上諏訪の駅のフォームに足湯がありました。
文字通り、温泉を売り物にしている町のようです。
長野県生まれ、18歳まで長野市で育った私ですが、上諏訪と下諏訪の違いもわからず、諏訪湖じたいもじっくりと眺めるのもはじめてでした。
そもそも、長野県は明治の廃藩置県のさいには、松本・伊那を中心とした中央・南部の「筑摩県」と北・東を中心とした「長野県」としてましたが「筑摩県」は旧松本城にあった県庁が焼失し、長野に統合されて「長野県」となった経緯があります。
長野県は日本で四番の南北に長い面積を持つ県で、常に北の長野と県中心部にある松本は、競争相手として意識した経過があり現在でも県民の間では、北信(長野)東信(上田・佐久)と中信(松本)南信(駒ヶ根、飯田)が日常的に区別、使われています。
今回の高遠の桜を見に行く計画のなかで、カミサンの要望は唯一つ、一泊目は諏訪湖畔の湖の見える広い部屋、その代わり夕飯はいらない(一番の理由は宿泊費ではなく、太るから)でした。
旅の目的が高遠の桜撮影で、満開、お天気はピーカンの青空の日を選んで行く・・・でしたから、毎日ネットで開花状況と天気を調べ宿の予約とキャンセルを都合3回して、ようやく决定したのが4月7日だったのです。
宿は、上諏訪温泉街のなかでは(阪急交通社のランクでは)Aクラスのちょっと上、湖畔面に建つ高層リゾートホテルの最上階、33平米の湖が正面に見える部屋、朝食付き(夕食なし)で二人で26,000円ですから、「寝れればどこでも良いや」の私として、途轍もなく高い宿です。
しかし、昨年までは、ほぼ毎月宿泊を伴う旅行をしていた私達ですが、このコロナ禍の2021年、初めての旅で、ほんの少し旅予算に余裕があり、ましてやカミサンは古稀のお祝いもしていないのだから、ついつい、マウスをポチとしてしまいました。
ロケーションもお部屋の広さも、バスルームも広く、14階の展望風呂からみる夕焼けも申し分ありませんでした。
そして、チェックインの際、高島城のライトアップサービスの車サービスがあるとの申し出に参加すると、私達二人だけの為、私達の時間に合わせて駐車場で待機してくれました。
翌朝は目の前の間欠泉センターで吹き上がる油煙を拝見して、諏訪湖湖畔の観光スタートです。
このホテル「紅や」前の海岸通りの桜は見頃を迎えていました。
高遠の桜は3日ほど、ピークが過ぎて散りはじめていましたが、上諏訪は高遠よりもやや北に位置しているのと、様々な場所で見かける「寒天の里」の看板にあるように、冬の寒さと乾燥の地で、桜の開花は近隣の松本よりもかなり遅いようでした。
この春の行楽シーズンでも、温泉地のお客さんの戻りはほとんどなく、閑散としているとのホテル側の説明でした。
その割には、今回、随分強気な料金設定だったのですが・・・
カミサンが満足しているので、まあいいか!
高島城
前夜、ライトアップを見学した「高島城」の昼の桜と天守閣の風景を撮りに再び、お城に向かいました。
諏訪と云えば、御柱の諏訪大社で、諏訪にお城があるとはこの旅行を計画するまで知りませんでした。
諏訪は元々地元豪族の諏訪氏の地でしたが、甲州武田の下に入ったり、武田が信長・秀吉によって滅亡したあとには、徳川の傘下に入り明治維新まで諏訪氏として続き、お城は2017年、続日本100名城(130番)に選定されいるようです。
夜の桜ライトアップを撮影して朝の天守閣と桜の画像を撮って、駆け足で上諏訪駅に戻りました。
この中央線の上諏訪と下諏訪のあいだは一駅だけなのですが、昼間の時間帯は2時間に一本しか電車がないのです。
実際に特急はあるのですが、下諏訪に止まる列車は少なく、仮にあっても特急料金がかかるのです。
距離にすると4.7km、歩いてもいいけど、この日スーツケースを持っているので、諦め、電車に間に合うように、駆け足で上諏訪駅を目指しました。
下諏訪
諏訪大社下社 下馬橋
諏訪大社と云えば七年に一度の「御柱」が有名ですが、今回の旅ではじめて、上社と下社があり春宮・秋宮、前宮・本宮と4つあるのもはじめてしりました。町として上諏訪のほうが大きく賑やかななのですが、諏訪大社、御柱と云えばどうやら、下諏訪がメインのようです。
例の御柱まつりのハイライトの木落し坂も、こちら下諏訪にあり、駅前観光協会も熱心に歩き方、ルート、食事どころまで紹介してくれました。
諏訪大社下社春宮
私は、神社やお寺さんで手を合わせて、お祈り、お願いをすることは全くなく、雰囲気を感じるだけで十分なのですが、カミサンはどんな小さな神社、お寺でも手を合わせ、お賽銭を投げ込み、そして必ず御神籤をひき、お守りを買っています。
結婚して40年以上になり、合理的なカミサンの姿を見てきていますが、こんな側面にいつもおどろかされています。
そして、今回の諏訪大社で目を惹いたのが、四本の御柱が思ったよりも大きくも、太くもないことです。
御柱まつりの映像でみる限り、太い切り出した木の正面に座る法被姿の男たちの姿と比べると、かなり太い、大きい柱と思えていたのですが実際に建てられている、裸の色あせた柱をみると、あの存在感が薄れるのは七年と云う歳月のせいなのでしょうか。
次の御柱祭は2022年のよう、来年ならまだ私に見に来る機会は残されているかな。
万治の石仏
神社・仏閣にはあまり興味のない私は、人の手によって造られ、彫られた「石仏」が大好きです。
高遠でもいくつも、名もなき石工が彫った、お地蔵様が田園風景に自然にありました。
ここの万治の石仏には由来があり、「明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された・・とされているのがこの石仏です。」とのこと。
由来よりも、そのフォルムとお顔のユニークさに惹かれ、桜をバツクに撮影しました。
旧中山道と花見新道
駅前の観光案内所で、私と同年代の観光協会の有償ボランティアの男性と、下諏訪のあるき方・廻り方の説明のなかで、中山道がこの町を通っていたことを知り、古い、江戸当時の商家を紹介され、その時この中山道と平行して走る国道142号線が、今や花見新道として人気とお聞きして、下諏訪大社から向かいました。
旧中山道も花見新道も分かりやすいのですが、ここから下諏訪駅に戻る道で迷いました。
古い、入り組んだ町並みがそのまま残っている為、もらって観光地図眺めても、現在地がよく分からないのです。
予定していた時刻に下諏訪駅に着き、松本行きの電車に乗らないと、次の電車は2時間後しかないのです。
スマホのグーグルマップを立ち上げればすぐに解決するのは分かっていますが、それは最終手段、これまでの経験と地図を読む力と、そして陽の射す方向を見極めて歩く・・・そんな時、地図を読めないカミサンは、直ぐに人に声をかけて道を聞きます。
私にはそれが出来ない・・・結局反対方向に歩いているのが分かり、駅に到着しました。
電車の時間にはかなり余裕がありましたが、トイレの時間にはギリギリセーフでした。
明日は三日目 「松本の桜」をお伝えします。
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