CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2020年12月28日

小豆島・淡路島旅の詳細報告の1

12月17日〜19日まで2泊3日、阪急の募集パンフレツトのキャッチ広告は

瀬戸内海に浮かぶ2つ島「淡路島」と「「小豆島」
最上級SランクホテルとAランクホテルに泊まる。
一度は行ってみたい「エンジェルロード」と「鳴門の渦潮」
人気の2つの美術館「大原美術館」と世界の名画鑑賞「大塚国際美術館」
Gotoトラベル適用、地域クーポン11,000付で、45.500円


と派手にぶち上げていました。
12月は何処に行こうかなと考えていた時期で、ちょうどその頃、テレ東の「出川の充電バイクの旅」の再放送をやっていた時期で一度は、行ったとのない、個人旅行では動きつらい、瀬戸内海の島に行きたいね、それに大塚国際美術館も興味があるし、私たちの2泊3日国内旅行の予算、二人で10万円以内に納まるうえに、二人で地域クーポン22,000円は魅力だしと、一日熟慮してから、ネットで申し込みました。
実際に参加したバスの座席が前から2番目でしたから、私たちの申し込みは2番目だったのでしょう。
阪急の団体パックはweb申し込みでは、紙レベルの書類はいっさいなしです。
17日出発のツアーで、羽田からのフライトが確定したのは5日前の12月12日でした。
羽田発09:40のJAL便、集合時間は08:50と確定。

私たちは湘南に住んでいますので、自宅から羽田国内線ターミナルまでは、ジャスト1時間ですから、羽田発の早朝便でも間に合いますが、関東近辺から参加の方々は、今回の集合時間は全く問題ないにしろ、五日前ではなく、少なくとも一週間前、出来れば10日前には知らせて欲しいのではと、思いました。
かなり余裕をもって、羽田に着いてゲートに向かうと、空港ラウンジから富士山が綺麗に見えました。
これまでにも、早い時間帯の羽田空港を利用していますが、こんなに綺麗な富士山と、手前の飛行機の映像は初めてなので、パチリと撮りました。
今回の旅は幸先よさそうと云う予感がしたのですが・・・

空港ツァーデスクで渡された、あの、ちょっと恥ずかしい阪急のワッペンの色は「黄色」
ゲート前に集まる乗客を見回すと、黄色のワッペンをつけた参加者がチラホラ、そんなに多くはなさそうです。
高松空港の出口ロビーで、ショルダーバッグの片隅に黄色のワッペンをつけ、現地添乗員(60代半ばの小柄なおばさん)に、参加人数を聞くと8組、16名でした。
バスに乗り込むと座席は添乗員側の前から2番目、補助席を入れて定員45席のバスは、各カップルが前後左右斜めに密にならないようスペースを空けるように配置されていましたが、動き出すと私たちの席の反対・裏側の二人のうちの一人が、私の後ろ席に移動してきました。
飛行機のなかで、通路を挟んだ隣に座っていた50~60代前半の夫婦です。
機内でマスクを外して、話している内容が筒抜けのような大声ですし、傍若無人なガサツな態度、よく団体旅行に多い、自慢タラタラの御仁のように見受けられ、これは困った人かな、トラブルにならなければ良いがと思ったのが、その日のうちに発生しました。

倉敷美観地区と大原美術館
ツァーバスは高松空港から陸路、瀬戸大橋を渡って本州側岡山に入り、最初の観光は倉敷美観地区と大原美術館です。
車内で今回の地域クーポン11,000円が配られました。
その席であのご夫婦の男性が、「このツァーでこのクーポンを使える、道の駅とか大型ショッピングモールには寄るのか、」との質問をしました。
阪急の現地添乗員は、特別そのような予定はないと云うと、質問された方は、事前にネットで、泊まるホテルや、観光地のお店を調べたが、何処も大したお店がないのが解った、3日間で11,000円使うには、美術館でレプリカ絵でも買わないと、余ってしまうかも知れない、と云いだしました。
確かに一理あるのですが、そのネットで調べて情報には疑問があります。
今回泊まるホテルにしろ、廻る観光地にしろ、この時期、Goto観光客の持つ、限定クーポンは時間・場所が限定されているのを見越して、品ぞろえは多いというのが現況なはずなのですが。

カミサンは、とりあえずこの倉敷美観地区で、ランチに二人2,000使って、3,000円分のお土産を確保しておくわ、と、二人ともに3度目・4度目の大原美術館は入場料込みだったので一応館内は10分で素通りして、ランチをジャスト2,000円で終え、カミサンはお買い物に、私は、ビデオ撮りに動きました。

トラブルは初日の第一観光地から発生
バスの出発時刻を告げた添乗員は、ここから岡山港に向かいフェリーで小豆島に向かいます。
フェリーは時間厳守で待ってくれませんから、必ず指定の時間までにバスに戻ってきて下さい。ご協力お願いします。
バスは2時半出発の予定、倉敷美観地区は、川に沿って出来ていますが、川は途中の橋で大きく曲がっているので、方向感覚が間違いやすい街並みであることは、何度も来ているので知っています。カミサンとの集合地所も遠くから見てもはっきりと解る場所にしました。
普通、旅慣れた大人の団体パックの場合、集合時間の10~15分前に戻ってくるのが常識です。
特に今回は、フェリーの時間があります。
まあ、1日目の最初の観光地、少し入り組んだ美観地区でしたが、2時25分に14名戻ってきました。
戻ってこないのは、案じた「あの夫婦」でした。
ご主人の男性は30分ちょうどに戻ってきても、奥さんらしき女性は戻ってきません。
旦那の男性は少しも慌てず、探しにも行きません。
最終的に女性が戻ってきたのは2時35分でした。
このご夫婦、特に添乗員にも乗客にもご挨拶もありませんでした。
これが、最終日まで続いたのです。

岡山港から小豆島土庄港へ
岡山港にバスが着いたのは定刻の15分前でした。おそらく添乗員さんは焦っていたと思います。
瀬戸内海を船で渡るのは初めてです。
海なし県生まれの私が、初めて瀬戸内海を見たのは16歳の春休み、バックパツクを背負って、山陽本線から下関に向かう車窓からでした。

日本海の荒海しか知らない、信州の少年の目に、多島海の穏やかな海、夕日に大感激と、生まれて初めての一人旅のさみしさ、不安を忘れさせてくれるものでした。
関東と西日本の日の入りは、30分近く違うにしても、募集パンフレツトにあった、リゾートホテルの露天風呂から眺める、絶景の夕日には全く間に合わず、ホテルに入ったのは、6時、そして団体パターンであるブッエは6時半でした。
そのレストランのお部屋に行ってみると、あの例のお騒がせ夫婦はなんと、一番行列の先頭に並んでいるではないですか!
このご夫婦の信じられないお行儀の悪さは、これから何度も目にすることになりました。

2日目小豆島、エンジェルロード
小豆島の観光は、エンジェルロード、寒霞渓、とオリーブ公園の3か所です。
この日、小豆島の観光の後、再びフェリーに乗って対岸の淡路港に渡り、陸路明石大橋を渡って、今回のツァーの目玉に謳っている元ウェスティンホテル、リプラインドした最上級Sクラス「ニッコウ淡路」へ向かう長旅の日です。
エンジェルロードは潮の満ち引き、時間によって現れる小島への砂州の道です。
イメージとしては、天橋立のような映像を描いていたのですが、早く着きすぎて、ご覧のようなだだの砂州の姿でした、後2時間後でしたら、イメージしているような、潮が満ちてきて、島へ続く道が徐々に消えていく姿がみられたのでしょうが、団体パックでもあり、次の予定地への
時間もあるので仕方ない!。
個人旅行でしたら、絶対に時間を調べていくべきところです。
この日の天気予報は、次第に雲が多くなってくるとの予報で、その通りで紅葉の名所の寒霞渓は、全く紅葉には遅く、日差しもなく、カメラ・ビテオを構える意欲も失わるほどでした。
あのお騒がせご夫婦はと云うと、バスに戻ってくるの一番最後です。
時間ぴったりなのですから、文句はいえません。
きっとこのご夫婦は、団体行動とは云え時間さえ守っていれば良い、他の人、みんなの為に少し早めに戻ってくる必要はない、と頑なに信じているのでしょう。

オリーブ公園
オリーブ公園に到着したのは午前10時半でした。
このときの添乗員の言葉に私は唖然としました。
この後バスは福田港から淡路港経由で淡路島に向かいます。
昼食をとる場所はここしか在りませんから、まだお腹が空いていないと思いますが、Gotoクーポンが使えるレストランは、今日の旅程ではここしか在りませんからここで食べて下さい。と
しかし、ここのレストランは11時半からなのです。

ここ、オリーブ公園には、道の駅があるのですが、私たちが思っていたようなものではなく、公営の資料館的建物で地元物産は売っていませんでした。
しかし、あの問題のご夫婦のご主人が、「ネットで調べてみたら、何にも売っていない」ようなところではなく、お土産大好き、使えるクーポンが山ほど持っているカミサンにとっては宝の山のような場所で、レストランが開き、ランチを待つ時間がもったいないと、クーポンの残りを数えながら買い物三昧でした。
今朝まで泊まっていました小豆島唯一のリゾートホテルの売店の品ぞろえも充実しており、あのおっさんはネットでどんな記事を読んだのでしょう。
それにしても、観光客の姿は少なく、ツァーバスは私たちの一台だけでした。
そして、午後13時、私たちのバスは今回のツァーの最長距離・時間をかけて今晩のホテルのある淡路島に向かうのです。

動画ユーチューブにリンク

淡路・鳴門・大塚国際美術館へ続く


 ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月26日

2020年、退職高齢者所帯の家計費 今年の決算と年末調整

毎年年末、12月25日には銀行へ行きます。
翌年1月分の我が家の予定されている出費を引き出すためです。

・1月分の食費+雑費 (60,000+10,000)
・二人各々の1か月分お小遣い(30,000×2)
・12月分の公共料金とマンション管理費
 (55,000) は振替口座A
・NHK・ソフトバンク電気・ソフトバンク携帯
 (10,000) はクレジット決済口座B

ここまでは、毎月同じです。計195,000円。
首都圏に住む72歳と69歳の年金収入だけの老夫婦の1か月の生活費としては、平均的或いは質素かもしれません。

しかし、これは1か月単位の出費であり当然ながら、この金額では東京首都圏だけではなく、地方での生活も成り立ちません。
その月々により、引き出す現金、振込、振替は多様です。
固定資産税・国民健康保険などの租税公課は、その都度処理しています。
医療費は、定期的なものは予測されますので、医療費年予算のうちから、事前に前月に引き出しています。
大きいのが、教養・娯楽費、特に旅の費用で、これも年間予算のうちから、現金或いはクレジット決済口座に事前振替しています。
今月12月は定額的な出費の他に、正月費用として現金の引き出しがありました。
これで、2020年の老夫婦の出費・引き出しは一旦お終いです。

ここからが本日のブログテーマの本番です。
午前中に市内の銀行数件をまわり、現金引き出し、口座り替えを済ませて帰宅し、パソコンに向かいます。
PC内には、早期退職計画時から作成してきた、数10年のキャッシュフローエクセルあります。
ここには、各年末時のキャッシュ残高とファイナンシャル資産が表示されていますので、2020年末の現金残高と、計画予定残高を比べられます。
ファイナンシャル資産は大きく時価が変動するものはありませんので、現在のところ変わり
はありません。
比較するのは、予定キャッシュと現実の残高です。

退職して17年、この年末残高と予定していた残高の差がマイナスになることはありませんでした。
ほぼ毎年、数万から20万程度のプラス、つまり未消化予算となってていました。
この場合、綺麗に2で割った金額を各々の年末調整、特別ボーナスとして分けていました。
今年も私が銀行へ行く前から、カミサンは「今年は年末ボーナスは幾らぐらいになるの、期待しているわ」と云います。
2020年今年は、銀行に行き、記帳する前から、かなり大きなプラスになるだろうと、予測していましたが、カミサンには黙っていました。

今年は、異常な年でした。
30年前に作った、年金老後夫婦世帯の年末残高予測と今月のキャッシュ残高の差が数10マン単位の多さなのです。

理由は明白です。
旅行費用が大幅に減っていて、予定の50%も消化されていないからです。
実際に、春先から夏までの予定旅行は3本、ココロナ禍でキャンセルしました。
そして夏以降の旅行は、Gotoトラベルでかなり格安になりました。
他にも、二人の教養娯楽費も消化率30%です。
コロナ巣ごもり状態が長く続き、特別買いたいものはなし、好きな映画鑑賞もほぼ半減で、二人の教養娯楽費から出費しなくても、月々のお小遣いで十分足りてしまっていたからです。
そして、観光葬祭費として予算化していたものの消化率はゼロでした。
人・物・金の動きが、コロナ禍でストップしたと云う事は、政府の統計をみなくても、年金収入だけのシニア世帯の家計費に如実に現れています。

実際にパソコンに向かって、数値を入力する前から今年は大きく余るだろうと予測はしていましたが、これだけ大きい数値ですと、単純に2で割って二人の年末調整・ボーナスにする訳にはいきません。
30年前に作成した老後資金計画に、今年の残高を打ち込んでみました。
厚生年金の支給額が一定で、私が当時の団塊世代の平均年齢の78歳で逝くとして、遺族年金とカミサンの年金、そして、残された資産の数値からカミサンは90歳の時に残されているキャッュは、思ったよりも多く、8桁になります。
この先、私の予定年齢まで後6年、今回のコロナ禍で国債の乱発をしたとしても、低開発国のような超ハイパーインフレの可能性は低いので私が逝ったあと、カミサンは質素に生きていけるだろう、最悪、我が家を売れば100歳までは大丈夫だろう・・・との結論に達しました。

で、とカミサンは云います。
「私の今年のボーナスは幾らもらえるの?」
カミサンには、現金で20万円と決定しました。私はゼロです。
私は多少ながら、カミサンのボーナス代程度のPC関係のバイト収入もありますし、何よりも、家計財産として計算されていない自分の小遣い口座にかなりの金額が残っていますので、敢て、今年は辞退しました。
だって、今、欲しいもの、買いたいものは何も思いつきません。
例えあったとしても、二人の家計費からわざわざ出費しなくても十分足りていますから。

今、欲しいものは・・・
有効なコロナワクチン・コロナの終息、何処にでも気軽に出かけられる社会です。


ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月24日

Gotoトラベル旅行代金のカラクリ 小豆島旅行の場合

先週11月の第3週末の3日間、初めての小豆島に行ってきました。
小豆島は、映画好きの私はとっては「24の瞳」「魔女の宅急便」「八日目の蝉」の舞台知られています。
「24の瞳」は

第二次世界大戦の終結から7年後に発表された壺井栄の小説で、作者は私たちよりかなり上の世代なら知っている名画です。
「瀬戸内海べりの一寒村」を舞台に、女学校を出て赴任した女性教師と、その年に小学校に入学した12人の生徒のふれあいを軸に、日本が第二次世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに否応なく飲み込まれていく中での教師と生徒たちの苦難や悲劇を通し、戦争の悲壮さを描いた作品。
主演は香川京子、世代的には私たち団塊世代にとっては、昔の名画と云う感覚で、そんなにロケ地として思い入れは大きくはありません。

「魔女の宅急便」は

角野栄子による児童書。
宮崎駿監督によって1989年に同名でアニメ映画化され、2014年、清水崇監督により実写映画化されたもの。
主演・小芝風花。
アニメとしては、有名ですが、実写版は世代的には団塊世代の私たちには、縁遠く、さしてロケ地巡りとしては興味はありませんでした。

「八日目の蝉」は

角田光代による小説。中央公論新社より2007年(平成19年)3月25日に刊行された。
「母性」をテーマに、不倫相手の女児を誘拐した女性の逃亡劇と誘拐された少女の成長後を描く。第2回中央公論文芸賞受賞作。
2011年(平成23年)に松竹配給で映画化、第35回日本アカデミー賞では10冠を獲得した、名作品。
主演 永作博美 私たち団塊世代にとっては一番身近な思い入れ深い映画で、小豆島島内各地でロケが行われ、聖地巡礼的に今でも愛されている作品です。

後日談
しかし、残念ながら、今回のツァーはバスガイドは同乗しておらず、阪急の契約添乗員のみのバス車内の案内・説明ですから、小豆島内で「八日目の蝉」に関するロケ地の案内・説明は全くありませんでした。
まあ、かなり高齢の女性だったので仕方ないか!

そんな由縁もあって、夏の阪急の「知床4日間」から帰ってきて1週間目、団体パックの周遊型旅行にはかなりの抵抗はあったものの、確かに個人自由旅行はし辛い島の観光には、団体パックでいくしかないかと申し込みました。
阪急の旅行代金の一人70,000円は2泊3日の国内旅行としては、かなり高い設定と感じましたが、Goto割引き後の支払いは、一人45,500円、我が家の国内2泊3日の予算、二人で10万に納まります。プラス地域クーポン二人で22,000円ですから、自由昼食分とカミサンの大好きなお土産は十分に賄えます。
ホテルは小豆島Aランク、淡路島はSランクと、宿のレベルが上昇傾向にある72歳と69歳のシニア夫婦には受け入れやすいものでした。

Gotoトラベルの価格設定は
今回のコロナ禍、観光事業者経済対策では一泊に付きの最大支援限度額は14,000円です。
今回の阪急の旅を終えて、感じるのは先ずは旅行業者は「Gotoトラベルキャンペーン」ありきの価格設定をしていることです。
1人1泊あたりの旅行料金は40,000円が一番おトクということで、最大支援限度額の14,000円が最優先されており、それを元に、本来必要のないコース・観光地・乗り物・高級ホテルがどんどんと追加されて行っているのです。
出発の5日前に、阪急のサイトからダウンロードした日程表と見て、こんなコースで廻るのだというのを、自分で画像化してみました。

今回のコースマップ




1日目 
羽田発09:40⇒高松空港11:05
高松⇒バス 瀬田大橋経由 倉敷 大原美術館 自由昼食
倉敷⇒バス 岡山港 フェリー 小豆島 土庄港
Aランクホテル 着 17:30

2日目 
小豆島観光 ホテル発08:00バス⇒ エンジェルロード滞在30分
バス⇒寒霞渓山頂⇒ロープウェ下り⇒オリーブ公園 滞在1.5H 自由昼食
バス⇒福田港 フェリー⇒姫路港 
姫路港 バス⇒明石大橋⇒ホテル着 17:00

3日目
ホテル08:30 バス⇒鳴門公園
鳴門公園 09:45 渦潮見汐船 30分
鳴門公園 ⇒大塚国際美術館 滞在3時間 自由昼食
大塚国際美術館 バス⇒徳島空港14:50 
徳島空港 17:50 ⇒羽田空港 19:00

最初の阪急のパンフレットを見て申し込んだ時は字面だけを見てイメージしましたが、実際に地図画像に落として、ルートを観光地を見てみてると明らかに、Gotoトラベル上限に近づける為の、余分な観光地・ルートが設定されているのが解ります。
目玉は、なかなか個人で行けない「小豆島」なのですが、なんで小豆島に行くのに、倉敷へ寄っていくのか?
今回羽田に集合した16人8組の参加者のうち、15名は、過去に一度以上、倉敷美観地区・大原美術館には来ているのです。私の場合、大原美術館・美観地区は今回て三度目です。
一般的に小豆島へは、交通の便が多く、距離の近い高松・土庄港間が一般的なのです。
昔、個人自由旅行での小豆島観光を考えた時に調べて知っていました。

そして、2日目に小豆島から再び本土の淡路港・明石大橋経由、淡路島のSランクホテルへの移動・・・
これこそ、今回のGotoトラベル上限金額に近づける為だけの、手段に違いありません。
宿泊の「グランドニッコウ淡路」は「旧ウェスティンホテル淡路」で2000年3月、淡路花博の開催に伴い開業。安藤忠雄が全体設計した淡路夢舞台の施設の一つであり、淡路夢舞台国際会議場と直結してリゾート&コンファレンスセンターを構成し、2002年、サッカーワールドカップの際にイングランド代表選手の宿舎になったリゾートホテルであり、今年10月リブラウンドとして再開業したリゾートで、関西地区では一度は泊まってみたい高級ホテルとして人気、と聞いていました。
泊まってみて、館内には阪急のワッペンをつけた団体客は6~10組ほどみかけました。
如何に阪急は営業的に仕入れに力を入れているか、業界の裏が見え隠れしました。

阪急の団体パックの宿泊ホテルについて思うこと
私たちは海外の辺境の地への個人旅行が多かったので還暦までは、ただ寝るだけの宿、安全で便利な場所、安いにこしたことはない、と考えていました。
海外旅行を卒業し、年齢を重ね、旅する回数が増えるに従い、泊まるホテルのグレードは上がっていきます。出来るだけ、居心地の良い宿で、ゆっくりと過ごしたいと願うようになります。
でも、今年二回Gotoを利用して、阪急の団体パックに参加してみて、ホテルのグレードと旅のしやすさは関係ないと思うようになりました。
今回も前回の知床も同じですが、夜暗くなってから宿に着き、30分後には食事、翌朝は朝食後すぐの出発で、ホテル周辺風景もホテル内の施設も全く関係なく、利用するのは大浴場とホテル内のショップだけです。
グランドニッコウ淡路には大浴場はなく、近くの温泉まで有料シャトルバスでの送迎でした。

そして、知床・小豆島で共通しているのは、阪急の団体に割り当てられたお部屋のロケーションの悪さです。かなりの値引き交渉があったのでしよう、ホテル内の一番ロケーション・ビューの悪い、お部屋になるのです。
今回の私たちの部屋は二晩とも、個人旅行でしたら120%フロントに別の部屋に取り換えるように交渉するような部屋の位置でした。
個人旅行の場合、フロントで示された部屋は、一度見てからでないとストレートには入らないが、特に海外では当たり前なのです。
個人旅行の宿は、単に寝るだけではなく、交通アクセス・安全性・買い物、食事、そしてお部屋の雰囲気、窓からの眺めなど、団体パックと違い、ホテル滞在時間か何倍も多いのです。

そして、旅の時間配分にも問題がありました。
確かに今回の場合、鳴門の渦潮を見るジャストタイミング時間がありましたので難しかったのですが、次の大塚国際美術館で滞在時間が30分少なくなり、結果的に徳島空港での待ち時間が3時間30分と国内線としては、異常な長い時間となってしまいました。

そんなに団体パックが嫌なら個人で行ったら
と云う声が聞こえます。
そこで、今回帰ってきてから、小豆島と鳴門に絞った旅のプランシミュレーションを考えてみました。高松in、徳島out、小豆島一泊、徳島一泊、交通は全て公共交通。
ホテルグレードを高級ビジネスに抑え、食事は町中で簡単にし、入場料・乗船料を個人、当日にして、大手旅行会社の手配でGoto対象にすることにより、私たちの二人の旅の予算、10万以内に楽勝で収まることを確認できました。
車免許のない私たちには難しいと思われた島内観光移動は、小豆島島内の路線バスは、頻繫に観光地へ走っていますし、鳴門・大塚国際美術館へも、徳島・鳴門市内から楽勝でした。

勉強になった旅でした。
これからは、かなり難しい場所でも先ずは自分で調べてから考えることにします。
次回のブログで、今回の各観光地の画像ともに旅の様子をお伝えします。

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月22日

自宅鎌倉、町内に忍び寄るコロナウイルス

小豆島の旅行から帰ってきた翌週月曜日、カミサンが午前中のスポーツクラブから帰ってきて、開口一番、小学校でクラスターが発生し、全員PCR検査で、学校閉鎖だって、知っていた?と云います。
どうやら、私たちが旅行中の出来事で、ニュースで報道していると云うので昨日、今日の新聞の新聞の湘南版を見ても出ていませんが、確かに自宅前の児童公園にはいつもは沢山いる、保育園の子供たちの姿が一切見かけません。
早速ネットで調べると

NHK首都圏のニュース
神奈川県内では、鎌倉市の小学校で20日までに児童と教員あわせて13人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、県は感染者の集団=クラスターが発生したと認定しました。
鎌倉市によりますと、市内の公立小学校で今月16日に10歳未満の女子児童が、今月17日に30代の男性教員が感染していることがそれぞれ確認されたということです。
このため、同じ学年の児童とほかの教職員がPCR検査を受けたところ、児童11人の感染がわかったということです。
教職員は全員陰性でした。
市は18日から今月23日までこの学校を臨時休校とし、ほかの学年の児童およそ400人の検査を22日、実施するとしています。



神奈川新聞
新型コロナウイルス感染症を巡り、鎌倉市と市教育委員会は20日、臨時会見を開き、市立玉縄小学校(同市玉縄1丁目)で10歳未満の児童11人の感染が新たに確認されたと発表した。いずれも無症状か軽症。すでに児童と教職員2人の感染が判明しており、クラスター(感染者集団)の発生となった。
全児童のPCR検査を実施するため、同校は21〜23日、臨時休校とする。
市や県によると、同校では17日までに、女子児童と30代の男性教職員計2人の感染が抗原検査で判明。2人の感染経路は不明という。
濃厚接触者はいないが、女児と同学年の児童92人、教職員40人のPCR検査を実施。その結果、19日に男児6人、女児5人の感染が分かった。
残る約410人のPCR検査も実施する。
松尾崇市長は「地域で現状を正しく認識するため、学校名を公表した。差別や誹謗中傷がされないような発信と心のケアを徹底する」とした。


東京首都圏では毎日、新規感染者数が更新され続け、神奈川県でも連日3桁の患者が報告され、私が来週予約している、地域基幹病院の湘南鎌倉総合病院は神奈川県の重症者専門病棟もある場所ですから、全くコロナと無縁ではいられない地域なのは確かです。が・・・・
何処か、自分はこれだけ気を付けているのだから大丈夫だ、と云う気持ちはあります。

Gotoトラベルへの批判が多く溢れているなか、「暇人・小金持ち年金シニアの役目は、少しでもコロナで疲弊している日本経済に貢献するに、広く、浅くばらまく、Gotoトラベルは有効手段である」なんて勝手な口実をつけながら、旅しているのですが、やはり、自分の家から数十メートルしか離れていない場所てのクラスター発生は他人事ではいられません。

私の住む52戸共同住宅の子供たちは全員、この小学校に通っています。
在校生全員のPCR検査の結果次第では、私たちのマンションも何らかの対策、処置がとられるでしょう。
少なくとも、玄関ホールのドアは、自動ドアで接触はないものの、入り口エントランスの押し釦操作パネル、エレベーターの内外部、共用廊下部分の手をふれるような場所の消毒は行われるでしよう。
そして、この小学校から50mほど離れた、地元の中規模スーパーも、ドラッグストアーも何らかの影響がでてくるでしょう。

今年3月、家の中で中国武漢のコロナ騒動の報道をTVで見ている時、大きなマンションの住民の感染で、住民全員が大騒ぎし、あらゆる場所の消毒を行っている映像は「そんな大げさな」と思ってみていました。
しかし、それが今や、私の周辺で現実として起きようとしています。

元医療関係者で手術室勤務もしていたカミサンは徹底して、私としてかなり面倒な相手なのですが、今後は素直に従わないとなりません。
入口玄関前で、衣服を払って、玄関から洗面所までいっさい手を触れずに直行し、石鹸で手・指の間、手首の順で洗い、次に顔全体を再び石鹸で洗う、
次に今まで着けていたマスクを洗い、最後にイソジンでうがい3回が帰ってきてからの日課となっています。

鎌倉市長は「地域で現状を正しく認識するため、学校名を公表した。差別や誹謗中傷がされないような発信と心のケアを徹底する」と敢て、のらべているように、東京都民だけではなく、神川県民、鎌倉市民、特に私の地元町民も今後いくらか、偏見・興味を持った目でみられるようになるでしょうが、めげずにやっていくしかありません。
このブログ原稿を書き終え、ベランダから前の児童公園をみると、何時もなら子供たちが沢山遊んでいるのに、今日はひとりもいません。
それが現実、まさに武漢のようです。

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月20日

来年2021年のカレンダーとスケジュール手帳

今年も後10日あまりで、新年を迎え、来年のカレンダーと手帳の季節になりました。
退職後の我が家のカレンダーは、ここ10数年毎年決まっています。
私の部屋のカレンダーはJVC(日本国際ボランティアセンター)のもの、カミサンの部屋はJAL(日本航空)のものと決まっています。
そして、夫婦二人の共用スペースのリビングは、無地の月めくり、白い大きな書き込みのできるシンプルのものです。
カミサンの場合、スポーツクラブの友人のお嬢さんが日本航空にお勤めなので、お歳暮代わりにいただいているもの、私のJVCカレンダーは1,600円有料のものです。

JVCカレンダー
現役時代は、翌年のカレンダーというものは、11月になると、無料の質の良いものは自然とお付き合いのある仕事関係・現場関係からいただくのが常識でお金をだして買う、と云う感覚は全くありませんでした。
会社社会を離れると、そんな習慣もなくなり「退職したのだ」と云う実感を味わったものです。

JVCカレンダーは、私が退職後ボランティア活動の一環で、鎌倉NPOセンターの広報担当者として主催した、ホームページ講座に参加された、日本国際ボランティアセンターに所属している、アジアの子供たちを支援する団体「地球の木」への寄付として有料のカレンダーを買い続けています。

 
購入した当時のカレンダーの画像は、「三井 昌志」さんと云う若手写真家の映像が使われていました。
主に、アジア・インドの人物を撮っている写真家で、彼の撮る子供たち、女性たちの瞳の輝きにに惹かれてカレンダーを購入し始めました。
その後、JVCカレンダーの画像は毎年、違った写真家の映像が使われていますが、現在でも私は三井 昌志さんのfacebookをフォローし続けています。
三井 昌志フェースブツク https://www.facebook.com/mitsuimasashi
いままでのJVCカレンダーには多くのアジアの発展途上国の美しい田園風景や、人々の暮らしが多かったのですが、アジアの掲載的な発展とともに、カレンダーの画像も年々、西へ西へと移動していきました。
バングラデッシュ・ネパール・インド・パキスタンそして中近東諸国へ
ここ数年、毎年アフリカの国々の画像が使われています。
今年のテーマは「ジャーナリスト 堀潤 が見たJVCの活動地」でスーダン・カンボジア・北朝鮮・パレスチナです。エー北朝鮮?
JVCが北朝鮮でどんな活動をしているのでしょうか?
調べてみました

1995年に朝鮮半島の東北部を襲った大雨洪水は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国土の75%に大きな被害を及ぼしたと報じられました。
この被害への緊急支援に取り組んで以来、JVCは他のNGOとともに「KOREAこどもキャンペーン」というネットワークを組み、北朝鮮の子どもたちへの支援を行なってきました。
日朝の間には歴史問題に始まり、核や拉致にいたるまで様々な課題が山積していますが、その解決をはかるための手段やルートは乏しいのが現状です。
多国間で朝鮮半島の問題を解決する「六者協議」などの政治的な枠組みがあるものの、日韓双方で対話の機運は見えず、相互不信が募っています。
JVCは育児院や託児所、幼稚園、小学校といった子どもの施設への支援を行なう一方で、韓国のNGOとも協力しながら、交流を目的とした絵画の交換と展示会を継続してきました。
現地で実際に出会った人びとの様子を日本に伝えると同時に、日本のことを相手に伝えて双方の風通しを良くし、国や政府の関係にとらわれない「人と人」との関係づくり、さらには市民の手による北東アジア地域の平和づくりを目指していきたいと考えています。
※JVCでは、朝鮮半島での活動を総称する意味で、「コリア」と呼んでいます。


なるほどね。

一方のカミサンはJALカレンダー
私の部屋とは全く趣が異なります。

新生「A WORLD OF BEAUTY」は、“Once in a Lifetime”(日本語で〈一期一会〉の意)をテーマに掲げ、自然や時間が生み出した雄大な絶景と人間が出会う一瞬を切り取りました。
刻々と移ろう時代や自然環境の中で、その時、その場所で巡りあえる風景はまさに一期一会。
世界の未知なる美しさを発見しに出かけたくなるような、旅心を刺激する写真が登場します。
※新型コロナウイルス感染症の影響により、撮影は海外5か所と日本国内で行いました。
あらためて日本の自然が持つ魅力を再発見いただくきっかけとなることを願い、選りすぐりの日本の絶景地を取り上げております。


1月から12月まで、沖縄・北海道・メキシコ・ベトナム・アメリカ・UAE・インドの美しい風景のなかに、女性踊り子が一人舞う姿の画像です。
もう少し若かったら、こんなコロナの時代でなかったら、
私たちの手元にパスポートがあったのなら・・・
数年前でしたら、これらの世界の絶景の画像をみたら、ネットで場所を特定し、行けないかもしれませんが、机上で旅の計画、ルート、予算を造っていたのですが・・・

スケジュール手帳は退職後のシニアの生活には必須です

現業時代、スケジュール手帳は持っていませんでした。
1年単位のスケジュールは必要がなかったからです。
退職前の7年間は、大手建設会社に直属し、既存大型オフィスビルのリニュアル工事を担当していました関係上、数年単位のスケジュール管理となり、それまで複数の現場掛け持ちから、毎日同じ現場事務所への定時出勤で、すべて自分の机の上のパソコンでこと済んでいたからです。
25年のサラリーマン生活で、バブルが弾けてからの最後の7年間が一番充実していて、体も、精神的にも楽なサラリーマン生活でした。

退職し、鎌倉に越して来てから月単位のスケジュール手帳を使い始めました。
退職直後の数年は、海外ロングステイの候補地巡りのスケジュール、予定を優先し、空いている日本の日々を如何に、退屈せずに過ごすか、1か月、1週間の空白の日を如何に埋めるかに苦しんでいたこともあります。
やがて、海外ロングステイ、海外ミドル・リピートステイに替わり、日本での充実した日々を目指すように変化していきました。
私の1週間、1か月の予定は、スポーツ・趣味のクラブそして、鎌倉で出会ったNPOボランティアから、広報活動、webプログラム講座と広がっていきました。
それも、古稀を過ぎ72歳となった今年の春には引退し、途端にコロナ禍で大幅にスケジュール手帳の空白は増えました。

先週、買った2021年のスケジュール帳1月に書き入れる項目は
スポーツの予定日、体育館のネット予約入力日と確定日、医者への予約日、支援している団体との定例日、趣味のクラブの例会日・・・
そんなものしか在りません。例年ならここに、毎月一度の2泊3日の国内旅行のスケジュールが入るのですが、2020年12月時点では来年の旅行予定は全くの白紙です。
でも、60代の頃でしたらこの空白のスケジュール手帳は、一種の恐怖だったのですが、今は達観しています。
家で大人しく、パソコンの前に座っていても、焦らない。
1日中TVをみている生活は嫌ですが、それなら、週に一度、電車に乗って映画館で過ごし、外食しても1日3,000円で普段と違った、心豊かな世界を体験できる、ともかく、月30,000円の純粋な小遣いが余る2020年だったのです。
空白の来年の真っ白なスケジュール手帳を眺めて、五木寛之の語る林住期から遊行期に足を踏み入れようとしている私は、昔のように焦ることも、恐れることも薄れていくのを自覚している、今年の暮れです。

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月17日

町内会・自治会・老人会とは何か いつまで無縁でいられるか

自宅の前の公園の東屋には、毎日2時半になると、三々五々、70代後半から80代のお年寄り男性が集まってきて歓談しています。
皆さん、蛍光反射ベストを着用しています。
3時に終わる近所の小学校の子供たちの交通と安全確保の為のメンバーのようです。

ほぼ毎日、8名のお年寄り男性の姿が私の部屋のベランダが見受けられ、8名のお一人だけ、顔と名前が一致しますが、他の7名の方たちは、退職後にこの地域に引っ越しして16年暮らしていても、存じ上げません。

お一人は、私がこの春まで活動していた、NPOセンターに登録し利用している市民活動団体の方で、センターやご近所でお見かけした時には簡単なご挨拶をしますが、特別、個人的なお話をしたことはありません。
お住まいも、この公園の裏手の先ていどは知っていますが、お住まいの家を特定したことはありません。

2時50分になると、リーダーらしきお年寄りが点呼と、この日の注意事項の伝達をしているのでしょう、その後「エイ・エイ・オー」と腕をつきあげて、皆さん持ち場に散っていきました。
雨の日も風の日も、学校がある日は欠かさず、集まってきており、ベランダ越しに眺めている私には、毎日の夕刻の時間を知らせる、セレモニーのように感じています。

これまでNPO活動に携わってきた私は、いろいろ思い浮かべてしまう悪い癖があります。
・この8人のお年寄りはどんな組織なんだろう
・町内会の組織なのか
・PTAの組織なのか
・このメンバーはどうやって選出されのか
・何か活動を通じて、子供たちに事故でもあった時の対処規約的なものは持っているか
・無償ボランテイァとはおもうが・・・報酬的なものはあるのか
・若し、仮に私がこのメンバーに参加に手を挙げたら、どんな反応があるだろうか・・・・と。

私は、子供の頃は別として、成長してから町内会という組織・団体に属したことも、関わったもありません。
独身時代から、結婚し自分達の住む家を購入するまでは、アパート住まいでしたから、町内会との接点はありませんでした。
町内会と云う言葉を初めて知ったのは、駅前大開発のマンション群の第一期物件群を購入してから、3年ほど経過してからです。
JR横須賀線新駅前は、元々、山林や農地だったところに、土地共同組合と大手デペロッパーと建築会社の10数年に渡る大規模開発だったのです。
ですから、第一期物件群を購入した時は、廻りは駅だけで何もない広っぱでしたから、住民組織はイコール、マンション管理組合だったのです。
3年後、2期マンション群が出来始め、この駅前にも、少しづつ戸建てや、商店が出来、小学校の生徒も私たちのマンション群以外からの生徒も通うようになった頃、町内会の案内が廻ってきました。
私達は子供もいなく、仕事も毎日、東京都心、横浜に通う夫婦でこれから先も町内会やらPTAやらの組織との接点はないことを理由に、参加・登録をお断りし、でも会費だけは、ここに住む人間として町内会費は払いますと宣言し、退職後、現在の住まいに引っ越すまで払い続けました。

越して来た鎌倉の地には消防団があった
やがて、現在の住まいに引っ越しきた場所は、新駅駅前大開発地帯とは大違い、昔から神社・仏閣の多い地に農家が多く住み続けてきた歴史のある土地ですから、地縁・血縁の濃い、昔ながら町内会が存在し、地元住民による消防団まで結成されているのです。
私は子供の頃は地方とは云え、県で一番の歓楽街で生まれ育っていますから、消防団と云う組織は知りませんでした。
自治会と云う名前の組織はなく、商店街連合会的な、お店の旦那衆の組織しか知りませんでした。ここにきて、購入したマンション管理費の一項目に町内会費と云う欄があり、「ふーんそうなんだ」程度の理解でした。
ここの町内会は、新しく越して来たマンション住民は会費だけ払ってくれれば良い
却って積極的に参加して古くからの住民とのトラブルを起こしたくない、と云うのが本音です。
近所には昔からのこの地の鎮守神社もあり、お祭りの寄付金一覧が大きく張り出されています。
一般的に5,000円が多いですが、10万、5万の寄付も多く見受けられます。
きっと古くからお住まいの土地持ちの名士なのでしよう。

町内会とマンション新住民の関係
私がこのマンションの理事当番の時に、副理事として町内会担当として少し関わりを持ちました。
仕事は町内会館より回覧板を受け取り、52戸全戸に回し、捺印をもらうこと。
月に一度、市或いは県を経由してくる、案内、チラシ、お知らせ等を52戸の郵便受けに入れること年末のNHK歳末や、赤い羽根募金を各戸を廻って集めること。※
※これは、私が町内会担当になってから、止めました。とても住民の自発的善意の行為ではなく、日本の村社会以来の悪習です。
理事会に諮って、全52戸として一括でまとめて寄付(支払う)に改めました。


この町内会の重鎮メンバーでNPOセンターでもお会いし、名前と顔が一致する若干親しい方がいらっしゃいます。
数年前にこの地に自治会館が建設された時に、会館にパソコン導入し、IT化とまで行かずとも少しでも便利・使いやすい環境づくりの為に、お役にたてるのならNPOセンターとしても、地区住民としてもお手伝いします、と申し出た所、云いにくそう、遠慮気味に云われました。

NPOセンターのプロが来て下さるのは大変ありがたいのですが、それによって、ポジションを失う方が大勢でます。皆さんお年寄りですが、地域の役にたちたいと、プロがみれば稚拙かもしれませんが、それなりに一生懸命にやっています。
つまり、彼らの居場所、生き甲斐、それとほんの少しですが、お小遣いを取り上げてしまうことになるのです。

そもそも、自治会・町内会とはなんだ!
私はどうしても、自治会・町内会に官製的なものを感じていました。
本来なら行政がやるべき仕事を町内会・自治会に下請け的におしつけているのではないか?
純粋に住民が自ら、率先して参加、運営、住民最大公約数の為の幸福度・満足度の組織であるべきでは?
このブログを書くにあたって、ネットで色々読んだ観ました。

自治会・町内会歴史
太古の昔から人は,集団生活を営んできました。それは,孤立して生活するよりも集団でお互いに協力して生活する方が食糧の生産や外敵の防衛にも良かったからで,
自然に会得した知恵でした。
そうして至るところで集落ができ,それらが集まって村落となり一つの町や国が出来上がってきましたが,その形成過程のなかにおいて,一般住民は国の形成基盤をなしている住民自治組織を形成し,相互扶助の利点を生かして生活自衛の努力を払ってきました。
明治大正ともなると,経済の拡大,社会問題の激化にともない国策の徹底を図るために行政補助団体として,町内会は行政の末端組織として整備されていきました。
戦後,昭和22年(1947年)5月政令により町内会などの自治組織はすべて解散させられましたが,日々の生活を維持し身の安全を守るためには,身近な人々の相互協力が不可欠であったことや行政としても住民の協力を求めざるを得なかったなどの理由より,厳しい罰則のついた政令下にもかかわらず,解散後3ヶ月以内に8割近くが名目のみを変えて再建されました。


町内会・自治会をめぐる裁判の判例をみると、なかなか一筋縄でいかないようです。

ごみ置き場をめぐるトラブル
東京高等裁判所 1996年2月28日 判決
事件名: 一般廃棄物排出差止等請求控訴事件
原告/被告: 公平のために輪番制を提案した人が原告。それを拒否した人が被告。
勝敗: 輪番制に応じなかった人の敗訴。

自治会費をめぐるトラブル
最高裁判所 2005年4月26日 第三小法廷 判決
事件名: 自治会費等請求事件
原告/被告: 自治会が原告。退会の意思を示した住民が被告。
勝敗: 非自治会員の勝訴。自治会の敗訴



行政がやるのか、町内会がやるべきなのか、それとも個人の常識範囲内なのか
私の住む町内会ではないのですが、散歩で歩く閑静な住宅街を歩いていますと、この季節、道路をはさんだ所有者のはっきり分からない、雑木林の木々は紅葉・落葉して道路を埋めています。落ち葉を踏みしめて歩く、音と感触が心地よいのですが、ふと思ったのは、この道路は公道なのか、私道なのか、はたまたこの閑静な住宅街を開発した会社のものなか、誰も清掃しなのか?
後日、この住宅街に住む知人にこの話をしたところ、この画像の前のお宅は、本来なら、自宅前の道の清掃は社会常識・通念として、そのお宅がすべきものなのですが、かなり高齢者のご夫婦が住んでおり、それも出来ないような状況のようだとお聞きしました。
いつかは町内会の誰かが、やるのでしょうが・・・が。

高齢者のみの世帯が増えていき、町内会の役員、市から委託の民生員のなりてがなく、困っている状況がもう何年も前から続いているようです。

私も徐々に齢を重ねていきます。
いつまでも、自分の住む地域・町内会と無縁でい続ける訳にはいかなくなるのではと、感じています。

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 06:00| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月15日

コロナ地方経済支援 鎌倉買い物応援商品券「縁むすびカード」

鎌倉市は、市民1人に5000円分の電子クーポンの配布を決めました
鎌倉応援買い物・飲食電子商品券「縁むすびカード」と名付けられたこの事業は市内の中小店舗では新型コロナウイルスの感染拡大により、多くの店舗で売り上げが前年比3〜5割減という苦境が続いているのを支援し、消費行動を活発にすることで、コロナ禍に苦しむ市内中小事業者の支援につなげたい考えのようです。

10月1日時点で鎌倉市に住民登録のある人(乳幼児なども含まれる)を対象に、1人5000円分のカード型クーポンを配布するというものです。これらは、政府の新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金を使っての、各自治体ごとの独自事業のようで、鎌倉市は電子クーポンの配布という形をとったようです。

先週末、自宅にカミサンと私の分、二枚が普通郵便で届きました。
合計金額、一人5,000円、二人で10,000円
今日12月15日から使えるようです。
何処で、どうやって、使う、使えるのか?



鎌倉市のホームページをみると、
「地域の小売店、飲食店、サービス業など中小店舗の支援を目的としているため、店舗面積が1千平方メートル以上の大規模商業施設やチェーン店は除外される。」
とあります。
つまり、本社が鎌倉市内或いは、鎌倉市商工会議所会員の会社・事業所ではない所は使えない・・・
詳しく、ホームページサイトをみると
スーパー、コンビニ、ショピングセンターでは使えない。
勿論、家電量販店は使えない。
それなら、普段躊躇していまう、読みたい新刊書を買うためにと思って、本屋さんを調べると、地元の鎌倉駅前の本屋さんは使えるけど、駅ビルルミネに入っている本屋さんはダメ、市内で一番大きく、豊富に扱っているセイユーの本屋さんもダメでした。
カミサンは、ただで貰った5,000円のクーポンだから、普段買えない「化粧品」を買おうかしらと調べても、ルミネのなかの専門店は当然ダメ、ドラッグストアーもダメと解り、それなら冬物の毛布にしようかしらと、調べると、これもチェーン店の為、ダメでした。

いったい何処で使えるのか?とじっくりと調べてみると
パン屋さん、お肉屋さん、お米屋さん、ケーキ屋さん、総菜屋さん、等駅ビルルミネに入っていても、地元企業のお店はどうやら使えるようですが、カミサンの望む化粧品や、衣類のお店は見つかりませんでした。
飲食店はかなり多くのお店で使えるようです。
やはり、地元資本の小さな事業所はほとんどOKでした。
変わったところでは、運輸業の枠で、人力車の個人が登録されていました、が誰がつかうのでしょう。

このような市町村独自のコロナ禍経済対策は他の市町村でもやっているのか、調べてみるお隣の藤沢市でもやっていました。
藤沢市は、「ふじさわ元気回復プレミアム商品券」と云う形です

新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴う緊急事態宣言により、大きな影響を受けている藤沢市の経済の早期回復、地域における消費喚起を目的としますとあります。
1冊5,000円で額面500円券×13枚、つまり1,500円分お得、1人あたり最大4冊まで購入可能と云う事で最大6,000円の行政の補助と云う訳です。
私が藤沢市民でも買いません。
これまで、鎌倉・神奈川県などでもプレミアム商品券が発売されてきましたが、大きな買い物をする予定でしたら使い勝手がよいのですが、最終的にはお得でも自分の財布からの出費も増えることになります。
消費の起爆剤になるかもしれませんが、一定年金収入の私たちシニアにとっては、プレミアム商品券よりも鎌倉市のような現物支給のほうが使えるのです。

今年の春、コロナ禍対策臨時定額給付金、10万円が配られた
この政策の過程で政府内では、現金を配っても半分以上は経済を刺激する購買には回らず、貯蓄されてしまうとの意見が多数あったそうです。
確かに一理あります。私の場合、いただいた10万円はいまだ、手を付けず残っています。
この10万円と云う金額、意外にも私の廻りで廻っています。
今年、この政策とWindows7のサポート打ち切りで新たにWindows10に買い替える人が増えました。
今年になり、このWindows10買換え相談と、新規立ち上げ、旧PCからの引っ越しなどの一連サポートを4台やりました。
ほぼ全員(実兄を含め)シニア世代の方々です。
後期高齢者となり、これが人生最後のパソコンであろうと考えている方ばかりで、予算はセットアップサポートを含め、全て込みこみでコロナ給付金の10万円と云う方が多かったです。

新しいパソコンのスペック要望は
・マイクロソフトオフィスは必須
・光学ドライブは必要
・フルハイビジョンのスクリーン
・出来ればハードはSSD
・年賀状ソフトがある機種
・メモリーとCPUスピードはあまり深く考えていないようです。

結局、使い勝手は、メール・インターネット・ワード・エクセル・写真の収納・葉書ソフトが出来れば良いようなのです。
SSDのPCで、処理スビートを上げ、マイクロソフトオフィスが必須となると、win10のセットアップ&引っ越しサポートの最低予算10,000はきつくなりるのを告げると、皆さん、ワード・エクセル絶対に必要と云います。
仕事ではないので、もうはいらないでしょう、昔造ったエクセルを開き、上書き出来る対応ソフトは5,000円台であると進言しても、やはりワード・エクセル・アウトルツク世代ようです。

win10のセットアップは、今、その場で繋がるメール環境でありさえすれば、そんなに難しくなく、そこにgoogleアカウントかあればもっと簡単にセットアップできるのですが、一番の問題、苦労するのは、ご本人がアカウントもパスワードも知らない、忘れていることです。
ほとんどの方は、メモさえされていなく、古いPCのなかから、何とか探し出すしかないのです。
それも、win8までなら、フリーパスワード検索アプリで何とかなりますが、win7、8を10にバージョンアップされていると、新たにwin10でも使える有料のソフトを4,000円くらい出して買わないと出来ませんし、このアプリはPC一台に一つしか使えない代物なのです。

このソフトはこれまでにブラウザ上で入力したID・パスワードをすべて1クリックで復元し、一覧表示します。ID・パスワードを忘れて永らくアクセスできなかったWEBサイトにも、これでアクセスできるようになります。

Recover Passwordsの参考URL https://ging.co.jp/product/useful/recoverpass.html

10万円のコロナ禍対策臨時給付金のほんの一部は、私のような貧乏年金シニアおじさんにも波及しているのだから、良しとしましょう。


ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月13日

閑静な住宅街もいいけど 退職後・老後の住宅環境を考える

コロナ禍に翻弄される、2020年。12月半ばにもなると、比較的温暖と云われる、湘南鎌倉でも寒くなり自宅で過ごす時間が長くなってきます。
そんな午後、自宅でパソコンに向かっている午後のお買い物から帰って来たカミサンは、
「今日一日外に出ていないでしょう。一日少なくても一万歩あるかないと、再春館製薬の広告のようになるわよ」と云います。
「何だ、その再春館製薬って」と云うと新聞の一面広告を差し出しました。



確かに、このイラストは他人事ではなく、思いあたることがゼロとは云いません。
■下り階段はかなり慎重に歩くようになってます
 特にコロナ禍ではなるべく、手すりに手をふれないようにしてますから、尚更です。
■歩くのが遅くなった
 自宅から駅までは、裏山の栄光学園の学生の通学路すが、ここ数年、意識して歩かないと
 追い越されついていけないことがあります。
■すこしの段差でも躓く
 歩く時、靴のつま先を意識してあげて歩くようにしてますが、確かに靴底をみると減り方
 が、数年前より早いです。
■何かにつかまりたくなる
 意識していないのです、自然に立ち上がる時に支えになる、掴まるところを目でさがして
 いる、自分を意識しています。

自分はメデイアに登場する、団塊世代・古稀・70代と比べても断然若いと思っていても、他人からみれば立派な高齢者であることは確かなのでしよう。
そこで、この季節、鎌倉では4時半になると、子供向けの地域防災無線から、夕方を知らせる音楽が流れる前に、カミサンに急かされて、近所へ散歩ではなく体力造りのウォーキングに出かけるように努めています。
別に、全く暇ですることがないという状況ではなく、自宅の自分の部屋のパソコンの前に座っていると、やらなくてはならないことは沢山あるのですが、期限や日時が迫っているものは、ほぼ済ませてあるので、歩きやすい靴に履き替えて外出します。

今日はどこを歩こうか? 閑静な住宅街へ

何時も同じコースを歩いてもつまらないと、ルートを決めずに歩きだしました。
そうだ、今日は一度歩いたことのある、玉縄城址跡を通るコースを久しぶりに歩いてみようと、自宅裏から歩きだしました。
自宅裏近辺には、小田原北条氏の出城跡があり、地元歴史団体がこの出城跡への散策路を整備しており、この団体のホームぺージサポートの為に、現地を一度歩いたことがあります。
お城と云っても、天守閣があった訳でもなく、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、防御の為に築いた砦跡です。
歩き始めて、その散策路への入り口が解らなくなってしまいました。
12月の4時近くで、日も傾きだしてきたので、急峻な山道を登るのを諦め、大回りして舗装道路を、散策路出口方面に歩きだしました。

この自宅裏山は周辺は、大船郊外の学園ゾーンで、男子有名進学校や、カトリック系女子高、公文国際学園などがある地域です。
17年もこの地域に住んでいますが、この近辺から、公道を通って城址跡出口に行くのは初めてで、スマホマップをみると、方向的にはこの地にある大きな住宅街を抜けていけば行けるだろうと、判断して、「早雲台」へ足をむけました。
参照地図にあるように、鎌倉市大船地区には1970年代後半から90年代にかけて、大規模住宅地開発が行われました。
東京駅から電車で42分、静かな、緑あふれる、歴史的な街、湘南の海にも近い景勝地として、東京に勤めるサラリーマンに人気の地なのです。
21世紀の環境を大切に考える現代ではかなり大規模住宅地開発には規制がかかるようになっていいますが、その当時は緩やかで、高度経済成長、バブル真っただ中であったので、私の住む近辺には「○○台」と「○○山」と云う戸建て団地が沢山造られました。
「台」とか「山」の名前で解るように、すべて丘陵を削って建てられた地域です。
※鎌倉NPOセンターには、多くの環境保護市民活動団体が登録されていますが、ほとんどがこの時期に設立された団体です。

私は、初めてこの「まるまる台」のなかに足を向けました。
NPOで働いていた、この「○○台」と「○○山」にお住まいの多くの方々と知り合いになっています。
共通しているのは、年齢層は私より一回り上の世代、そして皆さん東京の一部上場企業にお勤めで、有名大学の高学歴の方々です。
バス停から、かなりの坂道を上がっていくと、文字通り「閑静な住宅街」に入ります。
土地はみたかぎりでは、60~80坪はあるでしょう。
建設当時の家と、最近建て替えられた家、半々ぐらいです。
基本的には、ブログ塀はなく生垣で仕切られています。
住宅街の入り口に住宅マップがありました。
各戸のお名前が記載されています。
あの人はここの住宅街にお住まいなんだ。
あの当時は、個人プライバシーと云う問題はなかったんだ。

かなり日が傾いて暗くなってきましたが、街灯がほとんどありません。
そっか、何時か耳にしたことがあるけど、高級住宅街には街灯がないことが多いのは、街灯の明りが自宅敷地内まで届き、照らすのを嫌がる人がいるのを聞いたことがあるけど、本当なんだ。
この住宅街の先の出口方面に歩いても、商店も自販機もいっさい見かけません。
確かに、緑あふれる「閑静な住宅街」だけど、買い物を何処でしているのだろう。
この住宅街を北条氏出城跡に抜けると、今は大型ショッピングモールへ下る急峻な坂道にでられますが、入居当時はなかったです。
現役時代は家族・奥さんの運転する車で駅まで、送り迎えしてもらい、土日は喧噪の都心から離れ、文字通り「閑静な住宅街」で過ごす生活は企業戦士であった頃は貴重な生活環境であったでしょうが、退職し、毎日が日曜日の生活になると、この「閑静な住宅地」は閉ざされた僻地の
環境になってしまうのです。
何処に行くにも、車は必要で、今まで奥さんが当然のごとく送迎してくれていたのが、「私は貴方の運転手ではない」と宣言されます。

退職後の老後の生活で徒歩15分から20分以内にあって欲しいものは
■ 鉄道駅 ■ 銀行 ■ 郵便局 ■ 役所・行政支所 ■ 公民館・学習センター 
■ 図書館 ■ 体育館■ コンビニ ■ ショッピングセンター 
■ 掛かり付け医院・歯科 ■ 高度医療大病院 ■ 緑地公園 
できればあって欲しいものは
▲ スポーツ施設・運動公園・プール ▲ 映画館 ▲ 家電量販店 ▲ 海・浜辺・水辺
これって、過剰な要望なのでしょうか?

都市部の過疎化、老人の孤立化問題
私の住む地域の大規模開発戸建て住宅街では、過疎化が進行して問題となっています。
開発当時、数件あった肉屋さん・八百屋さん・クリーニング店もなくなり、山の上から下までくだらないとコンビニもありません。
大きく成長した子供たちは全て、実家を出て行き、70年代後半から90年代に建てた家には、80代の老夫婦二人生活所帯が増えており広い庭の手入れも出来ないような状態が多くなってきています。
この地を離れ、もっと町に近い所に引っ越しを考えても、住民協定で土地を売る時の分筆が出来ないこともあって、売りたくても売れません。
町内会を組織して、活性化を図る努力は続けられていますが、少子化・高齢化の波はなかなか止めることは出来ないようです。

私が鎌倉に越してきてから、始めたスポーツの「硬式テニス」「バドミントン」「ラケットテニス」のうち、現在も週一で続けているのは唯一、「ラケットテニス」だけです。他は古稀を迎えて体力不足や、コートまでの遠距離が理由で辞めました。
このラケットテニスにマップにある「観音山」から毎週通ってくる70代のご婦人がいます。
元気なご婦人ですが、ご自宅から坂の下の大船駅まではタクシーで降りてきます。
この住宅地は急こう配の手すり付きの坂があり、膝にトラブルを抱えるようになってからは、無理せずにタクシーで駅まで来て、体育館までは歩いてきて、帰りも駅からはタクシーです。(この坂は冬場年に一・二度の降雪の時は車は通れない急こう配なのです)
このご婦人は、この地に家を建てる時に、この坂は全く気にしていなかった、駅から近く、静かで、晴れた日には富士山も見えるし、気に入ってここに決めた、あの頃、年老いてこんな状態になることは考えもしなかった。と云ってます。

確かに、30代・40代で家を建てる時、閑静な住宅地は理想で、定年退職後の老後の生活環境をイメージすることは無理です。
それなら、退職直後、まだ元気なうち、老後資金の目安がついているうちに、二人の70代の老後の日々の生活をイメージして、引っ越し、住み替えを一度検討することを、これから退職し、老後年金生活を始める方々にお勧めします。


ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月11日

団塊世代シニアの緑内障視野検査と飛蚊症

一昨日は年に二度の「緑内障」の為の視野検査で自宅から徒歩15分の市内の眼科医院に行ってきました。
予約の時間は11時なので余裕をもって10時半に自宅を出て、帰宅したのは、12時30分でした。
2時間ちょうどかかったことになります。
駅前の眼科に行き、帰りに調剤薬局で、ドライアイと疲れ目の点眼薬を受け取るだけで、こんな関東首都圏の比較的便利なところに住んでいるのに2時間かかったのですから、ちょつと地方の電車・バスの本数の少ないところにお住まいの、シニアにとって、1日がかりのイベントになることでしょう。

シニアの医者通は一か所でも2時間

普段から、個人・自由旅行で地方の路線バスを利用しているとよく解るのですが、バスのルートはほぼ間違いなくその地の基幹病院を必ず寄っていきます。

先月の愛知旅行でも、香嵐渓に行く一時間の一本のバスは、大きな幹線道路を走っていたかと思うと、すぐに曲がり、どんどんと県道に入り、大きな病院の玄関まではいって行き、必ず5~10分停車して、時間調整をしていました。
名古屋郊外の「浄水」から「足助」の香嵐渓バス停まで3か所の病院によっていきました。

「絞り染めの有松」から、桶狭間古戦場まで20分歩いた帰り、ちょうど有松駅方面のバス停があったので、帰りのバスに乗ったところ、バスは来るときに歩いてきた真っすぐ県道から曲がりました。
きっと何処かの病院に寄っていくのだろうと思う、ピンポーン正解で、バスはこの地の少し大きめの病院に寄って、有松駅に到着しました。
歩いて直線距離20分のところ、バスで25分要しました。

私の実家、県庁所在の新幹線も停まる中規模都市長野市の近郊の住宅街でも同じで、通常の歯科・眼科ていどでしたら、歩いて行ける距離なのですが、少し高度な治療・検査となると車で30分ほどいかなくてはなりません。
実家の兄、兄嫁はまだ車の運転には何ら不安はありませんが、後期高齢者となり、今二台ある車の一つを手放す予定のようです。
私は、「バス停まで徒歩10分程度の距離なのだからで、無理しないでバスで行ったら」と云うと、長野赤十字病院までは、一度駅で乗り換えが必要で、そう本数も多くなく、自宅からは三角形の二辺を行くようなルートで時間もお金もかかる、車とほうがどれだけ便利、経済的か、都会とは違うのだ、と云われました。

なるべく医療費は同じ月にまとめるようにしています。
本来なら、11月が2年に一度の視野検査なのですが、12月にファミリードクターの内科定期健診と、4ヶ月に一度の大病院での前立腺がんPSA検査が予定
されているので、歯医者さんでの歯石とり二回も含めて、12月に医療費負担を集中させます。
■眼科医療費は検査が高く 2割負担で2,470円
■ドライアイ・疲れ目点眼薬 6本 調剤薬局分 690円
■歯科 歯石掃除 2回 1,720円
 ここまで4,880円 高額医療8,000円まで3,120円 と云う計算でいます。

1年に2度の眼科検診
退職後に本格的に眼科に通うようになったのは、60代半ばの検診で眼底圧が少し、高く、緑内障予備軍と宣言されてからです。
特別何の症状、不都合もないのですが、緑内障の怖いのは突然の失明と云われました。
確かに、失明は怖い、嫌だ!
私の伯父(母の弟)は、糖尿病の悪化で失明し、50代で車内に排気ガスを引き込み自殺しています。
カミサンは白内障予備軍で、お互いに年老いて外出できずに、二人で家の中に引き籠るのは絶対に嫌だねと話しています。

気になっていた目の症状 黒い小さな点
先月半ば、パソコンを見つめていると、左目に本当に小さな黒い点が映りました。
パソコンモニターの汚れかと思い拭いても、黒い点は目の動きとともに移動します。

これはヤバイ、緑内障、失明の前兆なのか?
目を擦すると、なくなるのですが、今度は部屋の白い壁に同じく左目の範囲に現れます。
これは、疲れ目、あるいは目に何か小さなゴミでもついているかも、と洗面所で洗顔すると、消えてなくなりました。
数日後、再びあの黒い小さな点が同じような場所に現れました。
これは、まずい、高額医療費を1か月にまとめる為に、11月の眼科検診を12月にずらしている場合ではない!
カミサンに、眼科に行こうかと思っていると、目の症状を説明すると、いとも簡単にそれ「飛蚊症」、老化のせいと云いました。

参天製薬webサイトより引用

飛蚊症とは
飛蚊症とは、モノを見ているときに黒い虫のようなものが動いて見える状態のことです。
黒い虫のようなものの形や大きさはさまざまで、視線を動かすと追いかけてくるような動きをする場合もあります。
症状が出る年齢もさまざまで、20代から症状を自覚する人もいます。
飛蚊症の原因は、生理的なものと、目の病気が原因で起こるものとに分けられます。

生理的な原因の場合
生理的な原因で起こる飛蚊症は、目の構造と密接な関係があります。
目の中は空洞ではなく、透明なゲル状の硝子体(しょうしたい)という物質で満たされています。
硝子体の成分は時とともに変化し、一部にしわのようなものができます。
すると、この部分が濁ってその影が網膜に映り、視野の中で黒い点のように見えるのです
また、加齢とともに硝子体が萎縮してしまうと、硝子体の後ろが網膜から剥がれてしまい、この部分が黒い点のように見えることもあります

病気が原因の場合
飛蚊症を引き起こす代表的な病気には、網膜剥離があります。
生まれつきの飛蚊症
母体内で胎児の眼球がつくられる途中では、硝子体に血管が通っていますが、眼球が完成するとこの血管は無くなっていくのがふつうです。しかし、生まれた後も血管の名残りが硝子体に残存すると、これが"濁り"となって飛蚊症の症状を感じることがあります。
このタイプの飛蚊症は、生理的なもので健康な目にも起こる現象ですから、症状が進まない限りはあまり気にしなくてもいいでしょう。

飛蚊症の対策
飛蚊症で大事なことは、その原因が生理的なものか、病気によるものかをはっきりさせることです。生理的な原因による飛蚊症の場合は、特に治療の必要はありません。
しかし、網膜剥離などの病気が原因の場合は、早急に治療が必要となります。次のような症状がみられるようでしたら、ぜひ眼科を受診してください。
●黒い点の量や範囲が急に増えた
●暗い場所で突然稲妻のような光が見える
●急に視力が低下した
●視野の一部分が欠けている


と云う訳で、12月まで眼科受診を伸ばして、一昨日眼科の先生に診てもらいました。
それによると典型的な老化による飛蚊症と判断されました。

視野検査の結果は
視野検査は何度やっても苦手です。
顎とおでこを固定して、一点を見つめ、ランダムに点灯する強弱の光る点を目で追いかけないようにして、光ったらスイッチを押すという単純な検査なのでしょうが、齢とってくると瞼が下がる為に、清水アキラの物真似のように、セロテープで吊り上げる、実際に鏡で見たことはないのですが、さぞかしぶざまな老人の姿なんでしょう。

そして、ミスしてはいけないとはやる気持ちで、動作音がすると反射的に見えていなくても、スイッチを押してしまうのです。
しばらく、5~10秒も光の点滅が確認できないと、「俺の目の緑内障がかなり進行しているのではないかと」と焦ります。
もっとこんな、人間の目と心理が影響するような検査方法ではなく、近代科学、デジタル的解析方法で進行具合は分からないのか?

前回から担当医、主治医が若先生に代わりました。
以前は古稀を過ぎた優しい感じの女医さんで、老人女性にとても評判の良い先生でしたが、齢と体力的な理由で、息子さんに代替わりしました。
都内の有名医大の眼科の主任をしていた40代前半の先生です。
私としては、女医さんより話易いので、この検査の判定エラーについて質問してみました。
さすが、大学病院の眼科主任だけあって、私の主張する人為的・精神的なエラーについて、メーカーと何度も試行錯誤を重ねてきていて、光る点の出没位置、間隔などのデターと、治験者のエラーの相対関係は実証済み、折込み済みで、コンピーター診断しているそうです。

この若先生の代になって8ケ月、今までいた検査技師、看護婦、受付の3/4が代わりました。
そして新しい検査機器が入ってきています。
私がまだ現役のプログラマーをしていて、そのせいで疲れ目・ドライアイなのを知っているので、この日思い切って電子カルテへの切り替えはいつやるんですか、と聞いて見ました。
苦笑いしてながら、当分出来ませんよ。今のスタッフの半分はキーボードが叩けないのでから。そして先代の先生がまだお元気うちは無理ですね。と答えていました。
私たちのNPO団体にかかわらず、何処でも、世代の代替わりはたいへんなようです。

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人過去のブログ
2011から2019年までのブログ
posted by 西沢 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年12月09日

マンション管理組合理事会役員が巡ってくる

私の住む共同集合住宅(マンション)は来年の3月で、新築入居2004年から17年目を迎えます。
52戸の中規模集合住宅で、管理組合の役員は4名です。

理事長 法的に住民を代表する役職 実印・銀行通帳を預かる立場

副理事長 町内会・地域行政担当窓口

会計 出納業務担当(実際には管理会社窓口)

会計監査 会計監査担当、なんでも屋的な業務

四名が住戸の順番で自動的に廻ってきて、役職は互選となってますが、結果的にはくじ引きで決めています。

役員が廻ってくるのは単純計算すると52÷4で13年に一度の計算ですが、理事役員は、実際には現在住んでいる所有権がある人に限られており、賃貸の人は管理組合に所属していませんし、所有権があっても現在住んでない方も、管理組合理事にはなれない規約になってますので、13年よりも若干早く廻ってきます。

先月、来年からの管理組合役員の予定表が廻ってきました。
予定スケジュールから、私が理事をやらなくてはならないのは、再来年2023年の3月からです。
ひと回りするのに、12年。計算よりも1年早く廻ってくることが解りました。
ほっとしたのは、私が理事会役員の時に、大規模改修と云うマンション理事会の一番の大仕事の年でないことです。
私たちの共同集合住宅は2004年、入居・引き渡しですから、マンション業界で云われている10年毎の大規模工事・補修は、2014年、2024年となり、私が理事の時に、翌年の基礎計画・予算・施工業者・監理会社の選択、管理会社との折衝、打ち合わせをしなくてはいけない訳だったのですが、私たちのマンションは、最初の10年目の大規模補修工事をしませんでした。

マンションの改修・補修工事は10年毎、と云われていますが、その根拠は実はないのです。

建設業界が自分たちで勝手に決めたルールで何が何でも、10年目にやる必要は全くないのです。
入居9年目、2013年の理事会役員のなかに、大手設計事務所の社員がいて、提案してきました。
先ずはプロの目で、10年目の瑕疵検査をしましょう。その結果に基づき、補修・改修工事をいつ、どういう形でやるか決めましょう、と云う決議がなされ業界でも、メディアでも有名な設計監理事務所に調査を依頼しました。
その結果、施主(販売会社○○地所)・施工会社(大阪の中程度ゼネコン)の竣工検査の内容と、現況に明らかな不備、手抜きがあることが判明し、まずこれらを10年目以内の無償保証期間に済ませる工事をしました。
その結果として、通常20年目としての大規模補修工事は、竣工してから17年目の来年2021に行うことになった訳です。

私が、最初の管理組合の役員を仰せつかったのは、2011年の年でした。
2011年の理事会役員の時をよく覚えています。
私たちの共同住宅は7年目、まだ大きな修繕や、瑕疵もない時期で、この年なら理事会役員はたいした仕事もなく楽だろうと思っていましたが、2つ大きな仕事がありました。
1,春に起きた東日本大震災による、自分たちのマンションへの影響の調査と、これからの大災害に対する対応と計画の策定
2,地デジが始まる年で、私たちのマンション内部はすでに対応出来ていましたが、私たちのマンションは、中層建築物として建設当時、近隣低層戸建てへの電波対策が義務化されており、私たちのマンション屋上に有線分配用のアンテナがあったのです。

自動的に順番で選ばれた4名は
当時63歳の私と、他3名は30代〜40代の働き盛りで、その内の1名はご主人男性が多忙で出席が難しいと、奥様が出席されていました。
くじ引きで私は、副理事長として、地域の町内会を担当していたのですが、新役員会がスタートして半年で、理事長役の40代の方が転勤となり、副理事長の私が兼任となってしまいました。
震災後のマンションの瑕疵調査は、すでに理事長が率先して行われおり、中規模マンションの今後の大震災・災害などに対する策定計画は、管理会社内で行われており、ひとまず安心でした。
私は地デジ対策に専念しました。
webプログラマーでも有り、どちらかと云うと専門家的立場でしたから、全て私にかかってきました。
先ずは、竣工当時の図面を見て、私たちのマンションのアンテナから配分している戸建ての数、場所を調べました。
次に、これらの戸建ては本当に私たちのマンションからの有線でTVを見ているのか?
もしかしたら、地元の鎌倉ケーブルTV(現Jcom)でみてるかも知れない。
もうひとつ疑念は、政府・NHKは、関東全所帯地デジ放送が受信できるように、努力しているとの報道です。
それなら、現私たちのマンションからの有線ケーブルがなくても、大丈夫なんではないか?と考えました。

そこで兼ねてからお付き合いの地元ケーブルTVとJVを組んで、これらの問題解決にあたることにしました。
実はこの時期、地元ケーブルテレビ局は地デジ対応として、インターネット回線と抱き合わせ営業でこの地域を廻り始めたのです。
先ず、私たちのマンションの屋上でどの程度の強さ地上波デジタル信号を受信できるか、調べました。
その結果、やはり山影、谷沿いでは電波状況は若干落ちることが分かりました。
次に私たちのマンションケーブルで本当に現在TVを見られているかの戸建て調査ついては、ケーブルTV側のアドバイスがありました。
私たちマンション側で動くと、全ての影響がマンションのせいにされ、全ての経費やら保証を要求される可能性があるので、ある程度の調査費と云う名目で処理していただければ、全て自分たちが営業を兼ねてやります、との回答を得てスタートしました。

結果は
私たちの屋上からのケーブル配線はゼロになりました。
この当時、近隣には多くの古いアパートが点在していたのですが、現在一つもなく全て、小ぎれいな2階建てのカタカナ名のマンションになっています。
戸建ての一部は、予想通りインターネットと一緒にケーデルテレビ局と契約しています。

来年の春過ぎから大規模補修が行われます。
10年目の瑕疵補修の時は足場を組まず、必要な時には、屋上からのリフトと住戸内通過ですませましたが、今回は足場を組みます。

5階建てですから、そんなに大規模の足場を組む必要はないと思われますが、作業員の安全とコロナ対策で、出来るだけ、住民との接触を避けるのが狙いだそうです。
私と同じフロアーの2つ隣の女性が今回の理事会役員となっています。
元々、お年寄りの実父のお住まいで介護の為に住まわれていたのですが、お亡くなりになり、現在お一人でお住まいです。
2つ先のドアに20年近くお住まいになっていますが、お顔をみると解りますが、一度もお話したこともありません。
お名前も定かではありません。
私たちのマンションでは、郵便受けにも玄関にも、表札をだしている人は少ないのです。

今回の理事会役員選出名簿を見てカミサンは
我が家が次の理事会役員をやらなくていけないのは、2036年ね。
貴方は88歳ね、生きていて頂戴、私はそんな役員なんて絶対にやりたくないから。
私、「77歳が喜寿だから、88歳って何ていうんだっけ?」
カミサンは「米寿」だとおもう。
私「そりゃ無理だ、99%ない、そんなシミュレーションもしていない」
カミサンは その時私は85歳だから、役員・理事は免除してもらえるわ。
私「そう願っています」

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方


管理人のwebサイト過去のブログ記事2011から2019年までの記事
posted by 西沢 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ