三つ年上の兄が72才で亡くなりました。
これまで肉親の死は突然死でした。父は71才、動脈瘤破裂、母は85才で寒い冬の日トイレで倒れて、3日後の死でした。
今回の実兄の死は、ガン発見、手術延期、余命宣告、自宅療養・ホスピス入院、そして死までの8ケ月を遠く離れて暮らすものの地元で介護・世話する姉と次兄からつぶさに見聞きしてきて、人ひとりが死ぬ過程を初めて知りました。
これまでもガンでなくなる芸能人のブログや、TV局がカメラを病床に持ち込んでのドキュメンタリーで見ていましたが身内の発病から、ホスピスでの看取りまでを知り、一市井の独身男性の旅立ちまでの過程を、実の弟の立場から尊厳を持って、書き残します。
盲腸がんであるのが知らされたのは、2017年5月でした。
ステージ1で転移はなく、明日、手術すると云う前日に病床に見舞いに行きました。
帰郷して、次兄から知らされてのは、前日に発熱があり、手術延期。
翌日、肺炎を発病し、精密検査の結果、大腸全体に転移しており、元々糖尿から腎不全を併発していて、手術に耐えられない状態であること、このまま、積極的な治療はせずに、残りの人生を本人の思うままに生かす、選択を提案されました。
この時点で、本人と私たち兄弟に余命、年末までとドクターから言い渡されました。
しかし、後から判ったことですが、長兄本人は、このことを深く理解していなかったようです。
この後、姉・次兄が走り回って、介護保険の申請、アパート内に市への緊急通報システムなどを設置し、週に2回の家事援助が始まりました。
これと同時に、初診の大病院から市内のキリスト教系ホスピスを紹介され、訪問看護、自宅緩和治療体制が整いました。ホスピスの医師の方針は、ガンそのものの治療はせずに、患者の痛みや心の不安を緩和する治療のみです。
夏、体力は衰えて来ているものの、まだまだ元気で何でもできる、食欲も旺盛な兄は、青春時代過ごした東京・神奈川の地を旅行したい、と云うので、鎌倉の我が家に招待して、ゆっくりと旧友や、過ごしたアパートの大家さんを訪ねる計画を立てたのですが、病魔は確実に進行し、信州から鎌倉へ新幹線・公共交通機関を利用したの二泊三日の旅は無理、緊急事態に耐えられない
旨を言い渡されて、断念しました。
その代わり、10月に兄弟4人による、近場の温泉旅行を催しました。思い出造り旅行です。
その時に事件が起こりました。
温泉旅館の大浴場に、長兄と二人で入った時、兄が私に向かって、知らない他人向って話すように、「どちらかお見えですか」と云ったのです。「鎌倉ですと」答えると、兄は「私の弟も鎌倉に住んでいます」と云いました。
ここで、普段介護している姉が、「認知症の兆しがある」と云った言葉を思い出しました。
そして、風呂を出る時に、浴槽に倒れ込み、となり男性が手をかして引き上げ、私に「お宅の御爺さん、大丈夫?」と云ったのです。72才のガン末期の男性の姿は、確かに他人からみたら、お爺さんなのでしょう。
年末、アパートで一人、訪問介護とヘルパーさん、そして姉と次兄に助けられながの生活です。
ガンの治療はなく、3日に一度の痛みをとる湿布(医療用麻薬)の交換でけです。
体は動き、風呂もトイレも手助けは不要で、食欲は少なくなってきているものの、何とか一人で生活出来ていました。2017の年越し、大晦日は夫を亡くした姉の家で過ごし、ドクターの余命宣告の年末が過ぎ、新年を迎えました。
しかし、1月10日、嘔吐・下痢が続き、訪問看護の看護婦さんは、直ぐにホスピス入院の手続きを取りました。
もう、腸が固形物を受け入れ状態ではないようです。
次兄からの連絡を受け、1月13日、ホスピスの病床に見舞いに行きました。
兄は病室は個室です。このホスピスは全室個室で差額ベット料金は発生しないとのことです。
普通、死が間近な患者には、点滴などいろいろなチューブで繋がれているイメージですが、兄には一本だけでした。
胃を経由して摂取した栄養飲み物が腸に到達しても、吸収処理されないものを、再び外に排出するだけのチューブです。
兄は意識もありますが、言葉少ないものの、弟が来たのは解るようでした。
この日は、顔を見て帰りました。
翌週、再び連絡が有り、1月いっぱい持つか、持たないか?、遠方から危篤の度に来るのは大変だろうから、亡くなってから連絡すると云ってきました。
1月23日の朝、8時、兄から亡くなった、と云う連絡が有りました。
前日の22日には、会話も出来た様子です。直接の死因は、多臓器不全です。
こうやって、5月にガンと診断され、8ケ月、ホスピスに入院して2週間で兄は、母と父の元に旅立ちました。
お葬式の時、姉は末期がんで亡くなると云うのは、家族への負担が限定的で良い死に方ね。私も寝たきりや、認知症で家族に大きな負担をかけるより、末期がんで積極的な治療をせずに、残された時間を有効に過ごして、今回お世話になったこのホスピスで逝きたいわ、と語っていました。同感です。私も家の近所にこのような施設を探すことにします。
これがリアルな末期がんの逝き方です。