しています。
そして、これまでのコラムを読む限り、私の近所にお住まいと思わせる文が時たまあります。
季節の桜について地元の早咲き桜について述べていたりしたのを見て、あのマンション辺りに住んでいて私と同じ駅で通っているのだな・・と親近感を抱きます。
55才で勝手に早期退職して15年になりますので、かつての会社の同僚、仲間とのつながり、連絡・お付き合いは一切ないので、都内での師走の忘年会はありません。が筆者が書いている、現役サラリーマンならだれでも一度は経験している、電車での物忘れ、終電に乗り遅れた、目覚めたら知らない風景を走っていたは、山ほど経験しています。
或る官庁物件の現場で、赤い判子が幾つも捺印されている設計図の原図を電車の網棚に置き忘れて時は本当に狼狽えました。駅から降りて1時間も経過してから気づき、慌てて連絡して調べてもらったところ、箱根湯本の駅で見つかりました。そのまま車掌さんの折り返し電車で届けてもらおうとすると、出来ず、身分証明書類をもって箱根まで取りに行ったことがあります。
山の手線では、降りた直後カバンを置き忘れたのに気づき、慌ててホームの事務所に連絡すると、何両目のどちら側か解らないと、探せないと云われました。今行ったばかりの電車になので、電車の番号を教えるから、逆回りに乗って先回りして自分で探すほうが確実と云われ、自分の降りたホームの階段あたりから何両目かを推測して、一時間後、無事自分のカバンを見つけました。
帰宅時、自分の降車駅で、網棚にのせたカバンを持って駅をでた時、自分のカバンではないと気が付き、慌てて、連絡しました。駅で30分ほど待っていると、間違えた相手の方も連絡があり、最終駅久里浜まで、行って謝罪し手元に戻ってきました。
間違えた相手の方は、明日海外出張するのでカバンのなかにパスポートを入っていて、焦ったとおっしゃっており、重ねて謝罪した経験があります。
今は運航しているかどうか解りませんが、品川駅最終23:50東海道線の大垣行というのがありました。今は23:10「快速ムーンライトながら」大垣行、全席指定席なので、通勤サラリーマンは使えません。現在ですと、24:04分の小田原行きが最終です。
この大垣行最終電車は80年代から90年代初頭のバブル期、品川駅では乗れないくらい混んでいました。車内は、アルコールと酒の肴、裂きイカの匂いが充満していたのを覚えています。
この最終電車にも間に合わない時は、タクシーです。
このバブルの頃、新宿から東戸塚まで何度もタクシーで帰ったことがあります。
今なら、深夜の長距離横浜の先まですから、タクシーは喜ぶでしょうが、当時はバブルの真っ盛り、タクシーはいい返事をしません。環八・第三京浜の入口までならOKと云うのです。
ここで下りて、横浜のタクシーに乗り換えてくれと云うのです。
このバブルの時期、横浜の先まで行くと、帰りが空車になって稼げないからです。
よくしたもので、環八・第三京浜の入口には同じ考えの横浜のタクシーが待ち構えていたものです。新宿・東戸塚間16,000円でした。
深夜3時に帰宅して、朝6時に起床して、再び東京都内の建設現場の朝礼に戻って行く・・・
バブル時はそんな生活でした。
今日の天声人語で色々な事を思い出して、書き写す朝でした。