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2021年10月28日

映画 燃えよ剣  ラストサムライ 土方歳三

チャンバラ活劇映画か?歴史ドラマか?
これまで、月に一度の映画館通いでしたが、最近の暇を持て余し、月に2度のペースになっています。先々週、ここ立て続けで外国人監督の撮った社会派映画「MINAMATA」,「ONODA」をみましたが先週はぐっと変わって、日本の大手が大体的にメディアで広告をうっている、大俳優を揃えた、商業、娯楽、チャンバラ映画、「燃えよ剣」を見てきました。

時代劇と云っても、時は幕末、好き嫌いが激しい「新選組」ものです。
昔、NHKの大河ドラマでヒットしないものの定番として上げられていたのは、「平安・鎌倉時代もの」と「幕末もの」でした。
これまでの「平安・鎌倉時代もの」は

 4回 1966年 源義経
10回 1972年 新・平家物語
14回 1976年 風と雲と虹と
17回 1979年 草燃える
29回 1991年 太平記
32回 1993年 炎立つ
33回 1994年 花の乱
40回 2001年 北条時宗
44回 2005年 義経
51回 2012年 平清盛
そして来年、61回 2022年は鎌倉殿の13人です。
あまり視聴率が良くなかった理由は、ハッピーエンド、立身出世ではなく、政治的ドロドロがどうしても付きまとうからなのでしょう。特に51回 2012年 平清盛は史上最低視聴率7.3だったと思います。
大河ドラマ好きの私も二回目まで見て、日曜日の夜を期待するには相応しくないと見ませんでした。

一方の「幕末・明治維新もの」は

1回 1963年 花の生涯
6回 1968年 竜馬がゆく
12回 1974年 勝海舟
15回 1977年 花神
28回 1990年 翔ぶが如く
43回 2004年 新選組!
47回 2008年 篤姫
49回 2010年 龍馬伝
52回 2013年 八重の桜
54回 2015年 花燃ゆ
57回 2018年 西郷どん
60回 2021年 青天を衝け
明治維新ものはかなり評価が別れますが、いずれも時代背景が複雑であったり、登場人物の多さや、過去の歴史的人物のイメージが固定されていてるのと、若い世代の支持が少なく、人気俳優を配した龍馬伝でも18.7%でした。

この幕末ものに必ず登場してくるのが、新選組です

日本国民は歴史的背景もありますが、現政治体制を覆しての天皇制への復帰、四民平等への革命、文明開化、西欧諸国と肩を並べる「ご維新」と、現政治体制にとっても、国民的感情からも、薩摩・長州・土佐・肥前に好意が偏り、これらを弾圧した幕府お抱えの「浪士集団」に対する評価は低いものでした。
それでも、個人的に、近藤勇、土方歳三、沖田総司などにスポットをあてた小説・漫画などもありましたが、いずれもチャンバラ、剣劇小説に過ぎませんでした。
そこに登場したのが、司馬遼太郎の小説、最後まで戦った土方歳三を描いた「燃えよ剣」でした。

私が、劇場でチャンバラ活劇を見ること少ないです。
時代劇自体は嫌いではなく、唯一東北の小さな藩の下級武士を題材とする、「藤沢周平」氏の映画化したものは、ほぼすべて見て気まました。が、剣豪ものや、いわゆるチャンバラ活劇ものは嫌いでした。
今回、この映画を劇場に出向いて見ようとしたきっかけは、やはり大河ドラマの「青天を衝け」です。
「青天を衝け」の時代は幕末、主人公は現埼玉北部「深谷市」の農民出の「渋沢栄一」です。
渋沢栄一が農民から、幕臣となり、明治維新後に新政府で活躍し、日本経済の礎をきづく物語です。
私は、この大河ドラマを見て、初めて、新選組のリーダーとなった、武蔵国(現東京)、多摩の農民、近藤勇、土方歳三の時代背景を悟りました。
映画の筋書きをネットで見ると、この頃の農民時代から、江戸に出て、浪士となり、京に上り、会津藩お抱えの戦闘集団になって行く過程がかかれています。

Wikipedia参照・引用

主人公は新選組、土方歳三
武蔵国多摩郡で「バラガキ」(乱暴者、不良少年)と呼ばれた少壮の時代から、京へ出ての新選組結成と維新志士達との戦い、そして江戸幕府瓦解後も官軍に降伏せず戊辰戦争を転戦し、ついに箱館戦争において戦死するまでを扱う。
司馬は、新選組時代は京洛で過激志士達を追い回し、戊辰戦争では幕軍残党の将官として戦いに明け暮れる日々を送った土方を、「芸術家が芸術そのものが目標であるように、喧嘩そのものが目標で喧嘩をしている」と評し、これといった政治思想も持たずにさながら芸術的興奮を求めるように戦い続けたその生き様を「喧嘩師」と形容する。

新選組は多数の志士を殺害したことから、維新体制下では「逆賊」と見なされてまともに顧みられず、単なる人斬り集団として貶められることも多かった。
しかし子母澤寛の『新選組始末記』(1928年)により再評価の機運が生まれ、『新撰組悲歌』(1934年)などの映画公開、そしてやや時を置いて発表された
本作『燃えよ剣』と、同じく司馬の連作短編『新選組血風録』(後述)の登場によって、今日に至るまでの人気が決定づけられた。
以降の新選組にまつわる創作作品の多くは、本作と『新選組血風録』で作られたイメージの影響を色濃く受けている。



映画は幕府天領の多摩の農民時代から始まります。

この当時、ペルリ来航以降、水戸藩の「尊皇攘夷」の思想、水戸学が盛んで農民の間でも、学問・剣術を学ぶものが多く、大河ドラマ「青天を衝け」でも多く描かれています。
そして舞台は「京」に移り、渋沢栄一も土方歳三も、薩摩の西郷・長州の桂も何処かですれ違っていたでしよう。
この当時の政変については、大河ドラマ「篤姫 」「龍馬伝 」「八重の桜」「花燃ゆ」「西郷どん」でいろいろな角度から描かれています。
この映画のなかでは、近藤勇は、雇われ浪士たちのリーダーでありながら、政治的活動に目覚め、二条城の会議にオブザーバーとして、頻繁に参加しているのに対して、主人公の土方方歳三は、一戦士として生きる道を模索していく様子が描かれており、京都から追われ、江戸に舞い戻った近藤勇は、政府軍との政治折衝に出向いて捕らえられ、流山で斬首されます。
土方ら戦士は、上野彰義隊で戦い、会津戊辰戦役で戦い、最後の幕府軍のリーダーとして、函館五稜郭で戦士します。

会津若松の土方歳三

昔、あまり新選組のことを知らず、というより嫌いだった頃、会津若松を旅した時、東山温泉に大きな土方歳三の写し絵をみました。
なんで、ここに土方歳三なのかと思いました。
まだ、大河ドラマ「八重の桜」放送前でした。
新選組と会津藩の関係も知らず、ただの幕府方の京都の警邏隊の剣術使いと思っていた頃です。

そして最後の舞台 函館五稜郭へ
新しい近代国家を目ざす明治新政府軍と、江戸幕府による旧体制の維持を目ざす旧幕府軍による戊辰戦争は、東北の奥羽越列藩同盟崩壊によっていよいよ新政府軍勝利の気配が決定的になりました。
しかし旧幕臣の榎本武揚や土方歳三たちは幕府再建をあきらめず蝦夷へ渡って蝦夷共和国を築き、新政府軍側の拠点である五稜郭と松前城を攻略し、迫りくる新政府軍を迎え討ち、ここで土方歳は戦士として幕を閉じるのです。
五稜郭を見渡す、五稜郭タワーのなかに、土方歳三のブロンズ像が設置されたのは、ごく最近2005年のことです。

この映画を見終えて
歴史上の人物の評価というものは、後世の人々によって書かれたものです。
特に近世の幕末は、いろいろな資料、見聞が残されており、いろいろな作家、歴史学者、評論家が書かれています。
その人物をどの角度からみるのか、どの立場、どんな信条で描くかは、当然違ってきます。
今回の映画の中に、「晴天をつけ」のもうひとり主人公、最後の将軍「徳川慶喜」はおろかなに、逃げ腰の、何も決められない人物として描かれています。
土方歳三は、最後まで戦う戦士、トム・クルーズの映画「ラスト・サムライ」のように描かれています。
私は、歴史上の人物にもなれないし、世の中に何かを残す人物でもありませんが、私が逝った後、どんなふうに思い出してくれるでしょうか?

最近、齢のせいでしょう、私の今の齢よりも若くして亡くなった父親を思い出します。
父親の人生はなんなんだったろう、成年して直ぐに中国戦場にかりだされ、病弱で返され、働き盛りの30~40代の7年間、結核療養所暮らし帰ってきた家の家業は母が握り、居場所、やりがいのない生活・・・
その後、私は20前に家を離れ海外へ、帰国してもずっと首都圏ぐらしで、その後父の暮らしはよく分かりません。
ただ云えることは、傍目にみてあんなに母と父は諍いをくりかえしていたのに、子供の頃、母は末っ子の私が成人したら、離婚すると云っていたのに、葬儀の納棺の時にあの気丈夫な母は、棺を抱えて豪涙したのです。
思い出すのあの日の事ばかりです。


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posted by 西沢 at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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