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2020年09月24日

あれから50年、1970年抜け落ちている私の日本の記憶

週刊現代の読者・購買メインターゲットの一つが、団塊リタイヤ世代だと云うのは、周知の事実です。
今の若い世代から40〜50代前半までの男性は、週刊誌を読まない、お金を払わないのです。
私たちが現役の頃の電車の中を思い出せば、朝の通勤電車内は新聞を読むか、文庫本、ハウツー本を読むか、今日の仕事の資料を読んでいるの当たり前で、帰りの電車のなかは、週刊誌でした。

退職後、朝夕の通勤電車に乗る機会は滅多にありませんが、ほぼ90%、年齢・性別を問わず見ているのはスマホ画面です。
そして、盛んに指を動かしているのが見えます。
スマホを常用するまで知らなかった頃、その動作は、メール或いはラインを打っているものだと思っていました。
ずいぶん、長文のメールをこの電車のなかで打っているなど思っていましたが、ふと覗いてみると、メールではなく、ゲームをしているのです。パズドラを際限なくやってます。
ある若い女性の指はの動きはそんなに早くなく、何かを読んでいる様子、漫画をよんでいました。
勿論、漫画ではなく、ニュースを読んでいるサラリーマンも多いのでしょうが。
時代は変わる・・・もう、新聞も文庫本も週刊誌も電車のなかで読むのは、私たちシニア世代だけなのか。
私は、旅や長時間電車移動の際は、あらかじめ読もうとする本・雑誌を事前にカバンに入れているのですが・・・

週刊現代の新聞広告は毎号、大げさで、中身を読むとたいした内容でないのは、解っています。
いつも、買って、読んで、後から520円もったいないとおもうのですが、今週号のキャッチに惹かれ、また買ってしまいました。
タイトルは「あれから50年目の秋がやってくる」「1970年秋、僕の記憶」です。
私には、1968~1974年間の日本の記憶が欠如しています。
友人・カミサンとの間の会話のなかで、「あ、その時期、僕は日本にいなかった」となるのです。
21世紀、グローバル社会、航空路で狭くなっている世界、ネットで繋がっている世界では、例え地球の裏にいてもリアルタイムで知ることが
出来るのが当たり前の今ですが、1970年、日本の出来事は、ちょうど日本の裏が南米のブエノスアイレスにいる私には、かなりのタイム差・ラグ
で伝わりますが、実感できないことばかりでした。
そう、この週刊現代の記事の「僕」は誰なのかしりませんが、読んでみようと買いました。

1970年秋の映画「ひまわり」と「いちご白書」
1970年、団塊世代の私は22歳、日本にいたなら大学を卒業して、社会人になっていた齢です。
前年には、東大安田講堂が陥落し、学内のストも解除、誰もが安保闘争の終わりを感じ取っていた、時代。
週刊現代の記事ではこの年の映画に触れていました。
「ひまわり」はあのソフィア・ローレンの名画です。
私は、ブエノスアイレスの映画街、ラバージェ通りで見ました。アルゼンチンですからイタリア語版で字幕もありませんでした。
でも、ストーリーはほぼ90%は理解できました。
「いちご白書」は存在すら知りませんでした。
この1970年の映画といえば、私の記憶に残っているのは「黒澤明」の「どですかでん」です。
地球の裏側のアルゼンチンでも、テレビでは「七人の侍」のフルバージョンを度々やっていましたし、黒澤映画となると、無条件で一流映画館でロングランしていました。
この映画は国内では興行的は失敗したと云われており、今回の現代の記事には全く登場しませんが、海外では評価は高かったのです。
でも、日本映画のスペイン語字幕は明らかに間違っていました。
この映画の中の親と子の間会話は、全て敬語が使われているのが黒澤映画のなかでは、親子の関係を表現しているのですが、スペイン語字幕では普通、親子の間で使われる二人称、それも親しい家族間で使われる「Vos」だつたのが、鮮明に記憶されています。
そして、この頃、ブエノスアイレスで見た映画で記憶に残っているのは翌年1973年の「エクソシスト」とブルース・リーの「燃えよドラゴン」でした。
映画はいつでも、見た当時の自分の生活を思い出させます。

1970年の歌 藤圭子の「夢は夜開く」と岸洋子の「希望」
ネットもTV中継もない時代、ビデオ録画はもっと後の70年代後半のことです。
地球の裏側に今、日本で流行っている歌と云うのは意外に早く伝わるものです。
一番楽しみにしていたのは、前年のNHK紅白歌合戦のフィルム「映画」です。
半年遅れて、日本大使館領事部が先ず、ブエノスアイレス市内、次にブエノス近郊の、やがてその当時海外移住事業団の開拓地の各日本人会館を巡回、上映していました。
生の歌を聞き、生の歌手を見るのはこの時が初めてでした。
アルゼンチンのタンゴ、フォルクローレは大好きですが、やはり母国語で歌われる日本の歌は、自分が日本人であることを再認識され、郷愁を覚えるものでした。
当時の流行った歌を聞くと、その当時の自分、その当時生活、友人を思い浮かべますが、私にとって「夢は夜開く」は、ブエノス時代そのものなのです。

1970年と云えば「大阪万博」と「三島由紀夫」です。
日本に帰国して、日本の社会で生きていくと、必ず、日本経済成長の起爆となった「大阪万博」の話になりますが、私にはありません。
日本を出た時のドル相場365円とアルゼンチンに入った時のペソ相場は1ドル360ペソで、全くイコールでした。
70年、ドル相場は両国とも変わらなかったのですが、日本の経済成長は急速に進み、日本に住む友人からの手紙によると、給与・ボーナスがどんどんと上昇し、確実に豊かになっていく様子が伝わってきます。
アルゼンチンに住む私は、現地採用条件でしたら、さして変わらず、所得差はどんどんと開いていった時代でした。
そして、アルゼンチンの夕刊紙に衝撃的な見出しと写真が掲載されました。
「Japon HARAKIRI」です。
大きな見出しの脇には、三島由紀夫の首が転がっていました。
恐らく、推察するに日本の新聞では、この写真は掲載されてはいないでしよう。

ざっと読み終わって
中高年男性向けの週刊誌「ポスト」「週刊現代」はお色気記事が多く、自宅まで持って帰えるのに多少対抗があったので、現役時代は帰りの駅のごみ箱に捨てていたのを覚えています。
その頃の週刊現代と今はどうかと云うと、もっと過激になっており、袋とじは無修正ヘアーヌードにあふれています。
週刊現代は、リタイヤ団塊世代向けの、退職後シニア向けの様々な情報記事があるので、カミサンもみますので、袋とじはカミサンが読み終わってから密かにあけていますが、ぜんぜんたいしたことはないのは、云うまでもありませんが。

あれから50年ですか・・・時が過ぎるのはあまりにも早かった。
最近、振り返ることが多くなってきています。
あの頃の映画、あの頃の歌、あの頃の出来事。
古稀を越すと、振り返ることが多くなるのは、齢のせいなんでしょう。


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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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