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2022年06月07日

俺たち団塊47年組、後期高齢者なんて呼ぶな 週間ポストの記事


週刊誌、印刷物ばなれが進む世の中に

週間ポストと週刊現代は、これまでの週刊誌購買層の中心であったホワイトカラーサラリーマンの通勤電車内の新聞・週刊誌ばなれが進み、スマホで時間を過ごすようになり、メイン購買層が退職し、定年間際の中高年シニア層と移ったのを意識して、老後の健康・病気、薬の話題、葬式、相続を特集するようになって、もう10年以上になります。
その最新号5月30日発売のポストで目に止まったのが、久しぶりに見る「団塊世代」のタイトルが気になりました。


タイトルの団塊47年組とは、終戦の二年目、1947年生まれ、ベビーブーマー世代を表す言葉です、令和の世の中では、こうやって団塊と云う言葉を解説しないと解らない、知らない若い世代多くなって来ているのを、ポストの編集者はもしかすると、知らないのかも知れません。
私が早期退職した頃「団塊世代」という言葉はとても強力な、集客のある力キーワードでした。
あれから20年近くなり、団塊世代は後期高齢者に突入するようになると、もう「団塊世代」は、世間でもネット上でも死語となりつつあります。
私が、退職直後に立ち上げた「団塊世代 定年後の過ごし方 海外ロングステイ」にしましても7年前、社会の定年が65歳になった頃に最大アクセスピークを迎えてから、下降の一途をたどり、年間300万あったPVは、現在ではブログ・sns・ユーチューブなどのネットメデイアを合計しても、半分になっています。

買うまでもなくコンビニで立ち読みしました。
私の住む街の本屋は、いつの間にかたった二店舗だけになっています。

雑学「街から本屋が消えていく理由」は
かつて、日本の出版市場は「雑高書低」と呼ばれていた。雑誌の販売額が書籍を大きく上回っていたためだ。
出版業界の売り上げがピークを迎えた1996年には書籍の販売金額1兆931億円に対して、雑誌の販売金額は1兆5633億円と1.5倍ほどの規模だった。
効率のよい雑誌の売り上げが大きかった当時、出版業界の収益性は高く、それが書店の旺盛な出店の原動力にもなっていた。
しかし、その後、出版物の販売量は減少の一途をたどる。特に、雑誌はその頃拡大し始めていたインターネットや、携帯端末の普及に伴って急激に市場が縮小。
2017年の雑誌の販売額は書籍の7152億円を下回り、6548億円と最盛期の3分の1ほどに縮小してしまった。
このことが、雑誌の収益に頼っていた中小書店の経営と、雑誌で巨大流通網を回してきた総合取次の経営を直撃した。



江本孟紀×弘兼憲史×大和田伸也
「オレたち団塊47年組 心も体もまだまだ現役だ!」


対談三者のプロフィール ※Wikipedia参照
大和田伸也 俳優
1947(昭和22年10月25日) 福井県敦賀市 早稲田大学第一文学部中退 劇団四季 福井県敦賀の大和田銀行家の長男

弘兼憲史 漫画家
1947(昭和22年9月9日) 山口県岩国市 早稲田大学第一法学部卒業 松下電器産業 広告宣伝部に勤務  

江本孟紀 プロ野球選手 
1947(昭和22年7月22日) 高知県香美郡土佐山田町 警察官の家庭に育つ 法政大学 熊谷組から東映フライヤーズ・南海ホークス・阪神タイガーズ スポーツ平和党参議議員 

三者の対談のお話です。
小学校一年のクラスて生徒は60人近くいた。
中学にあがったら一学年16クラスあった。
高校から大学受験の時、ここで落ちると翌年はもっと受験生が多くなり、大変だと脅された。
三者ともに地方出身で東京の大学に入る。
住まいは三畳一間、トイレ共同、風呂なしは当時当たり前だった。

君はあの時、何処でなにをしていたか?

団塊世代の間では、いまでは、半分自慢話のよう時代背景であり、私達団塊1948組でも同じことです。
少し、1948組との違いは、この3人の対談のなかでは、全共闘、学園紛争の話題は一切でてきませんでした。
東大から始まって日大江古田、あの日大でさえ学内で日大初めての学生によるデモがあったのは1968年、彼らは大学3年生の時です。
東大安田講堂事件(東大紛争)は1969年1月18日から同19日かけて東京大学で起きた学生紛争ですから、この三者は既に就職は内定しており、さして興味はなかったのでしよう。
一人は、劇団の道に進み、大手メーカーに就職し、プロ野球ドラフト2位の道を選択しています。
かく言う私は、このきな臭い匂いを先に嗅いでいたのか、前年には日本を飛び出していました。

三者の対談の内容は、私達団塊世代の仲間内話と同じであえて週刊誌上で、他者にお話するような内容は一つもありません。
3人に共通しているは地方出身で東京の大学へ来た頃の話・・・
ても、ここで注釈が必要です。
1965年当時の日本の大学進学率は17%です。
野球の江本は別として、福井県、山口県という東京から遠く離れた地方から上京し、早稲田大学に入るというのは、お勉強のほうは勿論ですが、かなり財政的に豊な家庭の子供でなくては難しい時代でした。※今ではもっと難しいのかもしれませんが・・・
私の中学時代の同級会を紐解くと、同じクラスから4人、早稲田にいきました。
かれらの家庭は、一人は転勤族の大企業、一人は教師の家庭、二人は会社経営者です。
東大が一人、東北大が一人、その他国立一期校が4人、都内私大他、女子も5人ほど大学進学しており、全国平均をかなり上回る進学率のクラスでした。

今年、後期高齢者の仲間入りをする三人の話題は
健康、病気、長生き、葬式に関する興味、話題だけ、後は少しだけ、お色気への興味です。
75歳になる老人三人からは、経済的な、お金に関する話はいっさいでませんでした。
これはまず、普通のことでしょう。
老後の経済的な問題、不安を、後期高齢者と呼ばれる年齢になっても抱えている高齢者は少ない、・・・と私の廻りを見回して感じていました。

履歴書を書く高齢者の姿
しかし、世の中はそんな余裕のある高齢者ばかりではない
私が、イートインコーナーのあるコンビニで他の雜誌を斜め読み、立ち読みをしていると、私と同じような年齢の男性が、何か一生懸命に書いあいるのを、チラッとみると、履歴書を書いています。しばらく書き終わると、同じ店舗内の証明写真ボックスに入っていきました。
どう見ても普段着、ジャンパーなのですが、やがて出てくると、店員さんに糊を借りて貼り付けていました。
そして、最終的に、それをコピーしていました。
この人、自筆で書いた履歴書のコピーを提出するのだろか?
私の感覚でいったら、その時点で不採用だけど・・・
どう見ても、今読んでいた俺たち団塊47年組よりも、そして私よりも年上にみえるけど・・・
あの年齢で仕事があるのだろうか?

働く後期高齢者
その日の夜6時台のニョースのなかの特集で、「働く後期高齢者」という番組をみました。
後期高齢者75歳以上が働く理由は・・・とのインタビューの答えは
もちろん、分かつています。
「年金だけでは苦しいから」が圧倒的に多いのは最初から分かっていました。
「健康のため」「ボケないため」という回答はほんの付け足し程度です。
団塊世代のオヤジは「贅沢しなけりぁ食ってはいけるけど、小遣いは欲しい」と云います。
番組のなかで、65歳以上、80歳まで働ける職場を取材していました。
求人・アルバイト雑誌「インディード」によると以下がベスト5です。
・マンション管理人
・交通誘導警備員スタッフ
・ビル清掃
・施設送迎バス運転手
・スーパーの荷出し

今の求人募集案内で、年齢・性別などを記載して良いのか知りませんが、65歳以上でも可とあっても、電話問い合わせした時点で断れるケースが多いと、特集のなかでは報じていました。
なかには80歳の女性がマクドナルドで働いている姿を報じていましたが、これは特殊です。
接客業のベテラン女性で若いアルバイトや社員の模範になるように、会社がモデルケースとして雇用していだけです。
確実に75歳、後期高齢者でも働ける職場、職種は・・・

・国家資格を持つ、医師・薬剤師・看護師・保健師などの医療系
・国家資格を持つ、会計士、弁護士、税理士の専門職
・国家資格を持つ、電験三種以上の電気保守系
その他、まず現在の日本では、実績以前に資格が必要なのです。

うちのかみさんは、今年71歳、十分働けるのにな・・・全然働く意思はない。
「何のために、早期退職したのか分かつてるの」の、と云うに決まっています。

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posted by 西沢 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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