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2021年02月04日

私の好きな国 ミャンマーのクーデター

2月1日、スマホのヤフーニュースと同時にTVのNHK番組に「スーチ女史、国軍に拘束」が飛び込んできました。
翌日の新聞には、軍によるクーデターとの記事が掲載されていました。
ミャンマーは私の好きな国の一つで、退職後の1995年から最後の訪問となった2012年まで3〜5年間隔で都合5回訪れています。

ロングステイを考え始めた時から、候補地の条件的な問題は有りますが、仏教世界遺産の国ミャンマーで のんびり・グータラに過せたら良いなー、と考えていました。
東南アジアの仏教国で ありながら、インドと国境を接しているため微かに南アジアの香りを残す、魅力的な国です。
初めて、ミャンマーを訪れたのは1995年、ミャンマーがまだ軍事政権で、入国時に悪名高い強制両替が あり、中国やキューバと同じ外国人用の二重貨幣制度が残っていた、文字どおり、半鎖国状態の秘境の国でした。

その後、外国人観光地域が少しづつ開かれる度に、何度も個人旅行の形で旅してきて、経済開放後のミャンマーの変化を目の当たりにしてきました。
最初に行った1995年当時は、町中には外国人が自由に入れるレストランは一軒もなく、全て現地旅行社指定のレストランでのみでしたし、勿論、スーパー・コンビニもなく、公設の市場でしか買い物は出来ませんでした。
外国人の私達は、現地通貨のチャットでの支払いは出来ず、全てドル払いでした。
このような兌換制度の国は過去にも経験してきています。

今世界の経済大国となった中国も私が通っていた頃は兌換元と中国元の二重制度でした。
北京での買い物は悪名高い「友誼商店」のみで、つっけんどんな女性店員が応対し、支払いはまた別の窓口で支払い、再び売り場にレシートを持っていくとかの店員が買ったものを放ってきたのを覚えています。
最後の中国旅行1993年の「敦煌」でもまだ、兌換元が存在しており、お土産物では中国元の受け取りを拒まれ兌換元での支払いを要求されました。

キューバでも、旧ソビエトでも
ついで、1996年のキューバもキューバ・ペソ、キューバドルの二重紙幣の世界でした。
この当時、キューバペソと公定キューバドルの両替闇相場は20倍もありました。
しかし、例え闇でアメリカドルをキューバペソに交換しても、私達外国人が買えるようなもの、欲しいものは、全くありませんでした。
1997年〜1998年、旧ソビエト崩壊後に旅した、中央アジア諸国や、モスクワ・サンクトペテルブルグでも同じような経験をしてました。
どこでも、自国の通貨よりも、アメリカドルでの支払いを要求されました。
中国のシルクロードの外れの小さな町でも同じです。
自国の公用通貨、中国元での受け取りを拒否され、兌換元での支払い要求されました。

北朝鮮でも
このように、自由経済に移行つつある国ではこのようなことがあるのは承知していましたが、一番驚いたのは、2002年に旅した北朝鮮です。
北朝鮮国内旅行では、原則、お金は使う所はありません。
移動もホテルも食事も全て込みこみですから、唯一使うのはお土産ものだけです。
ホテルや観光地での買い物は、全て日本円のみです。それは解かるのですが・・・
平壌の町中の小さな屋台のアイスマリーム屋さんで試しにアイスクリームを買おうとすると、日本語で50円と云われ、100円玉をだすと、なんと
50円玉のお釣りをくれました。
街の小さな屋台でも、日本円が流通しているなんて・・・

ミャンマーへの旅の歴史は


1995年、初めてのミャンマー ヤンゴン・バガン・マンダレー
当時、東京駅周辺の現場を担当していて、ランチに出て、近くの八重洲口にあった旅行会社「地球の旅」の団体パック15名催行 8日間を見つけ、聞いてみると、15名集まり催行决定しており締め切っているとの回答でしたが、添乗員なし、現地英語ガイドなら、二人で送り出すだすこと可能とのことで、初めてのミャンマーに旅立ちました。
ちょうどこの年、ミャンマー軍事独裁政権は、ミャンマー観光年として少しづつ、門戸を広げ始めた年でした。
この時、二人だけでしたのでかなり自由な歩く方が出来、自宅監禁されていた「アウン・サン・スー・チー」さんの日曜集会に行ってみました。
ガイドの女性とタクシーで行くのですが、タクシーはスーチーさんの自宅前5ブロツク手前まで降ろされ歩き、自宅前1ブロックでガイドさんと分かれて二人だけでスーチーさんの自宅前まで行ったとを覚えています。

1998年、チャイティーヨパゴダと少数民族の村 カロートレッキング
一回目のミャンマーが気に入り、その時に見た現地の観光ポスターの「チャイティーヨパゴダ」に惹かれ、本格化した海外旅行のネット情報から三年前には外国人が入れなかった「ミャンマーの聖地」に入れることを知り、個人手配旅行として行くことにしました。
当時、解放後チャイティーヨ山に入った最初の日本人と云われ歓迎されました。

2005年、インレー湖のお祭り
この頃になると、ミャンマー現地旅行代理店とのお付き合いが始まり、日本の旅行代理店を通さずに直接現地との交渉、手配になりました。
ミャンマーへのビザも、日本の品川にある大使館で取得するようになりました。
現地の旅行代理店、現地の日本語ガイドともコンタクトがとれるようになると、ミャンマーという国のいろいろな事情、特に民族に関わる諸問題を知るようになりました。
インレー湖のガイドは、シャン族の元日本留学経験がある女性でした。
シャン・・・siam・・・つまりタイの古い国名シャムです。
ミャンマーでは、大きく8つの部族、全体で135に及ぶ民族が存在します。
メインは国民の大半を占める、ビルマ族です。
このガイドの女性はシャン族でした。常に身分証明書を持ち歩しており、拝見するとそこには、民族名がかかれていました。
となりの州に移動する時に、銃を持った兵隊が私の乗った車を止め、パスポートチェツクを簡単に済ませてのち、ガイドの女性の身分証を見てから、何処かに連絡を取り始めました。
後から聞いた所、「私がビルマ族ではなく、シャン族だから」と言ってました。

2009年 バガン大遺跡群
ミャンマーは少しづづですが、門戸を開き外国人の観光客も増えて来ており、外国人観光客向けの旅行代理店も増えて来ている時期でした。
しかし、この二年前2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、APF通信社の契約記者として活動していた長井 健司さんが軍兵士に至近距離から銃撃され死亡した事件が置きました。
この事件以降、個人申請のミャンマービザは非常にむすかしくなりました。この亡くなられた記者は観光ビザで入国したいたのが原因でした。
私の場合、品川のミャンマー大使館で申請するする際に、現役時代の職業、勤め先、現在の収入を証明する書類の提出を求められました。
つまり、私が「メディア関係者ではなく、普通の観光客」であることを証明しなくてはならなかったのです。
この頃から外国人観光客、海外資本がミャンマーに入りはじめ、徐々に観光物価が上がり始めたのを実感しはじめました。

2012年 カレン州へ
2011年3月、約50年間続いた軍政に終わりを告げ、民政移管を果たしたミャンマーはテイン・セイン大統領の下で民主化と経済改革が進められ、新たな未開拓市場としても世界中から注目されはじめました。
軍事政権が終わりを迎え、タイ国境周辺の少数民族カレン族との停戦がなって、初めて外国人の観光が許された直後にカミサンと二人のスタイルで行きました。
この時、かなりヤンゴン市内のホテル高騰し、移動の専用車の値段もガイドの値段も全て、値上がりし始めていました。
と、云うよりも、現地の日本語対応の旅行代理店の殆どは、旅行代理店業務を止めて、ミャンマーに進出してくる企業に対するコンサルタント会社に変貌し、旅行・・特に私たちのような、二人だけの、特殊な地域への旅行手配を敬遠し始めた頃です。

2020年 ここ数年のミャンマーと日本
日本の企業は上部座仏教の国ミャンマー、日本人と民族的性質が似た若い、優秀な人材の豊富な国として、中国離れを推進し、この国に注視しており現在では進出企業は500社に及ぶと云われています。



日本企業の進出とともに、国内の建設会社も海外に進出し、大手ゼネコンの大成建設のTVCMは、かのアニメの巨匠「新海誠」監督作品として美しい絵柄となっています。
実によく、ヤンゴンの下町の風景を表した良い絵です。

そして今年2021年のクーデター
再びの軍事独裁政権の誕生です。
ネットは遮断され、銀行は閉鎖されている模様です。
再び、私達が古き良き大乗仏教国として好んだ、20年以上前の国にもどるのでしょうか?
情報は全て軍が管理し、買い物は全て現金、家も車も全て現金での買い物、銀行は全く信用されていない時代、メールもネットもない時代に逆戻りすることはもうないでしょうが・・・・
それでは、もう若者、国民は黙っていません。
もう海外からの情報を遮断出来る国なんて、この世界には存在しないのてすから。

私が海外旅行を卒業する大きな原因のひとつは2012年のカレンでの食あたりでした。
フラフラで帰国して救急車で運ばれた病院での検査の結果、胆管結石でした。
直接の原因がミャンマーでの食事・水ではなかったのですが、もうこんな経験をすると、医療と言葉の問題から、行ける海外はハワイ程度なった年でした。
結果的にはこの三年後2015年のハワイが私達最後の海外旅行となりました。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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