CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2020年08月20日

100歳ちかくなる人の心とは 「林住期」から「遊行期」へ

団塊世代に残された余命・日数とか、五木寛之の林住期とかを考えていますが、人生百年時代、超高齢化社会と云われる昨今、自分の廻り、親類、コミュニティを見回してみると、確かに90歳をはるかに超す方々が沢山いらっしゃいます。
同じ、趣味のサークルの平均年齢は、毎年上昇しており、意外といっては失礼なのですが、皆さんお元気です。
そして、皆さんがおっしゃるのは「長生きがしたい」、「出来れば100歳」まで生きたいとおっしゃります。
経済的にも、家庭環境、親族に恵まれた方々ばかりでないのに、どうして?と・・・色々な本、記事に目をとおしてみました。
その中で、朝日新聞「Globe」記事が参考になりました。

100歳近い人の心の内には、70代ごろまでの人とは異なる「幸福感」が存在する。
東京都健康長寿医療センターや大阪大学などの研究から、「老年的超越」と呼ばれる精神世界が浮かび上がったといいます。

老年的超越とは

スェーデンの社会学者、ラルス・トルンスタムが1989年に提唱した概念
85歳を超える超高齢者になると、それまでの価値観が「宇宙的、超越的なもの」に変わっていくと云う。
1,思考に時間や空間の壁がなくなり、過去と未来が行き来する。
2,自己中心性が低下し、あるがままを受け入れるようになる。
3,自分をよく見せようする態度が減り、本質が解るようになる。
と云った特徴がある。






研究によると、3,000人へのインタビューや分析の結果「老年的超越」が裏付けられたといいます。
仕事を引退し、体力が衰え始める60~70代では、出来ないことが増えることに不安が募り、鬱々とした気持ちが高まるが、85歳以上になると、超越する傾向が強まるといいます。

今更、「老年的超越」と云う言葉を引き出すこともなく、東洋人・日本人は昔から知っています。
年齢を重ねるごとに、人は丸くなる、大人になる、物質・財産への執着心が薄れていく、つまり、昔の言葉で云うと「仙人」に近づいていくのでしょう。


五木寛之氏の云う「林住期」(りんじゅうき) 50〜74歳から「遊行期」(ゆぎょうき) 75〜90歳への移行なのでしょう。

介護の現場では60~70代の人は、超高齢となった親の様子の変化に戸惑ったり、いら立つすることが多い。「老年的超越」の存在を知ることで、家族や介護職員の接し方も変わってくるのではと、述べています。

さて、現実的に後期高齢者の入り口に差し掛かった団塊世代はどうするか?
まだ、まだ「丸くなる」・「大人になる」・「円熟」とは遠い存在です。
少しづづですが、物欲が薄れてきているのは確かです。
今回のコロナ臨時給付金をいただいても、今すぐ欲しいもの、買いたいものが見当たりません。
本当に欲しいものは、コロナ臨時給付金では足りないからかもしれませんが。
知識欲、旅への意欲も、かなり落ちてきています。それも行きたい所がなかなかなのが原因。
食欲も、かなり落ちてきています、コロナ騒動で在宅が多く、運動不足で太るためどうしても控えめ、カロリーを気にしてしまいます。
異性にたいする関心、慾は・・・妄想はあるものの、体がほぼ追いつかない状態です。
それでも、「長生きしたい」と云う欲望は薄く、当初の老後計画の78歳、あるいは長くなった平均寿命の80歳で十分という消極的な欲望しかありません。

「これではいかん」という心と、「それで十分」と云う心が混在しているのが、今の団塊世代なのか、あるいは私だけなのか?

ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:25| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ
この記事へのコメント
>「これではいかん」という心と、「それで十分」と云う心が混在している.

順調に遊行期を歩まれていますね。
まっとうな人なら、当然の関所だと思います。

これまで五欲(食欲、性欲、睡眠欲、財産欲、地位名誉欲)を求めすぎてきましたが、歳とともに執着しなくなり、「あるがままに生きる」と言う老子の「無為自然」が理解できるようになってきました。

まだまだ「死」を語ることはタブー視されますが、どんなに頑張っても亡くなられた聖路加病院の日野原重明さんのように、100歳を超えて貢献できることはないので、淡々と向き合っていきたいのもです。

Posted by ロッキー at 2020年08月20日 19:09
コメントを書く
トラックバックの受付は終了しました

この記事へのトラックバック