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2020年01月17日

ヒヤリハット・ハインリッヒの法則が加齢とともに身近になってきた

ヒヤリ・ハットとは
重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例の認知をいう。
文字通り、「突発的な事象やミスにヒヤリとしたり、ハッとしたりするもの」である。
ヒヤリ・ハットは、結果として事故などの危難に至らなかったものであるので、見過ごされてしまうことがある。
危難が発生した際には、その前に多くのヒヤリ・ハットが潜んでいるおそれがあるため、ヒヤリ・ハットの事例を収集・分析し危難を予防することが望まれる。
そこで、職場や作業現場などではあえて各個人が経験したヒヤリ・ハットの情報を公開し蓄積または共有することによって、危難の発生を未然に防止する活動が行われている。
このような活動は、ヒヤリ・ハット・キガカリ活動とも呼ばれる。

「ハインリッヒの法則」とは、
労働災害の分野でよく知られている、事故の発生についての経験則。
1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常、いわゆるヒヤリハット(ヒヤリとしたりハッとしたりする危険な状態)が隠れているというもの。
「1:29:300の法則」とも呼ばれます。


最近、ヒヤリ・ハットを意識、経験することが増えました。
普段、健康・運動面を考え、なるべく歩くようにしているのですが、ちょっと急いでいる時にはついつい、自転車(自動車ではなく)に乗ることがあります。我が家の廻りの道路は歩行者専用の歩道が少なく、自転車は軽車両ですから車道の左側を走るようにしています。
ほんの数年前までは、自転車(ママチャリではなく、サドルの高い、足が着くか着かない程度のスポーツタイプ)で大型ショッピングセンターまで行っていたのですが、最近、左側を走る自動車の脇を抜ける際に、よろけそうになり、道路の左側に着地した時に転びようになりました。
またある日、浴室の電球を交換する際、ユニットバスの縁に足をかけた際、滑り、左手を大きく壁に触れ、身体を支えました。
ヒヤリ・ハットです。

思い起こすのは、7年前、2013年1月に公開された映画「東京家族」のシーンです。
「東京家族」は小津安二郎の名作「東京物語」を現代風にリメイクした「山田洋次」監督作品です。瀬戸内海の島の学校の校長先生を退職した父親と母親が、東京に住む子供たちを訪ねて上京し、何日か過ごす物語です。

父親役は橋爪功が演じるのですが、年齢設定は65才
この映画を見ている私と同じ年齢なのです。映画を見ながら、橋爪功の演じる東京に出てきた元教師の65才は、オーバーアクションと感じました。いちいち、日常生活で65才は、立ち上がったり、座ったりするのに、あんなオーバーな、緩慢な動作をするか?と思って見ていました。

あの映画から7年たった今、あの橋爪功と同じような緩慢な動作を私はしてるかも知れません。
カミサンに云われています。
最近、食事の際、食べ物をこぼす。
耳が遠くなっていない?。

それは、数年前、今は亡くなったカミサンの母親90才と同じ姿なのです。

いつか我が身か、つまづき転倒
倒れているシニア老人を見たら助けるのは当たり前の日本の常識は、世界の常識ではないかも知れません。
先日、成人式の日、私は駅を降り、自宅に向かって歩いている時、前方からかなりくたびれて服装のシニア男性とすれ違いました。
数歩あるくと、後方でドサッと音がして振り返ると、先ほどの老人?が躓いたのか歩道に倒れていました。
一緒にすれ違った成人式の振袖姿の二人の女性は、どうしようか思案しているように見えました。しかし、この二人はそのまま、駅に向かって歩いていきました。
10mほど離れていた私は、どうしようか、駆け付けて起こし、声をかけようか、或いは救急車を呼ぼうかと考えました。
かなり汚れた服装のお年寄りっぽい人で、躊躇したのです。

人が倒れていたら助けるのが当たり前?世界の常識じゃないの
そして、思い起こしたのは、海外で過ごした経験や、旅の友人たちの話でした。
アルゼンチン滞在時代、友人のアルゼンチン人と一緒に都心からはなれた街中を車で走っていた時、前方に顔を血で赤く染めた男性が、車の前で手を振って停車を求めています。何か事故或いは、怪我、事件かも知れません。
その友人は車のスビートを緩めましたが、その助けを求めている男の脇をすり抜けて、遠ざかりました。
「何で、停まってやらないの?」と聞くと、「この地域は都心と違って、貧困層が多く住む地域、善意で止まって車に乗せ病院に運ぶと、可なり高い割合で、あの男は、俺の車にはねられたと云うかもしれない、そして、病院も治療費を俺に請求するだろう、民意の成熟した日本とは違うのだ」と云いました。
全く同じ話をロサンゼルスに住む日本人からも聞きました。
ヒスパニック・カラードの多い町では、日本人の善意が通じないケースが多い。
これは、旅の仲間からも聞きました、インド・中国でそのようなケースに遭遇したら、何も手を出さずに、やり過ごせと云うのです。
このようなケースの場合、警察も病院も弁護士さえ、金持ち外国人にツケを回すと云うのです。

ここは、日本、まさかそんなことはないでしょうが、晴れ着姿の二人の成人式帰りのは面倒なことに巻き込まれたくない事情もあったのでしょう。
私は躊躇し、そうと思った矢先、お年寄りのご婦人がその男性の傍に駆け寄り、声をかけています。どうやらたいした事がなかったようで、その男性は重い体を立ち上げ、駅にほうに歩いていきました。

定期的に運動し、積極的に社会活動している私でも、老化・加齢は確実に忍び寄って来てするのです。何時か、近い将来、カミサンに自転車を取り上げられる日が来るかもしれません。
そんな思いがした日でした。
posted by 西沢 at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月14日

断捨離を加速させる、スーツケースの処分を決行する。

私たち夫婦は、結婚以来、4回引っ越しをしてきました。
今、住んでいる鎌倉は5回目、退職して1年目に”終の棲家”となるかもしれないと、決めた家です。
これまでの引っ越しの都度、今でいう断捨離、不用品の処分をしてきました。
引っ越す度に、ほとんどの家具・家電などは処分したり、知合いに譲ってまいりました。
子供のいない、夫婦二人だけの家庭ですから、多くの家庭よりは物は少ないと思っています。
鎌倉に越して来て16年ですが、滅多にお互いの友人、兄弟は我が家に来ませんが、来た人達きまって云うにはモデルルームみたいな家、生活感がない部屋、というほど、本当に何にもない家なのですが、それでも、物は溜まっていきます。

現役時代に住んだ横浜の83平米の共同住宅には、二畳ほどの納戸があったので、そこに普段使わないものは全て収納していましたが、終の棲家の現在の家は81平米と横浜時代の家とさほど変わらない大きさなのですが、収納スペースは沢山あってもそれぞれが小さいのが難点で苦労しています。私は、元々物を持つことに執着しない性格な上、カミサンに至ってはどんどんと捨てることに何の躊躇もしない性格なので、他の家庭よりも物は極端に少ない家庭です。
しかし、年齢を重ねるとものは貯まります。
特に、今まで生きて来た思い出が染みついているものは、なかなか捨てきれません。
二人ともに旅行好きですから、写真アルバム・旅のビデオ類・旅の友人から絵葉書フォルダーなどで、私の書斎の本棚はいっぱいです。現役時代から読み続けて、捨てられない本も沢山あります。これらの本・アルバム・ビデオライブラリーは、私が齢をとって旅行にもでかけられず、自宅にいる時間が長くなったら、静かに一人、それらを眺めながら残された余生を送ろうと、残してきたものです。

しかし、解っています。
晩年、自分がが弱ってきたら過ごすのは、自宅の居心地の良い自分の城、住み慣れた書斎ではなく、無機質な病院のベットであろうことは、ほぼ確実なのです。
とても、昔の手紙や、思い出の写真、自分の歩んできた旅のビデオを見て過ごすような環境ではないでしょう。
私の理想としていた逝きかたは、名画「ゴットファザー」のような逝き方です。
故郷、南シチリア、陽光のさす自宅の庭園の椅子で、子犬をあやしながら、人知れず静かに眠るように逝く。
こんな逝き方をしたいと願っていますが・・
そして、解っていることは、カミサンは私の生きて来た証、写真も手紙類も、パソコンの中身もみーーんないらない、捨てて処分することでしょう。

現役を退職して、横浜の自宅から現在の鎌倉に引っ越すさい、カミサンは私の一番上等な背広・ネクタイを一つだけ残して全部処分し、残ったのは観光葬祭用の黒の礼服だけです。
現在でもTVCMの影響なのでしょう、二年着ていないものは、捨てると、どんどん買換え、処分しています。
彼女自身のもでなく、私の洋服もどんどんと捨ててます。
カミサンの言い草は
「シニア、齢をとったらお洒落とは云わないが、身綺麗にしないといけない」
「髪型、靴、着るものが年寄りじみてくる」

確かに、離婚・死別、別居している友人シニアは一年中どころか、数年も同じ上着、ネクタイ、ズボンでいる。
私は、ユニクロで十分と思っていますが、カミサンは、私が身に着けるものをかってにデパートで買ってきます。
値段を聞いてびっくり、とても私の衣類に感覚では買えないレベルなのです。
カミサンは、「でも貴方の買うパソコンやカメラに比べれば、一桁も二桁も違うのよ」とおっしゃいます。

そして、今回の大処分はスーツケースです。
これまで、何個スーツケースを買い替えて来たでしょう。
現役時代から退職直後のロングステイでは、航空機の重量制限にひっかかるような大きさ、重さのスーツケースだらけでした。
それが、徐々にですが、小さくなり、そして65才を機会に海外旅行を卒業してからは、国内2泊3日用の機内に持ち込めるサイズになりました。
あんなに重い、大きなハードケースのスーツケースを持って旅行していたのに、年齢を重ねるにつれ、軽いソフトなものになっていきます。
今回処分するのは、1年前に、ネットが買った国内一流メーカーのソフトタイプのものです。
たつた一年で処分するのか・・

買換えの理由は、キャスターの摩耗です。
四足の一か所だけが、極端に摩耗し引きずりにくなってしまいました。たつた一年なのですが、近年の私たちの国内旅行は、毎月以上に年に15回ほど出かけている計算で、車に乗らない私たちの場合、最寄り駅までコンクリートの坂道を15分、転がし、引っ張って歩いているので、メーカーの想定外の事態になっているのでしょ。

市のごみ処理ホームページをみると、有料の粗大ごみ扱いですが、引き取ってもらえそうです。
これに、味を占めたカミサンは益々、断捨離を加速させていくことでしょう。
しかし、不思議なことに、カミサンのワードローブのなかは、減るどころか、毎月増えていってるのですが・・・

でも、そんな事は云いません。
私が先に逝くことは確実なのですから。
posted by 西沢 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月12日

今評判の韓国映画「パラサイト 半地下家族」を見てきました。

定年後、暇を持て余しているシニア男性に映画鑑賞のお薦め

昨年年末の12月、恒例の元仕事仲間が主催する、餅つき大会に参加した時、昔の客先の知人とお会いしました。
2年前に65才で定年退職したそうで、
私「定年後の毎日、どうやって過ごしているの」の問いに

彼「何んもすることがなく、1日家のなかで、ネットサーフィン、かTVを見てる」
 「妻は、実家の介護でいなくて、30代後半の長男と暮らしている」
 「食事は、長男は3食、外食。自分は適当に簡単なものを造つて過ごしている」
 「外に出るのは、コンビニ・スーパーへの買い物程度」
 「歩かなきゃ、と時々近所をウォーキングしてるけど」
 「退職シニアの先輩、どう過ごしているの?、教えて」
私「何か、1日のルーティンになるもの造らなきゃ」
 「週に1日は、外出する用事を造らなきゃ」
 「最低限、月に一度のルーティン、用事を造らなきゃ」
 「何か、趣味はないの?」

彼「何にもない、先輩、誘って下さいよ、何処へでも行くから」
私「手始めに映画なんてどう?」
 「TVと違って、自ら街中に出かけて半日、時間はつぶせるし、話題も出来る」
 「シニア料金1,200、交通費と食事代、だいたい2,000円程度で1日楽しめる」
 「月に2度くらいのカレンダーに予定が埋まるよ」
 「横浜なら、幾つものシネコンがあるし、名画座のジャック&ベティもあるじゃないですか

彼「そう云えば、映画館へ行かなくなってなってから、随分経つな」
 「今なら、何がいいですか」
私「最近のシネコンは、子供向けアニメとハリウッド製の荒唐無稽なCGを駆使したものばかり」
 「ネット、新聞、TVで話題の映画を紹介しているので、先ずは家から出て、映画館に足を運ぶこと」

定年後の男性の趣味 参考サイト
定年退職、リタイヤ後の男の趣味・ホビー・習い事ランキングベストテン

そんな、話を昨年したことを忘れていた頃、その知人からメールがありました。
彼「テレビで、韓国映画がアメリカの映画祭で外国語映画賞を取ったとやってますが、どうなんでしょう、一緒に見に行きませんか」
私「韓国の格差社会の映画で、社会派作品のようです。見に行く予定ですが、映画は一人で行くのがベストです。「ひとそれぞれ、好み、感性、予定があるので、先ずは一歩を踏み出してみては」
・・・・とこんな経過があり、私は封切り初日に出かけました。

先ずは、この映画「パラサイト 半地下家族」の上映館をネットで検索します。
私の住む地域で一番近く、大きいのは、二駅先の辻堂「テラスモール湘南」のなかにある109シネマ湘南です。
湘南地域一番のスクリーン数を誇る、ビックシネコンです。
しかし、この東急系の109シネマは、大型商業映画に強いのですが、インデベント系の話題作には弱く、昨年で云えばあの話題作「カメラを止めるな」や広島原爆を描いたアニメ「この世界の片隅に」は上映予定はなかったのです。
カンヌ映画祭の最高賞「パルムドール」を受賞した、是枝監督の「万引き家族」はやったのに、今年の受賞作韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は上映予定はありませんでした。
自宅近くでの上映館は上大岡の「TOHOシネマ」でした。

自宅最寄駅のJR大船駅からどうやって上大岡へ行くか?
ルートは3つあります。
1,JR東海道線で戸塚、横浜地下鉄ブルーラインに乗り換え、所要時間は23分、料金は399円
2,JR根岸線で新杉田まで行き、京急乗換で上大岡へ 所要時間は30分、料金は377円
3,大船バスターミナルから、桜木町行きバスで上大岡下車 所要時間は49分、料金は294円
※料金は全て交通系ICカードでの値段です。
現役時代の交通手段と退職後では、選択基準が違います。
現役時代は、所要時間や乗換回数でしたが、退職後年金シニアは無条件で料金が安いルートを選択しています。
私は、車を運転しませんので、バスルートは良く解らないのですが、今回初めて「鎌倉街道」を通りました。
普段、電車で通る根岸線や京急の駅を巡りながら路線バスは時間がかかります。
そして、このルートを利用する乗客の多さに驚きました。
バス車内は混んでいました。乗り降りする乗客のほぼ80%は同年配のシニアの方々です。
根岸線、京急線、地下鉄線から外れた場所にお住まいの方々が、自宅から最寄駅まで頻繁に利用しているようです。
だんだんとシニアの皆さんの高齢化による車離れが進んでいる理由の一つが、横浜市は高齢者シニア向けにバス無料パスを発行しているからでしょう。
高齢者の運転免許返納を推進するには、こんな横浜市の取り組みは有効な手段となっているのを実感しました。
ちなみに、鎌倉市にはそんなパスは存在しません。

上大岡駅周辺は、この京急沿線のなかで一番大きな町です
しかし、鎌倉・湘南の町に暮らしていると、この上大岡駅周辺の繁華街は馴染めません。
駅周辺の開発が、民間業者だけの場当たり的に行われ、統一感がなく、昔ハリウッド映画で見た、近未来の、未秩序の荒廃した大都市のダウンタウンのような雰囲気なのです。
目的の「TOHOシネマ」の場所も解りにくく、商業ビルのなか、ヤマダ電機の店内を抜けて行かないと辿り付けない分かりにくい場所でした。
朝一番上映9時20分に間に合う為には、結構自宅を早く出なくてはならなかったので、次の回12時10分で見て、帰りも同じバスで戻ってきましたが、大船に到着するまで満席で座れず、結局自宅に戻ったのは5時近かったです。
路線バスは慣れているつもりでしたが、40分以上の満席のバスは結構疲れました。
「もう、そんな年なんだから、安いよりも早い、簡単なルートで行ったら」
とカミサンの弁。次からは少し考え直さないと。

さて、映画「パラサイト 半地下家族」はどうだったか

日本の格差社会の拡大のはるか先を行く韓国社会の格差を扱った社会派映画と云う認識でいました。表題の「パラサイト」の意味を改めて検索しました。

パラサイトとは
英語の"parasite"は、共生の一種である寄生を意味する。
日本では、パラサイトシングルとして使われている。
学校卒業後もなお親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者。


この映画のメディアコメントは

カンヌのパルムドールやハリウッドのゴールデングローヴを獲得した話題作
見る者を爆笑から恐怖へと導く、新感覚の韓国映画。
芸術度よりもエンタメ度のほうがはるかに高い作品。偽造
一種のピカレスクロマン、痛快詐欺映画であるとともに、ホラー映画でもある。


確かに、メディア、ネットで伝えられているような映画です。
韓国の住宅事情で伝えられている、外部に開かれた窓が、外の道路面とほぼ同じ、高さにある、低所得者層が住むマンションに住む夫婦、子供二人の家族は、4人とも定職がなく、その日暮らしの生活、そんな家族の長男に、韓国のIT社会成功者が住む高級住宅街の女子高生の家庭教師のアルバイトの誘いがかかる、彼は大学の大学の学生証、アメリカ留学の証明書などを偽造して
この家に入り込み、この家の使用人を罠を仕掛けて辞めさせ、自分の妹を幼い一人息子の家庭教師、父を運転手、母を家政婦としてこの格差社会の頂点にいる、高級住宅街の豪邸に一家4人で入り込む・・・表題のパラサイト、半地下の住宅に住む、社会底辺、低所得者ファミリーの寄生生活が始まる・・・
しかし、この豪邸には、家主のIT長者ファミリーの誰もが知らない、半地下の部屋が存在していた・・・・

ネタばらしはここまで・・・
後は、映画館へ行って見て下さい。
ただの社会派映画ではなく、エンターテイメント、ホラー、結末が未来を暗示する秀作です。

自宅に戻った後、カミサンは「どうだった、私にお薦めの映画だった、良かったらお友達と見に行くけど」聞いてきました。
私「カンヌ映画祭の最高賞「パルムドール」受賞の是枝作品の「万引き家族」ほどではない。」
 「社会派嫌い、韓国嫌いの君にはお薦めはできない」
posted by 西沢 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月10日

定年後の熟年離婚・介護別居夫婦の実態

ネット検索している私のパソコン画面をカミサンが後ろから覗いてみています。
「何に、熟年離婚、熟年別居・・・そんなことに興味があるの?」
「いや、いや、僕の周りに意外と、熟年離婚予備群が多いんだよ、実は今日スポーツに誘った人も、現在別居中なんだよ」と私。

一般的に云うと、現役中に知合い、付き合う自分の廻りの範囲の人々は「同じような社会階層、収入、学歴」の人々でした。
しかし、退職後の住まいの選択として選んだ、地縁も血縁もない新しい老後の住まいの土地では、これまで知りえなかった色々な人と知り合う機会が増えてきます。
鎌倉に越して来て、16年になると付き合いも深くなり、これまで知らなかった個人の内輪話も耳に入ってきます。
そして驚くのは、私自身には全く考えられない「熟年離婚」と云う言葉でした。
それは世間の話、統計上の話、ドラマや映画の世界と思っていたことが、同じ団塊世代、机を並べている隣の人の話、現実の話なのです。

元大企業の部長の場合
会社で退職送別会を終えて深夜タクシーで帰宅したら、奥さんはいなく、家財もなく、机の上に判子が押された「離婚届」があった。
元金融地銀の支店長の場合
退職して3年目、働いていた妻が帰宅しなくなり、別居が始まり、電話もメールも受け付けなく、全て相手の弁護士を介さないと話が出来なくなり、離婚。財産分与で自宅を売り払い、アパート暮らしの生活。

二人とも、同じ団塊世代でボランティアを通じて知り合った方です。
学歴、職歴、収入ともに、かなり平気値よりも高い部類に属する、社会のエリート層に属する人です。
でも、そんなことは家庭内、夫婦間、親子間では全く関係ないことであることは、ここ数年の家庭内暴力、殺人事件で解っています。
元広告屋さんの場合、ご本人は詳しく話しませんでしたが、仕事が忙しく、全く家庭を顧みない生活であっただろう・・・というのはお話していて感じていました。その分、世間一般の人以上の収入を家庭に入れていた・・のに。とご本人は話していました。
初対面でお話していて、元国立大卒、企業の中枢部にずっと席を置いていたエリートらしい話し方が鼻につきました。
全て上から目線の説明、解説的なお話方をされる方なのです。家庭内でも奥さんにこんな話方をしてるのかな?と思ったことがありました。
しばらくして、まわりから退職した日に、奥さんから「三行半」を突き付けられ離婚したと云う話を聞いて、「うん・・男としても解る」と思いました。

元金融地銀の支店長の離婚はまた違っていました。
退職後3年目の離婚です。
同じ世代の彼は、性格も穏やかですし、ボランティア活動でも廻りに気配りの出来る人です。
しかし、趣味の世界の浪費癖があったようです。分不相応、定年後の年金収入に見合わないなヨットにかなりのお金を注ぎこんでいたようです。
奥さんは、自分の仕事を持っていて毎日定時に出勤しており、夕刻に帰ってくるのですが、夫は現役時代と同じ生活スタイル、家事は全くしなく、帰ると、洗濯物は取り込んでなく、キッチンは汚れた食器のまま、自分の趣味のボートと、外面はボランティア活動に精出す自分かってな性格に愛想をつかして出ていきました。

今問題となっているのは最近急増中の定年後別居です。
私の身近のところに、同じ団塊世代の二組が現在別居生活中です。
二人とも、遠距離別居がもう10年近くなります。
夫婦仲も特段悪い訳ではありません。
二人ともに、東証一部上場企業の部長で60才で退職しており、退職金、企業年金は私の倍近くあるので、経済的にも豊かなです。
遠距離別居の原因は、実家の両親の介護なのです。
お二人とも、もう既に10年近い別居生活です。
お一人は奥様の九州の実家の両親の介護です。両親の介護が始まったのは10年前、一昨年父親が亡くなり、現在93才になる母親の介護生活だそうです。既に老人介護施設に入居しているのですが、施設側からは、何時、緊急呼び出しが入ってもすぐに駆け付けると云う
条件があり、奥様だけが一人、実家に暮らしているそうです。
介護費用は、亡くなった父親の遺族年金で何とか賄っているそうですが、奥様の生活費、実家の維持費がかかり、夫からの毎月10数万円の仕送りは欠かせないようです。

もう一人の知人の場合も既に10年の長きに渡っての介護別居が続いているそうです。
この方の場合は、二人息子の次男が母親と一緒に、岐阜県の田舎で同居して実家を支えているようです。
現役時代、定年後の年金生活でこんな、夫婦が離れて暮らす、なんてケースがあることは、夢想だにしなかったことです。
私の場合、昨年、カミサンの母親が倒れた後の半年あまりは、月に何日かの実家サポートがありました。
元々、三姉妹の三女が家を継いでいて、直接的な介護は足りていたのですが、実家の妹の自由な時間を支える為のサポート支援でした。

定年退職し、年金生活に入ったら自由な時間が手に入り、贅沢さえしなければある程度のゆとりのある生活が始まると考えていた方でも、夫婦二人の両親の介護だけでなく、兄弟の介護ケースもあります。
私の廻りでも、カミサンの友人の団塊世代女性は、実家を継いだ独身の兄が何度も脳梗塞で倒れ、唯一の兄弟として、介護を担うことになっています。
幸いにして、実家の土地・家屋を売却した資金で老人介護施設に入居できましたが、これがなもかったら妹の彼女に全て被ってきていたでしょう。
そして、彼女が云うには、兄の介護の次は、最近目に見えて衰えて来た夫の介護生活が始まるのか知れない、とこぼしているそうです。

それに引き換え我が家の場合はどうなっているのか
私の実家の両親二人は、ほぼ介護らしい介護もなく、短時間で亡くなりました。
父は動脈瘤破裂、71才、一晩。母85才、晩年すこし認知症症状はあったものの、寝でたきりとか、下の世話もなく、冬の寒い朝、トイレに座ったまま亡くなり、いずれの場合も、私は実家からの電話で知り、列車で駆けつける程度でした。
妻の父親の場合は、末期がんと分かってから、二度の入退院があったもの、家庭内の闘病、介護生活は短く、病院亡くなりました。72才。
恵まれた環境と云う云い方は不謹慎かも知れませんが、確かに、このように夢を持って定年退職されてから、思ってもみなかった、遠距離介護、介護別居されている方みれば、今のところ恵まれた老後環境かも知れません。

カミサンは、送られてきた旅行社のパンフレツトを見ながら、2月何処へ行こう・・・といってきます。来週の2泊3日、伊豆ジオパーク、吉永小百合のCM撮影地を訪ねる旅から帰って来てからでいいでしょう。と私の返事です。
posted by 西沢 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月08日

年はじめの福袋、値段に釣られてついつい買ってしまったが・・・

今年のお正月は、日本社会の働き方改革が浸透してきているのでしょう。
元日にお休みしているお店が多かったです。
家から歩いてすぐの地元スーパーは、正月の三が日連休で閉まっていましたし、街中のケンタッキーも大晦日、元日とお休み駅ビルのデパート・ルミネも元日は閉まっていました。

usb0.jpg毎年、元日の新聞折り込み広告のチラシは楽しみにしています。
カミサンは勿論、横浜のデパートの正月の売り出しを楽しみにしています。が、福袋には全く興味がないようです。
中身が解らないものを買うほど、私は買い物中毒ではない・・と云いながら二日の朝から数件のデパートを巡り、三日目は湘南のショッピングモールへと出かけて行きました。
私はと云うと、近隣の量販店「ヤマダ」、「ノジマ」、「ケーズデンキ」、「ビックカメラ」のチラシの特売欄を細かくチェックします。
パソコンも、カメラも、TV、家電も欲しいもの、70才を超えると特段ありません。今のままで十分ですから。
何をチェツクするかと云うと、SDカード、マイクロSDカード、USBメモリーなどの小物の掘り出し価格もののチェックです。
毎年、量販店各社は年初めの目玉として、小物グッズをネット価格よりもかなり安い値段で出すのを知っているからてです。四社のチラシを眺めて、目に留まったのが「ノジマ」の福袋でした。
マイクロSD・クラス10・64G+USB64Gのセットで税込み、2016円と
SDカード・クラス10・256Gが、税込み2,500円 この2つはお買い得です。

先ず、ネットでSDカード・クラス10・256Gを調べると、4,000円〜が標準価格帯ですから、これは買いです。
でも、安いからって、何につかうの?と考えてしまいます。
今、メインで使っているSSDパソコンのハードは128ですから、これを追加すれば各段に収納スペースは増えますが、そんな必要性はないことは解っています。
現在予備として64GのSDカードを差しっぱなしにしていても、1/3も使っていない状態なのですから。それに、256一枚に頼ってしまうと、クラッシュした時のダメージが大き過ぎます。

そこでもう1点の福袋、マイクロSD・クラス10・64G+USB64Gのセットで税込み、2016円に目がいきました。
大昔の話、デジタルカメラが出始めた時、128M(ギガではなくメガ)のソニーのメモリースティックが欲しくてたまらなかったのですが6,000円ほどして、高くて手が出ず、何とか現場経費で落とす名目を探して、買った思い出があります。
時は、2000年、今から20年前、128メガが高嶺の花の時代だったのに、20年後千倍の容量の64+64Gが、2016円なのですから電子技術の世界のスビートには驚かされるとともに、グローバル社会でにおける日本の電子機器産業の遅れ、シェアを誰が想像していたでしょう。

1月2日の朝、9時半にノジマに行くと、福袋整理券を配っていました。
私は、メモリーパックの福袋を希望すると、並ぶ必要はなくそのままカウンターで渡してくれました。
意外とこれらのものを買う人がいないのに、再びびつくりです。
私の廻りのパソコンハードユーザーや、ビデオクラブのメンバーなら、取り敢えず買っておき、何に遣うかは後から考えるタイプが多いのですから。

さて、買って自宅に戻り、福袋を開け、中身を確認しました。
マイクロSD・クラス10・64Gのメーカーは、「ノジマ」が出資している台湾メーカー。まあこれは予想どおりで許せる。
次のUSB64Gを見て、「エーーー、USB2じゃないか」、まさか今時USB3ではなく、2だとは思いもつきませんでした。
「USB2.0」と「USB3.0」で大きく異なるのは、データの転送速度です。
規格値では「USB2.0」の480Mbpsに対し、「USB3.0」は5Gbps(5000Mbps)。bpsというのは、1秒あたりに転送できるビット数の単位を指しており、理論上「USB3.0」は「USB2.0」に比べて約10倍の速度でデータを転送することが可能です。
しかし、これはあくまでも理論値。実際は「USB2.0」の2倍〜3倍程度の転送速度といわれています。とはいっても、データ転送の待ち時間が1/2になると、体感速度ではかなり早く感じます
これは、DTTAのバックアップ、保存用にしか使えない・・・、とてもでないがビデオカメラからの動画取り出し、には使えない。

仕方ありません。
取り敢えず、一般web-data用にも、動画用にも対応できるように、フォーマット、初期化するようにPCにセットしました。
USBもSDカードもメーカー出荷時のファイルシステムはFAT32になっています。
一般的なユーザーが使うには何ら問題ないのですが、動画やゲームプログラムのファイルは一つで4Gを超えるのはざらにあります。
FAT32は、一つのファイルが4Gを越すと、受け付けてくれませんので、USBのファイルシステムをNTFSに変更しなくてはならないのです。
やり方は簡単です、以下のサイトを参照して下さい。
USBメモリーのフォーマット・ファイルシステムの変更
https://www.pc-master.jp/mainte/usb-format.html

大チョンボ発生
私の通常使うSSDパソコンは128ですから、少々、ハード的には不安なので、常にクラス10・64GのSDカードを差してあります。
※ビデオ編集には使えず、編集はwin8ののスペックの高いものを使っています。
ここに、今回買ったUSB2の64Gを差して、フォーマット・ファイルシステムの変更を行いました。
簡単にUSBのフォーマットは終了し、翌日、この予備用のクラス10・64GのSDカードを開くと全てのDATAが消えているのです。
この追加用のSDカードの名前は追加64としてあり、2019年に撮影した全ての画像や、新しく作ったメモ帳、原稿、パスワードの記録、毎日のアクセスdata、住所録、カミサンへの遺言控えなど、重要なファイルが保存されていたが、全て消えているのです。

64GのSDカードと64Gの新しいUSB2つ差してあったのを間違えて、2019年DATAの入っていたSDカードをフォーマットしてしまったのです。大ショツクです。
もしかして、マイドキにバックアップが残っていないか探しても、2018年までのものは残っていましたが、2019年のものは残っていませんでした。

福袋の2,16円の価格に惹かれて買ったのが、とんでもないことになり、正月早々、莫大な復活作業の始まりの2020年になりました。
超不機嫌の私の態度を見て、カミサンは、
「私に残すものは全て紙媒体にしておいてと云ったじゃない」
「貴方の写真やビデオ、ホームページはどうでも良いけど、お金に関するものは、全て印刷して残してね」

私は、サポートしている、70代後半から80代のシニアオジサンに何時も云っていることが、わが身に降りかかるとは。
posted by 西沢 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月06日

定年退職10年後に、海外旅行を卒業した理由とは

やっと長かったお正月休みがあけました。
昨日までの夕刻のTVのニュースでは、空港からの海外旅行帰りのファミリーや、カップルへのインタビューが定番です。
現役時代は、毎年12月になると翌年のカレンダーの祝日、並びを調べて、何連休になるかを調べていたことを思い出します。
あの頃、退職したら、こんな混む時期、ホテルも航空券も高い時期を外して、好きな時に好きな期間、何処へでも行ける、早く、そんな身分になりたいと、せつに願っていたのが懐かしいです。

しかし、55才で退職し、65才でパスポートを更新せずに、海外旅行を卒業するとは考えもしませんでした。
ずっと、身体と老後資金が続く限り、自由に何処へでも旅出来ると思っていました。
現役時代、バブル期の建設業界にいた幸運と専門職のカミサンとのダブルインカム、ノーキッズの環境で、休みさえ何とか工面すれば、個人・自由旅行の形態で、行こうとする強い意欲さえあれば、どんな世界の秘境・奥地でも行けました。

イースター島、イランのペルセポリス、ラオスの少数民族の村、北極圏のオーロラ、カリブ海の美しい小島。
まだ、40代の夫婦にとって過酷な移動手段、宿泊環境も旅の一つの醍醐味として、楽しむ余裕もありました。
それでも危険を避ける、最低限以上の良識・常識・語学力プラス資金力があったので、これまで海外で、身の危険を感じることや、病気、ケガ、対処しきれない移動手段トラブルもなく過ごせてきました。

それがあるきっかけから、徐々に忍び寄ってきたのです。
個人差もあるでしょうが、だんだんと海外旅行の煩わしさ・不安・危険を感じはじめたのです。
言葉、コミュニケーション、移動距離、時間、そして費用。
現役時代、退職直後には全く感じなかった、疲れ、孤独感、寂しさが、年齢共に忍び寄ってくるのです。

決定的な要因は、アジア奥地から帰国直後、内臓疾患で救急搬送された時からです。
それが、退職後10年目、65才の時でした。
ミャンマーのかなり奥地、日本人観光客が滅多に行かない、ミャンマー南部、タイ国境地帯、ようやく少数民族カレン族との内線講和が成り立ち、外国人の観光が再開されたような土地でした。
日本語ガイドと専用車付の大名旅行でしたから特にに、なんら危険も感じ旅を楽しみました。
しかし、ヤンゴンに戻る途中立ち寄ったレストランで飲んだ、生ジュースがどうやら当たったようで下痢をしました。が、そのまま、体力が回復して翌日、ヤンゴンから日本に戻ってきて、忘れていたのですが、2日後の夜みぞうちに強烈な痛みを感じました。
とても、我慢できるような痛みではなく、カミサンは徒歩10分に日本を代表するような総合病院があるのですが、この時は躊躇なく救急車を呼びました。

救急外来での診断は、胆管結石の疑い・・・と云うのです。今まで、尿管結石はやったことがありますが、胆石とは初めてです。
数日前まで、ミャンマーの奥地にいて、下痢をしたことを伝えると、直接の因果関係はないものの、きっかけになったかもしれない、と云われました。
胆石発作で、肝機能にダメージがあり、おしっこは濃い黄色、完全なる肝機能障害です。
肝機能障害については、ウズベキスタンでA型肝炎に感染したことがあるので、知識は豊富です。
結局、救急外来の仮設ベッドで朝まで点滴、安静となりました。
翌日のMRI検査では石は見つからず、念の為、膵臓まで調べるので、3日間の検査入院となりました。最終的には、胆管に胆汁を流れやすくなる薬を毎日、一生のみ続けることなり、現在に至っています。

これが、私が海外旅行をやめ、パスポートを更新しなかつた最大の理由です
日本にいるなら、自宅でなくても国内の旅先でしたら、常時携帯している国民健康保険が効くし、言葉も通じますが、例え、医療施設が日本並み、言葉も日本人医師のいるワイキキであっても、不安です。特に、医療の専門家であるカミサンは、この騒ぎからは絶対に海外へは行かないと宣言しました。

あれから6年、新聞・雑誌・TVの海外旅のチラシを見ても、全く行きたいと云う意欲は湧かず、旅する煩わしさが先に思い浮かびます。
あんな、無茶な日程、怪しげなホテル、豪雨のなかの高速道路をぶっ飛ばすタクシー、真っ暗な夜中のモスクワの裏通り、黒い目が光るリオの下町。今思い返すと、何事もなく無事に日本に帰れたは奇跡のようです。
若いって素晴らしい、と本気で思います。
年を重ねるにつれ、経験からか、余計なものが見えてきたり、予測したりしてしまうのです。
定年後の海外ロングステイの情報サイトを立ち上げた私たちですが、72才を迎えようとしている今、云えることは、海外ロングステイは60代まではないかということです。
決して、経済的、資金的な理由で定年後ライフは日本は捨て、海外に求めてないことです。

今年、干支のねずみ年、72才と68才は「鎌倉にお住まいのゆとりのある老夫婦」を演じようと思っても、なかなか現役時代の自由・奔放な旅のスタイルを崩せません。
特にカミサンは、大手旅行社のグループツァー、バスツァーに拒否反応を示します。
多少、高くついても、バスや電車で長時間待たされても、自分たちのペース、二人だけで旅に拘るのです。

1年12回、毎月一回、二泊三日、予算10万円の国内旅行は、年3~4回の海外旅行よりもづっとリーズナブルな上、毎月の暇な二人の生活に一つのリズムが生まれ、ちょうど良いペースで国内旅行が楽しめます。
この先、づっとこのペースで国内旅行がいけるとは思っていません。
費用的に確保はしていますが、これからどんどんと二人は年老いて行き、二人の旅行経費が医療費、介護費に変化していくでしょうから。
posted by 西沢 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月04日

定年後、お正月三日間の過ごし方 終活で年賀状をやめたのですが・・・

団塊世代にとっては記念の年となる2020年の関東首都圏のお正月は、天気は3日間とも、澄み切った青空と暖かい陽ざし降り注ぐ穏やかな3日間です。

2020年がどうして、団塊世代の区切り、記念の年なのかと云うと、
1,団塊世代の真ん中、昭和23年1948の干支はネズミ、今年人生で6回目の年男、次の干支は12年
後は84才・・・半分の団塊仲間はいないのではないかも。

2,2度目の東京オリンピックの年、64の東京オリンピックは高校生の時でした。もう一度生で
オリンピックが見れるとは思っていませんでした。
東京五輪が決定した時、多くの団塊世代オジサン達は、2020年の時の自分の年齢を考えました。
72才、先ずその年に生きている可能性は大、ただどの程度健康でいられているかをきっと考えて
いたでしょう。

1月1日、共同住宅のメールボックスを開けると、薄い年賀状の束が入っていました。
やっぱり・・・一昨年、70才を迎える年のお正月から終活の一つとして年賀状をご遠慮する旨を
お伝えしていたのですが、昨年は30枚ほどの年賀はがきが届いていました。
届いた年賀状はほぼ全てが、定番の年賀文字と干支の画像だけで、手書きのないものです。
理由を考えてみました。
1,ほとんど年賀状の中身を読んでいない。
2,自動的に前年のあて名印刷をしている。
3,終活で勝手に年賀状をだすことを辞めても、私は貴方と繋がっていたいから、1年に一度の年賀のご挨拶をしたい、と書いて来た旅仲間の友人女性がいました。でも、その友人も今年はきませんでした。


何で、終活で年賀状を書くこと、出すことを辞めるのか?
私は、55才で退職するまで、年賀状はだしたことはありませんでした。
なんで1週間後の正月明けに会う同じ社内の同僚や上司、或いは仕事の客先に白々しい年賀状を書くのか?若くして、日本を離れていたので田舎の学校時代の友人との交流も有りませんでした。

そして、最も大きな年賀状を出さない理由は
住宅ローンを返済した38才から退職した55才まで17年間、お正月に日本国内に居たことがないからです。幾ら出世を考えないマイペース・不良社員の私でも、10日から2週間の海外旅行休みを摂るには、ゴールデンウイーク、夏の盆休みと年末年始しかないので、お正月は必ず海外、それも世界の僻地と云われる場所で過ごしていました。

私たちは、このようなあまり知られていないような土地から、旅の友人と両親と自宅宛てに絵葉書をだしていました。(※自宅へは、届くかどうかの確認です。)
一番多く現地から出したのは、1992年のアンコールワットからで、30通ほど、海外旅行大好き友人宛てに出した記憶があります。
1992年、日本初のPKO派遣の年、ぺノンペンもシェムリアツプも外国兵で溢れていました。
この年は、カンボジア内戦後初めて海外観光客に対して門戸を開いた年でした。
絵葉書一枚が50円ほどと、当時の現地の物価から考えられない外国人向け値段ですが、仕方ない、他に売っていないのですから。
30枚全て、当然ながら手書きです。
毎晩、観光後の暗いホテルのなかで一番明るい、トイレでせっせと3日間かかって書きました。
次に一番苦労するのが、切手です。
シェムリアップの街中では、海外向け航空便に貼る高額切手が売っていないのです。
国内用の切手では、10枚以上、下地が見えなくなるほど貼らなくてはならないのです。
中東・南米・アジアで良く耳にする、ホテルや現地ガイドにお願いすると云う方法は、50%の確率でお金だけ受け取って、だしてくれないことがあります。
開発途上国で確実にハガキが届けるには、首都の郵便本局に行って、切手を買いだすしかなかったのです。
これは、昔の話で、今やシェムリアップは大観光都市ですから、そんなことはあり得ません。

退職後は、お正月は絶対に日本で過ごしています。
理由は簡単、こんな航空チケットが高い時期に海外にいかなくも良いのですから。
その分、海外から絵葉書をだしていた旅で知り合った友人と、元職場、元仕事仲間にたいして、正統な年賀状を一昨年前までだしていました。
理由のひとつとして、早期、50代半ばで退職した団塊オジサン達の生き様、生存確認をお知らせするのが目的でした。

何で、終活、70才を機に年賀状を辞めたか?
毎年いただいていた最大100通の年賀状の大半は、一度だけお会いしただけの海外絵葉書で繋がっている人であったり、仕事関係、地元の趣味のクラブ、遠い親戚だったりの義理の年賀状でした。退職した人は、私を忘れて欲しくない・・・という意味で年賀状を書くとも云われています。しかし、2020年の今、個人で情報を発信いるツール・メディアは私が退職した17年前に比べると、各段に広がっており手書き文字による情報伝達も一つのツールとして残して置きたい気持ちもありますが、過去にいただいたハガキ、お便り一度整理した時、ミカン段ボール箱、4つにもなりました。
私としては、本当に外に出歩くことも少なくなったら、自分の部屋でこれらの思い出の手紙、ハガキを読み返そうかとも考えたこともありましたが、しかし、私が逝った後、カミサンの処分の手間を考えると、徐々に自分自身で整理しなくては思っています。

2020年のお正月3日目
元旦にとどいた年賀状に続いて、また、3通ほど届きました。
何れも、一昨年に年賀状を自主的に、ご遠慮しますと、お知らせしている相手ですが、印刷に手書きの文章が書いてある上、田舎の同級生、元会社の直属の部下で現社長(あいつ、こんな偉くなって会社大丈夫かな)、元仕事仲間と、ほっておけないので、またまた街中にでて、正月用インクジェット年賀はがきを買ってこなくては。
どうせなら、一度にだしてよ。

余談
箱根駅伝を見ながらこのブログ原稿を書いています。

箱根駅伝も現役時代、全く興味が有りませんでした。
だって読売巨人軍が嫌いだし、お正月に日本にいた事もなかったので、しかし、退職1年目の正月、前横浜自宅の最寄駅に大勢のスポーツ系の若者が集まりゾロゾロと歩いて行くので、行ってみると、箱根駅伝の難所「権太坂」です。
次に鎌倉に越してきて家の前を通るバス車内を見ると、あのスポーツ系の若者の姿、そう、藤沢「遊行寺坂」へ向かうスタッフです。関西、西日本圏ではさほど人気ではない、箱根駅伝の魅力は、自分の住んでいる所、自分が勤めている会社の前をリアルに映し出し、この年になると、終わった後から、必ず、廻りで私の甥っ子が走った、という話を聞かされるのです。
来週からNPOセンターが始まり、神奈川県青学OB会会長と顔を合します、
ああ大変だ話が長くなる
posted by 西沢 at 07:53| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年01月02日

子供も孫いない団塊世代、高齢者夫婦のお正月の過ごし方は?

二人だけの大晦日の夜は、特にご馳走を造るでもなく、何時もとはちょっと奮発・豪華なデパ地下のお惣菜が中心の夕食を済ませ、早々とお互いの自室に引き籠もりです。
カミサンは歌手の名前なのか、曲名なのか解らないNHKの紅白をつまらない、と云いながら見ているようです。
私は、これも林立して価値の下がりっぱなしのボクシングタイトルマッチを見るしかないので、これを見て、引き続き「SASUKE」を見ていたのですが、途中から眠くなり、結局10時過ぎには早々と寝てしまいました。

各地の除夜の鐘も、ご近所のお寺の鐘も耳にせずまま、何時も通りの時間に起きると、外は雲一つない、青空です。
カミサンと新年の恒例のご挨拶「新年あけまして、ムニャムニャムニャ」「本年もよろしくムニャムニャムニャ」。
お葬式の時の挨拶と同じで良く、語尾はムニャムニャムニャと判明不明の言葉でいうのが日本の常識と信じている二人です。
それでも今年の干支はネズミ年、団塊世代72才、年末の前立腺不安もあったので、「少なくとも東京オリンピックまでは元気でいます。」とカミサンにご挨拶申し上げました。

カーテンを開けると、外は雲一つない真っ青な青空です。
こんな日は、カミサンの持病「つまんない病」が発症しない訳がありません。
明日2日からは、デパートの初荷が始まりますが、今日はご近所のデパートはおろか、コンビニ・吉野家・ケンタッキーまでお正月1日は閉まっています。
「何処か、初詣にいこう」と云います。
鎌倉鶴岡八幡宮は論外、こんな日には行きたくなく、沿線の川崎大師も同じく混むし、茅ヶ崎の寒川神社はすいているけど、境内参道にお土産物商店の少ない田舎でつまんない、大船観音はアジアの若者が多く集まってくるので面白いのですが、
何時もはシニアパスで無料だけど今日は有料300円で莫迦らしい。
鶴見の総持寺は広く、静かで、趣きがあるのだけど、少し飽き気味。

そうだ、寅さん映画リメイクで盛り上がっているだろう、柴又帝釈天へ久しぶりに行こう。
あまり混んでいるのも嫌だけど、人出がまったくない観光地はもっとつまらない・・・と云う訳ででかけることにしました。
地元間より駅からJR・地下鉄・京成を2回乗り継いで、1時間15分で、京成柴又駅に到着しました。
この町は、南米から帰って来てから再入学した電子専門学校の同級生のアパートがある町で、20代の頃よく遊びに来た町です。その頃、すでに寅さん映画は人気でしたが、今のような大観光地ではありませんでした。

柴又駅前には、寅さんの銅像はあったのですが、今日行ったら寅さんの振り返る目の先の離れた場所に「さくら」の銅像があるではないですか、すかさず記念写真をパチリ。
柴又帝釈天の参道、お土産物通りは、狭く短いのですが、正月1日は民放テレビ局、2社のカメラが、お団子屋さんや境内に大きなカメラを据えていますので、混雑に拍車がかかつていました。
本堂は、江戸時代の木造彫り物が圧巻です。
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名なのですがこの日は、初詣参拝客があまりにも多く、パスしました。
とりあえず、お賽銭を投げ入れ、お願い事は「今年一年健康でありますよう」それしかありません。
5円(ご縁)玉で、神様、仏様が願い事に耳を傾けてくれると思わないのですが、カミサンはかなり真剣に、長い時間拝んでいました。


初詣を済ませ、次はお寺の裏手にある江戸川河川敷に向かいます。
ここは、寅さん映画のオープニング定番の土手がある場所であるとともに、演歌に歌われる「矢切の渡し」があるのです。
矢切の渡しが本当の目的ではなく、実は前に一度来て知っていたのは、この河川敷に簡易トイレがあるのを知っていたからです。
京成柴又駅のトイレからは、参道・帝釈天にいてるまで、公衆トイレが全くないのです。
退職後、日本の各地の観光地を旅して驚くのは、トイレの充実です。
ほんの少し歩いただけで、公共のトイレの案内板がある自治体が多いなか、世界遺産を目指した鎌倉は、駅から八幡宮境内のあいだにトイレが一つもないのです。
ついでに云うと、喫煙所も駅を初め公共施設のなかから全て撤去されて、喫煙者から大クレームが発生しています。
青空と云っても、冬の河川敷ではトイレが近いので、先ずはトイレを目指し、「矢切の渡し」を画像に納めてから、柴又名物のうなぎです。
うな重税込み、3,630円、二人で7,260円は、年金シニアにはかなり痛い金額です。
前に二人で来た時は食べれませんでした。が、今回、カミサンは
「あと数年の寿命かもしれないから」
「今回は私が奢る」というので、ご馳走になりました。どうせなら「上うな重」4,290円にして欲しかった・・・
しかし、しみじみ、こんな時は消費税10%って大きいと云うのを実感しました。


柴又から真っ直ぐに自宅に帰る予定でしたが、カミサンの一言
「帰りの電車はスカイツリーを通る?」
なんで・・・と私
「柴又ではお買い物が出来なかったから、何処かで今日のお土産物を買いたい」
スポーツ仲間の鎌倉婦人の間では、例え、近場の箱根・熱海でも、何かしら買って来るのが常識のようなのです。
それが楽しみにで生きているのですから、仕方ありません。と帰りはスカイツリーで途中下車のお正月の一日でした。
posted by 西沢 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年12月31日

歳をとると、一年が早い、もうお正月がやって来た。

子供の頃、童謡の歌詞に唄われているように、「もういくつ寝るとお正月」と数えたことを思い出します。
貧乏だった、子供四人の町の小さな八百屋だった家の大晦日は、早めにお店を閉めて、男の子三人と父親で町の銭湯にいきました。その日の夕方の銭湯の湯は、いつもよりかなり汚れた色をしていたのを覚えています。
貧しかった我が家の大晦日のご馳走はなんだったのか、あまり覚えていません。
一般的に、大晦日、お正月のお節料理と云えば、三段重です。
一の重に、黒豆、数の子、田作り、紅白かまぼこ、栗きんとん、昆布巻き など
二の重に、焼き物。ブリの照り焼き、エビの鬼殻焼き、鶏肉の松風焼き、紅白なます など
三の重に、煮しめ、筑前煮など
が定番なのでしょうが、私たち4人兄弟が昭和30年代半ばの頃、そんな三段の重箱のお料理なんて、目にしたことは有りませんでした。
その頃、ご馳走と云えば、親戚の結婚式に参加した母親が宴席で出された仕出しを、そのまま、何ら手を付けずに持ち帰ったものが、大のご馳走でした。
芋きんとんや水羊羹、尾頭付きの魚の焼き物などを母は綺麗に四等分にして、各自の皿に盛り付け、必ずミカンを輪切りにしたものが添えられていました。
長女の姉をのぞいた、男の子三人は、三つ皿を見比べて、じゃんけんをして、一番大きな塊が入っている皿の取り合いをしたものでした。

大晦日の定番のご馳走は、父が買ってきた鶏一羽を、小さな台所で絞めて捌き、七輪の大鍋で寄せ鍋風のものを造っていたことです。
私が育ったのは、田舎とは云え、県庁所在市の一番の繁華街ですから、小学生時代高学年の時は、すでに近くにはスーパーマーケットがあり、お惣菜も肉もパックで売られていましたが、貧しい我が家は、日常的には買うことは少なく、鶏一羽の鍋は、一年に一度の大ご馳走でした。

そして、おもちです。
元旦の朝だけは、おもちの数の制限がなく、お腹いっぱい食べられるのが幸せで、男兄弟四人で数を争って食べました。
あの頃、お正月が開けても、家にはカビが生え始めたお餅があったことを覚えています。
そして、おやつと云えば、硬い、白い粉が吹いた干し芋が定番でした。

母の料理の思い出として一番深く、残っているのは、カレーライスです。
私が南米へ行く為に、横浜へ向かう日の朝、「何が食べたい」と聞かれ迷わず、カレーライスをリクエストしました。
豚肉とジャガイモのおおきなゴロっとしたかたまりがたっぷりのカレーが、私の家庭の味でした。

来年の干支は「ねずみ」で、私は年男です。
昭和23年に生まれて、6回目の年男、もう72才になるのです。
これまで、6回自分の干支がありましたが、こんなに意識したのは、前回の還暦60才の時以上です。中学三年生で1か月の入院生活、アルゼンチン滞在中も同じく1か月、50代では3か月の入院と、普通の人の何倍も多く病院のお世話になっている、カミサンに云わせると「こんなに病弱だとは思わなかった」「病気の問屋」と云われるほど一般的な日本人男性よりも病弱なのでしょう。

40代半ばで、早期リタイヤ計画を作成した時に、自分の死亡年齢を当時の平均寿命78才に設定してエクセルを造りました。
造っていても、そこまでは生きていないだろう・・・と半分は思っていました。
子供もない、夫婦二人暮らし、若い現役時代から会社での出世は全く考えず、好き勝手なことをし、現役中から夫婦二人の夢である、世界の秘境巡りを繰り返し、早期退職してからは、海外ロング・ミドルステイごっこをし、資金的にも私が早く逝っても、カミサンは困らないだろうレベルまでは確保してあるので、そんなに憂い、後悔、やり残したこともなくはありませんが、子供も孫もいない私は、ひと様より心残りが少ないのは間違いありません。
2度目の東京オリンピックが決まってから、2020、72才と云うのを強く意識しています。

明石家さんまが、自分の子、女の子に「いまる」と名付けた経過を聞いた時、すごいと感心しました。
「生きているだけでまるもうけ」と、生まれてきたくれた子に感謝の意味でつけたそうです。
私も2020に72才になり、その心境です。「生きているだけでまるもうけ」
もし、もう少し生き延びるとしたら、出来れば、わが人生リタイヤ計画どおりの78才が理想なのですが、そこまで元気なまま、
カミサンに迷惑かけずにいけるかどうか・・・

新しい年、昭和・平成に続く三代目、令和2年を迎えるに当たって、団塊世代のオジサンは考えています。
posted by 西沢 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年12月29日

シニアのwin7からwin10買換え、セットアップのお手伝い奮闘記

2020年1月14日に使い勝手の良かったwindows7の延長サポートが終了します。
先月、同じ町内会の81才のシニア男性から買換えの相談を受けました。
日本では、パーソナルパソコンと云えばwin95から、OSはマイクロソフトが当たり前という風潮があり、マイクロソフトの販売戦略に振り回されてきました。
セキュリティの問題や、ソフト・アプリの開発でOSを日々更新しなくてはならない事情は分かりますが、マイクロソフトの言いなりに、引っ掻き回されて来たという気持ちを、大勢の皆さんが持っています。
マイクロソフトのOSは、一つ置きに使いやすく、一つ置きに使い物にならない、というのは、私たちPCハードユーザー共通の認識です。
98は良かったが、2000MEは最低、XPは安定していたが、Vistaは最悪、win7はVistaの欠点を克服してXP並みに安定、Win8はこれまたダメで、現在のwin10ですが、クラウド重視になったので、これまでのOSと比較が難しい・・・が現在、これしかないので(マイクロソフトでは)、仕方なしに使っている、というのが日本のパーソナルコンピューターの現状です。

この81才のシニア知合いにお会いして、今使っているwin7を拝見しました。
CPUセルロン、メモリー4GMのごく一般的なパソコンで、使っているのメール・インターネットとワード・エクセルに、年賀状を書いて印刷し、時々マイピクチャ―にデジカメ画像を落とす程度の、ごく一般的な日本人シニアとしてのパソコンの使い方です。

先ず、このままwin7を使い続ける危険性についてお話しました。
インターネットを接続しなければ、何ら危険性はない旨、お話しました。
メールは受信の際に、htmlメールを拒否し、メールに書かれているリンクをクリックしなければ大丈夫。ワード・エクセルは、何ら問題はないし、写真の収納、印刷も問題ない。
自分の生活上でのPCの使い方に気をつければ新たに、win10に買い替える必要はない。

スマホを持つていますか?の問いに持っているとの返事
インターネットをみるだけなら、スマホで十分事足りる、今の若者はパソコンを持っていない子、使えない子が多いのですから、心配はありませんよ。
そしてパソコンで何をやりたいのですか?の問いに
スポーツクラブの役員や自治会・元会社のOB会の幹事をしているので、ワード・エクセル添付のメールやり取りがあり、これがないと困る、スマホではショートメールしか出来ない・・・
まあ、それは解りますが・・・

それでは、新規買換え購入しましょう。
でも、量販店に一人で行って、買うのは辞めて下さい。
なぜですか?・・・
Sさんのお話で分かりましたが、店員は、Sさんが必要としている以上の高スペックの高いものを薦めます。ハードディスクの1テラなんて必要はありません。
CPUは確かに早いものほど楽ですが、Sさんの使い方からみれば
現在のwin7と同程度のスペックで十分です。
メーカーは国産・中国製、何処も同じで、海外で組み立てられているので、拘ることはありません。国産に拘るなら、セイコーエプソン系列だったマウスコンピューターは信州諏訪で、100%、日本人の手によって組み立て、検査、出荷しているので、一番信頼できますが、パーツは海外製ですし、値段も高いです。
今のwin7はSさんが現役の頃勤めていた会社、T社で使い慣れているので、同じT社の同じくらいの仕様のものが良い。
とのアドバイスし、価格コムで調べると、やや高いけれども68,000円でした。
同じスペックならもっと安いものもあったのですが、元勤めて会社のものを推奨しておけば、後からのクレームをかわせる、という思惑もあったのですが。

Win10のセットアップはパソコン初心者では難しい。
しかも、今まで使っていたWin7からの引っ越しを81才、パソコン初心者のSさん自力で出来るかどうかは疑わしい。でも、ご近所の知り合いだからと云って、全く無料のボランティアでは、その後の色々な面倒を全て無料でやるハメに陥るのは、これまでの経験から解っているので、引っ越し・win10のセットアップを量販店に依頼したら、幾らかかるかを予め、ご案内しました。

下記がヤマダ電機公式セットアップ、サポート料金です。
https://www.yamada-denki.jp/service/totalsupport/pc-support.html

win7からwin10への引っ越しで、あまりにも沢山やらなくてはいけないことがご本人も理解され、量販店に頼むとどの位費用がかかるかをご理解したようで、Sさんは自宅に来てやっていただきたいとの申し出に、NPOボランティアセンターの登録市民活団体への公式PCサポート料金は1時間、神奈川県の最低賃金1,056円をいただくことを了承されました。

一回目
現在使っているWin7のデーターセイブをしました。
・メールはライブメールで、このアドレス帳をエクスポート。
・メールアカウントのパスワードは知らないというので、パスワードチェッカーで調べました。
・引っ越し先へ持っていくデータを外付けHDDに保存
・現在のプリンターを調べ、ドライバーをダウンロード、HDDに保存
・マクロソフトアカウント取得前の、パスワードの準備
 時間にして、1時間半の作業でした。

メーカーから新しいパソコンが届いたら、箱を開けて、付属品が全て揃っているか確認し、電源は絶対入れず、まず私にお電話下さい。セットアップ日を決めましょう。と伝え。

二回目
Win10のセットアップです。
箱にはwin10のセットアップ手順が書かれたものが入っていますが、81才のパソコン初心者では、言葉じたいが理解出来ないケースが多いのです。特に、win10でオフィスアプリを使うためには、マクロソフトアカウントを登録しないと最終的には使えないのです。
ネットでは、最初オフラインアカウントでも、セットアップが出来るように書かれていますが、オフイスを公式に使用するためには、最初からマイクロソフトアカウントを登録したほうが、早く済みます。

無事に立ち上がり、エクセル・ワードのショートカットアイコンをデスクトップに造りました。
win10の場合、スタートタスクにピン留めはメニューにありますが、デスクトップへのショートカットのメニューはありません。
これは、ある程度のパソコンユーザーなら、簡単に出来ます。
次に、メールソフトの設定です。
Sさんはライブメールを使っていましたが、今現在ライブメールは使えないのでアウトルックを使ってもらいます。予め、Sさんのメールアドレスはひとつだけでプロバイダーメールなので、設定はほぼ自動でアカウントは出来ました。

次に、ライブメールのアドレス帳のインポートです。
今まで、何回も他で同じような作業をしていましたので、5分で終わる予定でしたが、入らないのです。何が違っているのかと、その場でネット検索しても、有効な答えが有りません。
ここで、開始から3時間経過したので打ち切りして、翌日に持ち越しです。
私は、何時間でも最後までやり切る予定でしたが、81才のSさんはお疲れの様子で止めました。
この日は3時間の作業でした。

翌日三回目
前日のアドレス帳のインポートの不具合は、帰宅して調べてみました。
今までの経験は、ライブメールアドレス帳を同じくライブメールへのインポートでしたが、今回はアウトルックへのインポートです。
ネットで詳しく調べると、同じマイクロソフト、拡張子.csvは同じでも文字コードの違いで入らないことが判明、文字コードをANSIに書き換えると、スムーズにアウトルックに入りました。

次にこの日最難関、セキュリティソフトのインストールです。
このT社のパソコンはトレンドマイクロ社のウイルスバスター クラウドがプレインストールされています。
勿論、一定期間後有料、それも結構高い年間料金5,800です。
そしてなによりも、このSさんの家のネット環境では重い、遅いのが嫌で、個人用として何時も推奨しているソースネクストのセキュリティゼロを入れることにしました。

セキュリティゼロを入れるには、既に入っているトレンドマイクロ社のウイルスバスター クラウドをアンインストールしないと、他のセキュリティソフトとバッティングしてしまい、入りませんのは解っていました。
しかし、アンインストールするには、アンインストール用のアプリをダウンロード、解凍、インストールしないと抜くことは出来ないのです。
Sさんのご自宅は、鎌倉の山の中、ネット回線はケーブルテレビの光と聞いていましたが、実際のスピードはADSL並み、或いはもっと遅いようで、アンインストールするだけで、1時間以上かかりました。

続いて、ソースネクストのセキュリティゼロをインストールします。
これは、量販店で買ったのでCDからいれるので、簡単に終わると思っていましたが、最新のセキュリティ定義データのダウンロードでこれまた、1時間かかりました。
次に、プリンタードライバーのインストールと、実機の立ち上げ、印刷のテストです。
ちゃんと動作するのに、印刷文字が擦れています。
これも経験で知ってました。純正でないリサイクルインクが原因です。
毎日、何かしらの印刷をするハードユーザーならよいのですが、数か月に一度の印刷頻度ですと、リサイクルインクは固まってしまい、ノズルに詰りがでるのが原因でした。
午後1時から初めて終わったのが午後5時、4時間かかりました。

まだ、Sさんの要望は残っています。
Win10の使い方、アウトルックの使い方(送信・返信・グループ化)、エクセルが苦手で使い方を習いたいというのですが、今回はここまでにして、1週間か10日、ご自身でトライして、その時に解らなかったこと、質問したいことをメモして、後日ご連絡下さい。
と申し上げて、今回のボランティア(並みの)タスクは終了して、サポート代として10,000円いただきました。

サポート代金の10,000円は安いか、高いか?
ヤマダ電機や、他の量販店の料金は見れば一目瞭然です。
3日間で通算10時間以上、全ての要望を自宅の実機で解決するのですから。
それでも、団塊世代のオジサンの暇な時間を当てているのですから、一万円で十分なんです。
posted by 西沢 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ