CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2022年04月26日

同期、同級生、同じ団塊世代は全てライバル・competitor 


70歳を過ぎてから同級会のお誘いはない
ここ二三年に一度、中学校時代の同級会が、生まれ育った町で開催されてきましたが、70歳古希を過ぎてから一度も同級会開催のお知らせがありません。
地元に残ったり、都会での仕事を終えて故郷に帰ったりした中学校時代の同級生は、退職直後の60代前半の頃は、よく集まっていたと聞きますが、私が最後に中学時代の同級会に参加したのは、ちょうど4年前、古希を迎えた年でした。

その時の幹事T君は
中学時代一番仲がよく卒業してからも付き合いのある友人です。
私達の中学校は県庁所在市のなかでも、市立ながら県で最高レベルの県立進学高に進む生徒が多い中学校で、かなり多くの学区外からの転居・転校生が入っくる中学として有名で、クラスのなかで上位10名近くは、東大進学で有名な県立高校に進み、そのまま、ほとんどが東京・京都・仙台など大都市の国立大学一期校(当時の国立大学は一期校・二期校と分かれていた)か、東京六大学の私立校へ進むような環境、雰囲気の中学校でした。

確かに、私の中学校時代の同級生男子から東大・京大・東北大・北大など国立一期校や首都圏の有名私学に10数名が進学しており、当時の大学進学率をからみると、かなり教育県信州のなかでも抜きん出ていたような中学校でした。
そんな環境のクラスのなかでT君は、中学三年間づっとクラストップの成績で当然、県下一の進学校に進むかと思っていましたら、当時新設された国立5年制の高専に進みました。
彼の家は、小さなモーターの修理を扱う工場で、将来この家業を継ぐことに何の迷いもなかったと、後から聞きました。

T君の車は高級車レクサス
私が南米から戻った時、いの一番に再会したのが、高校でも、大学でもない中学の同級生のT君でした。
そのT君は、小さなモーター修理の工場を、地元自治体や国の施設の保守・点検を請け負う比較的大きな会社に成長させていました。
四年前開かれてた中学の同級会でも、県外に住み、同級会に帰ってくる仲間の送迎を、高級車「レクサス」でしていました。

「レクサス」を見て、私は「すげーな、さすが社長」というと彼は、「独身の俺はこのくらいの贅沢ぐらいしても良いだろう」と云います。
かれは、私と同い年ですからこの時70歳、人柄もよく、容貌も普通、結婚の障害となるような家庭環境でもないのに、どうして?と思い、
やはり同じクラスの独身同級生女性に聞いたことがあります。
今思えば、考えれば「セクハラ」発言でしょうが・・・
「どうして独身なの、同じ独身同士でT君なんてどう」
彼女の答えは「いい人だと分かつているけど、恋愛は別よ、あの人真面目過ぎて、面白くないもの」とのこと、ふーんそうなんだ女性の目には

信州の県条例とは
T君の実家と私の兄が住む実家が近いせいもあり、帰郷した時に数年に一度くらい会っていたり、T君が仕事として上京する際に、東京で会っていました。
一時期、頻繁に上京するので、「会社の仕事忙しいの?」と聞くと
「お前だけに云うが、お前も知っているだろうけど、信州は県条例で風俗営業が出来ないので、わざわざ仕事にかこつけて、新幹線で、県境を超える男性が多いんだよ、俺は独身だから別に隠す訳でも、わざわざ言う必要もないけどね」
私も独身のようなものですから、こんな話しが出来るのでしょう。

今年になって、彼が上京した際に会い、「ここ4年も同級会が開かれていないけど、どうしたの?」と聞きました。
彼は、少し間をあいて話しはじめました。
「実は地元ではここ数年、年に2度くらい同級会が開かれているだ」
「俺には何の連絡もないよ」と私。
「いろいろあってね。齢をとっても、妬みやら、地元に住む自分達と置かれている環境・生活に大きな隔たりがある同級生とはあまり会いたくないという、心理があるようで、お前には連絡してないんだよ」

「なによ、それ
「お前は、50代そうそうでさっさと退職し、好きなように海外で暮らし、俺たち中学校の修学旅行で憧れた鎌倉という土地に住み、ボランティアかもしれないけどNPOやら地元地域に貢献するような充実した老後を送っていると聞くと、年老いた両親の介護やら、自立しない独身の息子や、出戻り子連れの娘をかかえて生活しているような家庭を抱えている同じ年代にとっては、あまり会くない相手なんだよ」
「俺は、別に自慢話をしているとは思わなかった。定年後、老後をいきいきと暮らして欲しいと思って話していただけど、そう思う人もいるんだ」

そして「小学校や高校、大学の同級会、同窓会に行ってるの?」と聞かれました。
小学校は町の真ん中、県下一の商店街やら歓楽街がある町で生まれ育ち、小学校を卒業すると、2つの中学校に分かれて進学しました。
出入りの多い、商店街の子供と大きな駅周辺が学区のせいか、小学校の同級生の卒業後は散り散りになれ、あるいは、私が18歳で故郷を後にし、その後海外に出たり、生まれ育った実家はお店だけ残して、郊外の新興住宅に引っ越したせいか、一度も同級会の案内はありませんでした。

高校の同級会はどうかと云うと・・・
現役・現業時代に一度だけ、故郷で開かれた同級会に参加しました。
1990年代、バブル真っ盛りの頃でした。
この同級会も地元に就職した、一部の昔からの仲良し・飲み仲間的グループと、東京の一部上場企業に身を置く、特に金融・商社関係者が多く、会話の大半は、給料・ボーナスの話しと、仕事の話しばかりでした。
当時、東京都庁の建設や、赤坂・六本木の再開発の現場に携わっており、同じ世代でも業種によってはこんなに仕事に向き合う姿勢が違うのかという感覚に陥りその後は
全く高校の同級会には参加していません。

55歳で退職し、住まいを鎌倉に移した時に、当時の幹事役に、住所の変更と現在のリタイヤ後の状況をハガキでしらせましたが、それ以降全く連絡はありません。
この幹事役は実兄の勤めている会社の部下ですから、兄から私の現況を知っているハズです。

この話しを先程の中学校の同級生のT君に話すと
「幸せな人、成功している人の話しは聞きたくないんだよ」
「男は何歳になっても、同期・同級生はライバル・competitor何だよ」
「特に、俺たち団塊世代は、小学校に入った時覚えている?、教室の一番後ろまで机・椅子があった一クラス60名だったの」
「俺たちの中学校だって一学年16組まであったのを覚えているだろう」
「子供の頃から、進学・就職・結婚・住宅まで全て競争さ、これから病院・老人ホーム・葬儀場・火葬場まで競合・競争・抽選さ」

大学は中退、専門学校は夜間で、卒業後の連絡は一切なし

元勤務先はどうかと云うと、退職後10年までは、年賀状と年始のご挨拶にいきましたが、お世話になった上司がなくなってからは、全て途絶えました。
私の実家との盆・暮のご挨拶代わりのお歳暮・お中元は、先方より、虚礼廃止とのお手紙で中止しています。

子供のいない夫婦は、現在の住まいでは町内会とも関係はなく、唯一、カミサンのスポーツ仲間の御婦人・友人だけが繋がっている状況です。
年齢を重ねるうちに、お付き合いは年々に狭くなり、兄弟とも縁遠くなり、最後は家庭・家族、我が家のように子供もましてや孫もいない家の場合は伴侶だけとなるのを、実感する黄昏の時間を感じています。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
この記事へのコメント
コメントを書く
トラックバックの受付は終了しました

この記事へのトラックバック