
4月の日曜日、午後暇で見るものがなく、新聞のTV欄をみると、再放送のようながら、見たことのない「NHKスペシャル」をやっているようです。
タイトルは「NHKスペシャルブラックホール 1964の日本・東京 歴史映像の中にタイムスリップ」当初、ブラックホールという名前から、科学番組なのかなと思っていましたら、どうやら違う、昔にタイムスリップし、当時の世相・文化を掘り下げるような内容のようです。
NHK新聞欄の解説によると
俳優・山田孝之が最新デジタル技術で「歴史映像」の中にタイムスリップ!過去を追体験する新感覚ドキュメンタリー。
1964年。それは東京五輪に向け、東京大改造や農村からの人口流入など“ブラックホール”のようなカオスが生まれた年。
銀座の地下でツルハシを振るう男たち、通勤地獄や交通戦争、過酷な現実に向き合う若者たち…。
当時の貴重な「未公開映像」を発掘し、知られざる熱狂の首都の姿を浮かび上がらせていく。
高校2年の秋、開会式をカラーで見た

戦後ベビーブーマー世代、大きな塊の団塊世代の私にとって、1964年、東京オリンピックの年はよく覚えています。
当時1948年(昭和23)生まれの私は17歳でした。
東京オリンピックの開会式は、近所の美容院のカラーテレビでみました。
今思えば、日本人選手団の赤いジャケットは不自然ながらの「赤」でしたが、初めてみるカラーテレビの前は、ご近所の人がいっぱいで、子供の私は、人々の後ろから覗き込んで見ておりました。
この番組のなかで今まで私が知らなかったことが沢山ありました。
ニチボー貝塚の女子バレーボールチームは解散予定だった。
1964年10月23日、
日本中の視線は駒沢のバレーボールコートに集まった。
東京オリンピックバレーボール女子決勝・日本対ソビエトは、日本のスポーツ中継史上最高視聴率66.8%を記録。 「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子日本代表は3-0でソビエトを下し、悲願の金メダルを獲得した。

それと云うのも、当時の女子バレーは企業スポーツ、当時全盛期にあった繊維産業が女性工員のためのリクレーションスポーツとして推奨され、全国・地方からの人集めに多いに役立ち、東京オリンピックが決定される頃には、ニチボー貝塚チームは、当時世界一だった、ソビエトを破り
世界一になり、一躍日本女子の栄光、国威掲揚と、ももてはやされたのです。
この時の大松監督は、世界一を機会にチーム解散の予定だったと、のちに話しています。
このNHKスペシャルでは、選手全員が既に引退を決めており、参加大反対だったのですが、世論の圧力で仕方なしに参加したと語っていました。
知らなかった女子バレーの裏側
この時の女子バレー参加国は5ケ国のみで、開催前前日、北朝鮮チームが参加取りやめして帰国し、オリンピック委員会の規定でトーナメントは成立出来ず、急遽、韓国の選手団が当日参加してなんとか成立したと報じていました。
あの当時、そんな事情は全くしりませんでした。
東京ブラックホール番組のなかで、会場建設、新幹線、首都高速などが次々に建設されていく裏側の東京を紹介していました。
近年の北京オリンピックで、北京の下町の木造建築は表通りから隠されるように塀ができ、壊されて行く様子、劣悪な公衆トイレ、溢れ出すゴミの山、スモッグで見えない青空、つばを路上で吐く人への罰則、寝巻き姿で歩く人など、先進国を目指す中国政府として隠したいもの多くを、中央集権政府の力で抑え込む姿が、日本の報道番組でも紹介されていましたが、1964の当時の東京でも全く同じことが行われていたのを、今回の東京ブラックホール番組で知りました。
汲取式トイレ・ゴミの垂れ流し・売血
東京にはまだ、汲取式トイレが多く残され、バキュームカーが吸い上げた汚物を東京湾沖に捨てていたこと、隅田川は汚物、ゴミで溢れ、異臭を放っていたこと、人々は平気でゴミを路上に捨てていたこと、町には生活に苦しい人々が売血所で、牛乳瓶2本分を1,000円で売ってしのいでいたこと、その結果、ウィルスが蔓延した輸血が2割にも達してたこと、海外からオリンピックにくる選手団が、日本での輸血を拒否していたこと。
余談ですが・・・
私は中学3年のときの怪我で3ヶ月入院し、その時の手術のときに輸血をうけていたようで、成人してウズへキスタス旅行中にA型肝炎に感染し、帰国後の体調が悪化し、カミサンの友人がいる国際医療病院に緊急搬送され、そのまま入院。翌日主治医から、A型肝炎は3週間のベッド安静で問題はないが、C型肝炎がある、輸血された経験はあるかと、問われました。
その後、そのまま、当時の唯一の治療法インターフェロン療法で三ヶ月入院し、現在では完治しています。
東京の空はスモッグで汚れ、来日する外国人は当時からマスクをしていたことなど・・・
北京五輪の開催中、中国政府は北京、河北省の全工場の操業を停止させ、青空を取り戻したというニュースがあり、日本では考えられないと思ったこと。
修学旅行で京浜工業地帯の赤い煙を見た

鎌倉の次は羽田空港へバスで向かった先に川崎の京浜工業地帯をとおりました。
時刻は夕暮れ時、もくもく煙をあげる何本の煙突、赤く濁った空・・・バスガイドはこの風景を自慢げに、現在の日本の工業力の強さ的な説明をしていました。
まるで現代の私達が、北京のオリンピック準備を見る時に感じていた、ある種の軽蔑感、優越感は、1964年当時の欧米外国人と一緒だったのです。
東京から遠く離れた信州に育った私は、華やかな東京五輪の裏でこんなことが起きていたとは、全くしりませんでした。
しかし、高校を卒業して上京した翌年、ある知人から「東京五輪は、留置所でみていた」と聞かされました。
日本政府はじめ警察組織は、来日する外国人に見てもらいたくない風景のみならず、人間も隔離していたのです。
彼は私と同い年くらいの青年でした、ちょっとグレていて、町中のチンピラ風でした。
東京五輪の始まる二日前に、警察に囲まれ、捜査令状も理由もなく留置所に入れられたそうです。
そこで警察から、オリンピックが終わるまでここに留置する、そのかわりテレビは見放題、3食弁当を官費で支給する、五輪が終わったら、処分保留で釈放する、協力せよ、おかみの方針だと告げられたそうです。
今、あの当時を振り返ると、みんな若かった無知だった。
日本人はみんな貧乏だった、と云われますが、とうの私達本人は、全くそうは思っていなかった。自分は無知でも、貧乏でもなく、自分の人生の前途には明るく輝く世界であると思っていました。
他の国、他の人の生活を知らなかっただけなのでしょう。
今回、改めて「東京ブラックホールII 破壊と創造の1964年」を見て、初めて知ったことが如何におおいことか!
NHKを全て、受け入れる訳ではありませんが、このような番組を作り続ける限り、少なくとも「地上波受信料」は払い続けます。
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