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2017年12月13日

実習生のと云うな労働者、日本人も実習生と呼ばれていた。

奇しくも12日の夜のテレ東の番組「ガイアの夜明け」で、日本で働く海外実習生の労働条件と問題について、やっていました。
そして、13日、今朝の朝日新聞朝刊トップは、同じ海外から実習生制度について述べていました。タイミングが合った、と云うか、温めていた記事の出しどころを見計らっていたというか、解りませんが、現実にこの問題は日本の将来を考える上で、無視できない問題になるでしよう。

そんなに遠い昔でもなく、日本人も実習生として海外へ
海外実習生と云う言葉から、貧しい国から豊かな国日本への出稼ぎ労働者をイメージしますが、ほんの50年前、昭和40年代前半、日本の高度成長が始まりだす頃、日本の農家の青年の多くが、海外へ出稼ぎにでていました。

アメリカへは派米実習生と呼ばれていました。
アメリカの農業を学ぶ為、と云う大看板はありましたが、実際の作業はメキシコから労働者に交じっての苺摘み取りの作業などでした。このあたり話は、石川好の小説「ストロベリーロード」に書かれています。
この当時(昭和40年)アメリカの労働者の最低賃金は時給1ドル、当時の為替レート360円です。
1日8時間、週6日働き、48ドル、月200ドルが最低ラインでした。
働く農場の多くは、日系人でしたので、彼ら実習生の多くはメキシコ人労働者の監督的な立場にあり、時間外も働き月300〜400ドル程度稼いでいたそうです。
日本の賃金はと云うと、大卒初任給は23,000円、為替レートから云うと64ドルです。
元派米実習生の知り合いの一人は、雪深い東北の農家の次男で、一生懸命に勉強して、日本の外務省・農林省の試験に合格して2年間アメリカに渡り、数千ドルを持ち帰り、親戚一同を温泉旅館に招待したそうです。

この話は、今の日本と全く同じです。
ベトナムやミャンマーの優秀な青年が日本に、実習生という名の労働者として来日、働いている現状。名目は、技術研修ですが、単純労働者です。
当時の日本と違う点は、送り出し側の国で1万ドル近い、経費と云う名目の搾取が行われ、全て借金で来日していることに由来することで、これらの青年が、受け入れ側日本の技術継承に名を借りた、低賃金の元働かされていることです。

当時の派米青年のその後は
1968年、私は南米アルゼンチンの日系企業に就職する為にアルゼンチンにいました。
大学紛争当時の事、まだ海外へ出ることが普通ではなかつた頃の話。
当時の南米1豊かなアルゼンチンにも、実習生という名の移住青年が多くいました。その半数ほどは、過去にアメリカに行っていた、
元派米青年の方々でした。一度海外の生活、農業を体験すると、狭い、雪の降る東北の農家の生活に耐えれなくなり、海外を目指していたのです。

疑問の1
発展途上にある、東南アジアの青年が日本を目指す理由は解ります。
でも番組に度々登場する、中国の人達は何なんでしょう。中国は世界第二の経済大国のはずなのですが。
中国には2つの階層、中国人がいる。
経済発展した東沿岸地域と、取り残された中国内陸地の農村地帯。
上海と内陸地では全く違う、中国があると思わねばなりません。

疑問の2
北海道酪農地帯には、実習生と呼ばれている内地から来た若者が、農場で働いています。
彼らも、実習生と呼ばれています。
これは、経済的な問題ではなく、広い大地の北海道に、自分の人生の何かを求めてきた、自分居場所を探しに来た若者の一時的な居場所、食い扶持探しなのでしよう。
このような、食事・居場所を提供する農作業には、最低賃金や、労働基準が当て嵌まらなくても、内地から来た青年は誰一人として、不満を訴えないと聞いていますが、このことが、海外から実習生として来た若者にも当てはめようとする一部の農業法人が存在するとの報道もありました。

技能実習生と云う美辞麗句を止めて、正式に外国人労働者の受け入れを制度する時期に来ているようです。

タグ:実習生
posted by 西沢 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会