天声人語のコラムではこの日かかれていたのは
大学時代の記憶では、クリスマスはつらい日だった。
恋人とすごさねばならないという空気があまりに強かったからだ。
相手のいない者同士で集まり、アパートで焼酎をのんでいた。
この記事を読んで、この筆者の年齢を思い浮かべていました。
天声人語の筆者は複数いるかと想像しており、そのお一人はの通勤の描写から、私の住む鎌倉・大船地域かと想像し、年齢は私達団塊世代よりも、ちょうど一回り下、還暦を迎える頃かと想像していましたが、この日のクリスマスの日の過ごし方の記述をみると、もう少し下かなと思い直しました。
クリスマス・イブに都内の高級ホテルで二人で過ごす、その時に必ず上がる名前が「アカプリ」(赤坂プリンスホテル)、私と同じ事業部の同僚が新築工事に携わっており、そんな関係でこの季節、「アカプリ」の予約を頼まれると、話していた頃を思い出します。
天声人語の筆者はあのバブル期のことを、毎年のクリスマスの時期に思い出すのでしょう。
昭和のあの頃のクリスマス

私の家は、信州の県庁所在都市の商店街のど真ん中、裏どおりは県下一の歓楽街でした。
クリスマスの夜は、一年で一度だけの楽しみ、角のパン屋さんのバタークリームのホールケーキが食べれることでした。
父親が結核療養所にはいっている貧しい家庭での唯一の贅沢でした。
丸いホールケーキを四人兄弟分、如何に平等に切り分けるかを固唾をのんで見守っていたことを、今でも鮮明に覚えています。
ブエノス時代のクリスマス

働いて職場の同僚から、東洋からきた青年が一人さみしく、異国でクリスマス・イブ(navida)を過ごすのを気遣って、彼の家庭に誘ってくれました。
その当時の写真が残っていました。
彼の家族は母親はイタリア系二世、父親はドイツから移民一世でした。
初めてのナビダ、アルゼンチンは典型定期なラテン社会、カトリックと家族の繋がりをもっとも大切にする国民性です。
招かれる時に一言いわれたのが、参加者全員へのプレゼント、ほんの小さな心遣いが必要と前もって云われていました。
私は、友人の日本人花卉栽培農家からね100本のカーネーションの花束を抱えて参加しました。
この家族にとって、初めて接する、東洋から来た青年です。
思い出すのは、世界大戦にも参加した彼の父親の言葉
よく、ジョークで耳にしたことがある言葉が本当にあるのだと分かつた言葉。
「次の大戦では、イタ公(イタリア人)抜きで、ドイツと日本だけで戦おう」と本気なのか冗談なのか分からぬ言葉です。
すると、イタリア系の奥様が本気で、父親の几帳面な性格を批判し始めのを今でも鮮明に覚えています。このイタリア人とドイツ人の国民性の違いというのは、数年後に思い知らされる思い出があります。
当時のアルゼンチン・ペソは不安定で、私達外国人は常に、ドルに変えて持っていたのですが、ある時、このイタリア人奥様から、どうしてもドル建て゛しか買えない電化製品があり、今手持ちにドルがないので、手に入れるまで用立ててくれ、と頼まれドルを預けたのですが、いつになっても返金されず、ドイツ系のご主人に話したところ、結局、奥さんは使ってしまい、返すあてがないことが判明しました。
このことがきっかけでこの家族とのお付き合いは、以後なくなりました。
イタリア人がどうの、ドイツ人がどうのと云うことではなく、この70前半年代の時代、アジア系の青年が海外で一人生活するにはまだまだ厳しい、人種的な偏見、甘さがあったでしよう。
結婚してからの二人のクリスマスは
カミサンに子供の頃のクリスマスはどう過ごしたか聞くと、地方都市の郊外に住んでいた、カミサンの家では当時は、近所にスーパーもなく、ケーキ屋さんは街の中心部にしかなく、日常的にケーキを食べことはなかった。クリスマスのケーキの父親が勤めてい職場の「購買部」からその日買ってきていたようで、ある年のクリスマスは、父親が通勤途中バイクで転倒して、かなり崩れたクリスマスケーキを分け合ってたべたことを覚えていると話していました。
今、二人だけのクリスマスは

値段よりも、カロリーを気にするお年頃なのです。
最近は、お互いの誕生日も、お正月も、ましてや二人の結婚記念日も特別祝ったり、特別外食したりすることはなくなりました。
ごく普通の食事、普通にたんたんと過ごしています。
これが、子供のいない、団塊世代、70代夫婦の当たり前の生活なのでしょう。
ひとつ、気がかりなのは、私が逝った後、カミサン一人でどんな、クリスマス、年越しをするのか、それが一番の心配事です。
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