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2020年10月20日

退職年齢を迎える時の差、地方都市と首都圏大都会

定年退職後に地元の町に戻ってきて
自分の生きがい、やりがい、居場所をさがし、家族、子供たちと如何に地元コミュニテイに溶け込み、残された人生をより豊かに生きていくかと云うテーマで長年、サイト・ブログを通して発してきましたが、ここ数年、ある知り合い、友人を通じて、目から鱗の経験をしました。

私が今、そしてこれまで発信しているのは、あくまでも自分が経験してきた、大東京首都圏に住む、サラリーマン退職者のケースであり、他の県、他の地方都市ではまた違ったケース、生き方、過ごし方、考え方もあるのだと云う事を、この友人から知りました。

今週日曜日、大船公民館でビデオクラブの月に一度の例会が開かれました。
今年のコロナ禍の影響で、ここ数ヶ月は立て続けに、Zoomによるオンラインミーティングでしたが、ここ2か月は、コロナ対策を万全にしたうえでのリアルミーティングとなっています。
今年の1月のメンバーは17名でしたが、この日代表幹事より新たな退会者の報告がありました。
75歳の高齢を理由に退会された方、80歳でがんにより亡くなられた方の他に、3年前新規参加された68歳の若手Iさんが正式に退会のされたとの報告がありました。
全員の声は「惜しい・・・」です。

このIさんの入会の時のことをよく覚えています。
お住まいは、北関東・・それも限りなく南東北に近い北関東です。
ご自宅から月1の例会の開かれる鎌倉市大船までは、在来線でくると、3時間半、移動距離205Km、料金は3,740円かかるのです。
新幹線を使うと 2時間11分、料金は7,120円、自分の趣味の為とは言え、月に一度の大旅行、行きは在来線、帰りをと使い分けても料金は一万円を超す、趣味の世界になるのです。
当初、クラブのメンバーは、果たしてこのまま、私たちのメンバーとなってくれるか、不安視しました。
これまでのよくあるケースですと、数ヶ月このビデオクラブの提供してくれる、各種映像編集ソフト・技術を学び受け取ると、次月からはこなくなるケース、或いは、鼻高々でビデオクラブ入ってみたら、あまりにも自分のレベルの低さに気が付き、辞めて行く方など様々でした。

このIさんは入会された時は60代前半まだ、再雇用中の現役でした。
現役中から、再雇用の終る65歳の自分のリタイヤライフを見据えて、月一度、日曜日に北関東から首都圏に出てきていたのです。
一部上場電子通信機器メーカーのエンジニアをされていた方で、転勤の都合で工場近くの北関東に居を構え、定年後もここで暮らす計画とお聞きしました。
パソコンには仕事がら精通されていますが、動画映像編集は全く初めてで、カメラの選択、動画編集が出来るスペックのパソコンとは・・と、毎月定例会が開かれる数時間前からいらっしゃって熱心に勉強していました。

Iさんとお話ししていて、ふと南米なまりスペイン語の単語が聞こえるので、お聞きしてみますと、かなり長い間、会社の仕事で単身南米に、その後家族と一緒にアジアにいらしたことを聞きました。
Iさんも、ネット上の「定年後の過ごし方、団塊世代の海外ロングステイ」の管理人が私であることは、知っており、元同じような業界で現在、一緒映像の世界にいる心地良さを数年間共有してまいりました。
Iさんは65歳の再雇用延長が終わる時、会社は再々雇用のお話があったようですが、お断りして完全退職なされたのが2年前です。
私は、彼にこれからどうするのかと問うと、地元の大学のシルバー大学に入り勉強しなおすというのです。
これまで、仕事に関わることばかりやってきたけど、これからは、もっと普遍的なことを学んでみたいと云います。
そして、シルバー大学って楽しいところですよ、授業はもちろんですが、部活、サークルもあって毎日楽しく過ごしています。
妻はまだ働いていますし、よくサイトで書かれているような、退職男性が邪険にされるような環境ではないです。
月に一度の大都会、そして知識慾を刺激されるビデオクラブを楽しみにしています。
月に一度の新幹線も新鮮でいいものですよ。と

そのIさんが何でビデオクラブを退会したのか?
それは、今年3月の新型コロナウイルス騒動からです。
このコロナ禍で、シルバー大学の講座は休講になり、楽しみの一つのサークル、クラブ活動も中止に追い込まれ、月に一度の楽しみの大都会のビデオクラブも電車による移動自粛で休まざるを得なくなり、さてどうしたものかと思案していた時、目にしたのは地元産業の一つ、アスパラ栽培の農家の窮地の記事でした。
アスパラの成長は早く、ジャストタイミングで収穫しないと、商品として出荷出来ず、どんどんと伸びていってしまうのです。
これまで、この地のアスパラ栽培、収穫を支えてきたのは、アジアからの実習生や、大学の留学生アルバイトが支えてきていたのが、コロナ禍で人手が一気に失われてしまったのです。
そこでIさんは、猫の手以上には少しはお役にたてるのではと、ご近所のアスパラ農家にお手伝いに行くこととなったのです。
農家としてみれば、ご近所の65歳といえ、この地では超若手の日本人男性のお手伝いは願ったり叶ったりです。
ひと夏お手伝いしてみると、いつしかこの農家になくてはならない存在となり、Iさんも専業ではないものの、必要とされてる立場を理解し、出来る限り地元の人たち、仲間、のお役に立ちたいと考えるようになりました。

Iさんのお住まいの北関東の新幹線が停車するまちは、都会ではありませんが、保養地・温泉地・別荘地として人気の地です。
Iさんは元々この地の生まれ、育ちではなく、会社の転勤の都合で越してきた方ですが、山歩きが好きだったり、温泉が好きだったりそんなに過疎・不便な田舎ではなく、少し車を走らせれば、都会と全く同じとは云えませんが、買い物も文化施設もある土地が気に入っていました。

晴耕雨読、日々好日、山歩き、温泉
大都会に定年まで住み、田舎暮らしを楽しみにしている方も多いでしょうが、なかなか新しい土地での人間関係でなじめないとか、問題は多いのですが、Iさんにとってここは、半地元なのです。そして、今自分を必要としている人たちがいる、このコロナ禍が収まり、アジアの実習生が戻ってきたら再びシルバー大学に、と戻る場所もあるのです。

都会では出来ない、晴耕雨読、日々好日、山歩き、温泉、そしてビデオクラブは退会しましたが、友人関係は残っています。
お互いにいつでも、いらっしゃいと技術相談にも乗ってくれ、時たま、都会の青い灯赤い灯への付き合いも出来る、そんな日をIさんは手に入れたのです。

これから、65歳定年退職を迎えるご同輩へ、Iさんのような生き方、定年後の過ごし方のほんの一例を紹介しました。
あとは、ご自身で「青い鳥」の地を探してください。
posted by 西沢 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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