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2020年08月04日

丹波・但馬の小京都出石とカバンの町豊岡

兵庫県豊岡市
学生時代、ある研修講座でとなりの席だった学生の出身地が豊岡でした。
豊岡と聞いても当時の信州から都会に出て間もない私は全く初めて聞く地名でした。
兵庫県の丹波の地方都市、何にもない、どちらかと云うと山陰に属する地域だと云う彼の説明でした。
今回の旅行で知ったのは、目的地「城崎温泉」も行政的には豊岡市で、兵庫県北部の中核都で、京都から特急で二時間15分、大坂から2時間24分と云うロケーションとのことです。
新幹線網が発達している関東首都圏で2時間15分の距離と云うと、東京からの距離ですと、東北新幹線は、「盛岡」、上越新幹線は「新潟」、北陸新幹線は「富山」、東海道新幹線は「京都」に相当する距離・位置です。
如何に、日本国内のJR新幹線ネットワークが東京を中心とした、東日本に偏っているかが解ります。

出石(いずし)へ
城崎温泉を企画した時から、丹波・但馬の小京都へは行く予定でした。
私が、「出石」と云う地名を知ったのは、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」2015放送の時でした。
ドラマの内容は
明治維新で活躍する志士を育てた吉田松陰の妹・文(ふみ)。久坂玄瑞の妻となり、激動の長州藩の運命に翻弄されながらも、明治維新のまっただ中を生きぬき、松陰の志を引き継いだ。
幕末の動乱が激しさを増す中、松陰の家族や門弟たちはさまざまな困難に直面するが、松陰の教えを胸に志を持って力強く生きぬく。
“家族の強い絆”と、松陰の志を継いで時代を切り開いていった“若者たちの青春群像”をダイナミックなスケールで描く。
内容よりも伸び悩む視聴率ばかりが話題となった作品で、 最終回も12.4%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)と奮わず、全50回の平均12.0%は、12年の「平清盛」と並んで史上最低視聴率を記録した散々な内容でしたが、この明治維新時の長州藩の動きが良く解る、私には結構楽しかったと云うよりも勉強になったドラマでした。

このドラマの中に「出石」が登場します。

京都を中心に活動していた、長州藩のリーダー「桂小五郎」のちの木戸孝允は、禁門の変で朝敵として狙われる事になり、但馬へと姿を隠します。
「逃げの小五郎」と呼ばれ、女性遍歴が多くこの出石の荒物屋に住まい、何と妻をめとり、子供まで作っているのです。
ドラマを見ながら、維新三傑と呼ばれた長州藩のリーダーが隠れ住んだ但馬の山奥とはどんな所なのか、興味がありました。
出石藩は、藩主は色いろな変遷があり、江戸時代中期の宝永3年(1706年)に、信濃 (長野県) 上田から移封された仙石氏が納めた2万8,000石の小さな藩で、現在、出石の名物となっている「出石皿そば」はこれに由来しています。

出石へは豊岡駅からバスで25分、590円の距離です。
観光の見所は

出石城跡
稲荷台、本丸、山里曲輪を段状に配した梯廓式の出石城跡で、出石の町が一望できる。石垣だけが当時のまま、その他は復元

辰鼓楼
今も時を刻む町のシンボル、江戸時代後期様式の火の見櫓形の時計台は出石のシンボルとして親しまれている。
時を告げる太鼓を打ったことから、この名がついたと伝えられている。
出石観光で一番のフォトジェニック・「写真映えする」写真撮影ポイントです。

永楽館
明治34年開館の近畿最古の芝居小屋

日本各地には明治時代から庶民の娯楽の場として芝居小屋が建てられおり、現代に至っても、これらの建造物や歴史を維持・保存する為に
東京の歌舞伎役者などが、公演を通してとポートしています。
有名な所では、
四国・愛媛県・内子にある内子座
九州・熊本県・山鹿にある八千代座
そして、ここ兵庫県・出石の永楽館です。
過去に、内子座・八千代座を訪ねたことのある私たちは、今回の旅で一番楽しみにしていた場所です。
他に訪ねてみたい、地方の芝居小屋は沢山あり、下記のサイトをご覧ください。
日本全国芝居小屋マップ

小さく、全て徒歩で歩ける範囲の町で、名物「皿そば」ランチを含めて1時間半あれば十分です。
一つ、鎌倉の観光に携わってきた経験から申し上げますと、観光マップは立派なものがあるのですが、縮尺無視のイラストで、町中の道路、観光地点に標識・表示がなく、どの方向に歩いていけば良いのか、迷いました。
特に、私たちのようなバスで到着する観光客にとって、到着したバスターミナルからの歩き始めに迷ったことをお伝えしてしておきます。


カバンの町豊岡

豊岡は兵庫県北部の人口7.8人の中核都市で、城崎温泉から二駅の距離です。
今回の旅のプラン作りで初めて知ったのですが、豊岡はカバンの町だそうです。

豊岡かばん工業会のサイトによりますと

712年の「古事記」に新羅王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、柳細工の技術が伝えれと書かれています。
神話の時代まで遡るのですが、豊岡の鞄のルーツは、その柳細工で作られたカゴだと言われています。
奈良時代には豊岡でつくられた「柳筥」は正倉院上納されており、1473年の「応仁記」には、柳こおりが商品として盛んに売買されていた記述があり、おそらくこの時期から、地場産業として家内手工業的な杞柳産業が発展したことが予想されます。
江戸時代には豊岡藩の独占取扱品として、柳こうりの生産が盛んになりました。
1668年、京極伊勢守高盛が丹後国から豊岡に移封され、柳の栽培並びに製造販売に力を注ぎ、土地の産業として奨励したのが始まりです。
1936年に開催されたベルリンオリンピックの選手団のかばんとして、豊岡のファイバー鞄が採用されるなど、この頃には、「ファイバー鞄」が、豊岡かばんの主流を占めるようになりました。
1953年従来のスーツケースの胴枠を改造し、外型崩れ防止にピアノ線を使用した鞄が生まれました。
軽くて強靭であることなど、これまでの欠陥を補っていたので他商品を圧倒しました。
そして岩戸景気を背景に、豊岡には300越える鞄関連企業が生まれ、全国生産の80%のシェアを占めるまでに発展しました。



カバンの自販機
手芸、特にバック造りが大好きな、カミサンは今回の旅行で大いに期待して、この街に半日の時間を予定しました。
カミサンは、手作りのトートバツク造りが趣味なのですが、ちょっとカミサンの期待とは違っていました。

駅から真っすぐ、1kmに延びるこの街のメイン通りは、閑散としていて、左右の商店も1/3あまりは、シャッターが降りています。
豊岡市広域の出石・城崎温泉周辺を含む人口が7.8万ですから、都会的、様々なお洒落なカバンショップが並ぶイメージとは違うだろうとは思っていましたが、これほどとは思いませんでした。
この日は水曜日で、多くのショップが定休日だったかもしれませんが・・・。

観光案内所で、地元のお土産・物産・カバンなどを1か所に集中している「じばさんTAJIMA」を紹介され行ってみました。
広い店内には、お客さんはなく、おそらくこのお店は地元、行政・商工会議所などが運営し、営利・販売促進が目的ではないのでしょう、3人のパート職員らしき女性店員は私たちがお店に入ってから、一度も声をかける訳でもなく、おしゃべりをしていました。
都会の商業施設、ショップでは考えられない光景でした。

豊岡市内で半日、好きなバックを見て歩く予定は大幅に短縮され、早々と城崎温泉に戻りましたが、バツクに全く興味のない私ですが、唯一の大収穫はインスタ映えする、恐らく日本ではここにしかない「バックの自販機」の撮影ができたことでした。
しかし、カミサンに云わせると、この程度のトートバツクひとつが、1,500円は、例えお土産にしても高すぎる・・・でした。

大都会、東京首都圏に住む人間の地方都市を見る目としては、身勝手な厳しい見方かも知れませんが、地方都市としては、もっと違った形、違った方法で、私たちのような旅行者を、感嘆させるような魅力ある街づくりが出来ないでしょうか。と思った次第です。

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posted by 西沢 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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