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2021年11月23日

11月22日はいい夫婦の日

私達夫婦は結婚して43年になります。

この日の朝日新聞の天声人語を読むまで、この日が語呂合わせで「いい夫婦の日」であることは知っていましたが、結婚して43年になるもこの 「いい夫婦の日 11月22日」を意識したことはありません。
いつから、こう呼ばれるようになつたのか・・・


こんな時、ネットは本当に博識・物知りの百科事典です。
ウィキペディア(Wikipedia)参照

由来
1985年に日本政府の経済対策会議にて、ゆとりの創造月間として11月が提唱されたことと、「11月22日=いいふうふ」と読める語呂合わせによる。
概要
1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)によって提唱された。
その後、1998年に「いい夫婦の日」をすすめる会を設立し普及を推進しており、2000年より、毎年、広く一般からの投票を基に、理想の夫婦・カップルにふさわしい「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を選出している。
2000年代に入り、一般にも認知されるようになり、11月22日に入籍(婚姻届)する有名人なども増えている。



「いい夫婦の日」という言葉を聞いて思い出すのは、
すでに亡くなっている自分の両親のことです。
大正生まれの私の両親が太平洋戦争大戦中のさなかに夫婦となり、戦後の混乱期の昭和23年に私は生まれています。
そして、父が71歳、母が66歳の時、父親は動脈瘤破裂で亡くなっています。
私の記憶のなかでの両親はいつも、家庭内では夫婦喧嘩が絶えず、私子どもたちは度々、近所に住む、父親の姉、おばさんの家に「仲裁」を訴えてにいった事を覚えており子供の目から見て、「夫婦仲のよい夫婦」とはとても見えない両親の関係でした。
母はそんな子どもだった私に「末っ子のお前が高校を卒業したら別れる」と公言していました。
私も子どもながら、「そうすべき」だと思っていました。

やがて、子どもたち四人が成人し、私が38歳の時、父は71歳でなくなりました。
今でもわすれられない光景があります。
当時、田舎の実家で葬式、出棺が行われていました。
出棺まで、気丈な母は、参列者に笑顔で対応していたのに、いざ納棺となり、棺に父の遺体を収める時、母は棺に抱きついて号泣したのです。
あんなに夫婦仲が悪いと思っていた母親が・・・

私は、20歳を前に実家を離れ、海外で生活をしていました。
実家を離れ、日本とは違う世界で生活をするにつれ、私が育った家庭環境が、日本の正常な家庭ではないのを知りました。
世の中には、働き者の父親、自愛あふれる母親の家庭が当たり前にあることを知ったのです。
南米から帰国しても、信州の実家へは年に数度しか訪れておらず、その後の両親の生活、間柄については全く知りませんでした。
あの夫婦仲の悪かった母と父、母が父の葬儀で、人前もはばからず、号泣する姿・・・
自分自身が結婚し、大人となってから見る、両親夫婦はも私の子供の頃、貧乏のなかでの子育て中の夫婦とは全く違っていたのです。
父の亡くなった71歳は超えて、初めて夫婦の間柄というものは、子どもから見たものとは、別の計り知れない世界があるものだと、遅まきながら悟ったのでした。

では、私達夫婦はどうなんだろう。

私は73歳、カミさんは70歳、父親がなくなった当時の両親の年齢を超えています。
子どものいない、同じ価値観を、同じゴールを目指す仲良し夫婦のハズですが、当然ながら、生まれ育った家庭環境により二人の生活のなかでは齟齬は沢山あります。

昭和の貧乏家庭で育った私は、小学校の一泊二日の修学旅行で、下着の替えを準備して持っていくという、普通の家庭の常識が理解できませんでした。
当時の私の家庭では、下着を替えるのは銭湯に行く時だけ、だけだったのです。
歯磨きもほとんどしたことがなく、修学旅行に初めて歯ブラシを準備したことを覚えています。
このことを、4つ上の姉に話すと、当時、昭和20から30年代のあの貧乏家庭では当たり前だったと云います。

私は、結婚してから、毎朝カミさんから洗濯仕立ての下着を着替えるように渡される度に、昔の子供の頃の話をすると、貴方の育った家庭が異常だったのよ、とたしなめられます。
※私の好きなテレ東の旅バラ「路線バスの乗り継ぎの旅旅」の出演者、同じ団塊世代の蛭子能収さんが太川から、「トイレで手を洗わないでズボンで拭くし、下着を着替えない」とからかわれますが、同じ世代、地方で育った蛭子さんのは私達と同じなのです。

食事にしても、商売をしていたので、お昼も晩も食べざかりの子ども四人の食事の手間も大変だったのと、県下一の歓楽街に育ち、あの当時から、すでに大きなスーパーマーケーットや、デパートが近所にあり、昼はパン食、夜のおかずは、出来合いのお惣菜が普通、母の手作りの味は
インスタントカレーの我が家に比べ、北関東の半農サラリーマンの家庭に育ったカミさんの家の食事は、野菜中心だったようで、カミさんの元職業がら栄養分に拘った健康志向の食事が中心となっています。
それにしても、二人共にコレステロールは高い何なんだ!

眞子さんには幸せになって欲しい

「いい夫婦の日」と聞いて、育った田舎の両親を思い起こし、自分たち夫婦のことを考えた時、思い起こすのは秋篠宮家の長女「眞子さん」のことです。
父宮の秋篠宮殿下は「結婚は両性の合意に基づく」と言明され、「眞子さん」の結婚を承諾されたと聞いています。
国民に沿った天皇家としては、模範的なお言葉ですが、果たして正解なのかどうか・・・
昔、結婚は「家同士の婚儀」と云われた時代がありました。
釣り合いのとれた家同士、経済的にも、家庭環境も、学歴も・・・
しかし、70年以上も日本という国で生きてきて、果たして「好き同士のカップルの結婚」がベストかどうか、改めて考えさせられています。

皇室という狭い空間、真空、無菌状態のなかで育った「お姫様」が世間、それも「世界で一番お金が一番物を言う」アメリカ・ニューヨークで、ごく普通の家庭(普通ではないようにみうけられますが)に育った、しかもマザコン気味の一人っ子と育った若者と夫婦としてやっていけるのか?個人的、日本人として、「どうぞお幸せに」と願うのですが・・・

私の最後の時、カミさんはどうするでしょう?

最後に、カミさんに私の父親の納棺の時の母親の号泣し、棺に抱きついた姿を思い出していると云うと、
「私は全く覚えていない、そうだったの、私は嫁として、台所に立っていたから、見てないわ」
「まさか、貴方の納棺の時に、そんな姿を私に望んでいるの」
「いいや、全く、100%望んでおりません、きっとあっけらかんと済むと思う」
「第一、お葬式はやらないから、病院から火葬場へ直行よ」

まあまあ、子供のいない、夫婦なんてこんなものでしょう。

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posted by 西沢 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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