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2020年07月12日

東京のコロナ増加にもめげず、横浜みなとみらいに映画を見に行く。

東京では、まるで小池都知事の選挙・再選を待っていたかのように、日に日にコロナ感染者が増加し続けています。
お隣の私の住む神奈川県は、県境封鎖している訳でもなく、毎日大勢の通勤客を乗せた電車で繋がっている同一生活圏ですから増加傾向にあるのは致し方ありません。
昨日、元、住んでいた横浜市内の掛かりつけ歯医者さんで歯石を取ってもらうために、東海道線で2駅の移動しました。
当然ながら駅構内のエスカレーターの手前からマスクを付け、車内でもつけています。
以前は、マスクをつけていない乗客がぽつぽつといましたが、ここ最近、外の大気の下の公道ではマスクなしの人もいますが、今や、駅構内や電車のなかではほぼ100%の人がマスク姿です。

暇なので、空いている車内で、試しにこの電車の定員は何名なんだろうと、座席数とつり革の数を数えてみました。
座席は54席、立ち席用のつり革は120ケあまりで、ほぼ200人くらいが、一車両に乗車している計算です。
では、日本人1億2000万人のうち、現在までのコロナ感染者の数は2万人とすると、6,000人に一人の計算になりますが、既に感知している人や亡くなった方を考慮すると、単純に10,000人の一人の計算になります。
この電車の車両に50回乗車して一人の感染者に遭遇するかしないかの確率です。
しかし、怖いのは直接接触感染ではなく、手に触れたところからの感染だと、専門家は云います。先ず、マスクで接触・飛沫感染を防止し、こまめな、丁寧な手洗いをすること。

「コロナウィルスを正しく、怖がる」これが大切です。

昨日のラケットテニスの4ケ月ぶりの再開に参加しなかったメンバーは全て、80才オーバーの高齢者でした。
参加を遠慮した理由は、会場まで公共交通機関、バスと電車を利用する為に、行けなかったとのことです。
私たち70代そうそうのメンバーの大半の意見は、4ヶ月、自宅に籠り、近所の散歩程度の運動しかしていない生活より、「コロナウィルスを正しく、怖がる」の準備して体育館へきて、仲間たちとおしゃべりをして、2時間スポーツをするほうがどれだけ、健康的な生活なんだろう・・・と云いますが。
しかし、万が一コロナ感染した時の重症化リスクを考えると、電車・バスに乗り、一時的な解放感を味わうよりは大人しく、嵐が去るのを待つしかないのかな・・・とも考えました。
そんな状況化下「コロナウィルスを正しく、怖がりながら」ほぼ毎日で歩いています。

昨日は映画を見に、横浜市・桜木町までJR根岸線で行ってきました。
この映画は大手マスメディアにはほとんど登場していない、ドイツ映画「バルーン 奇蹟の脱出飛行」です。朝のラジオ番組で紹介しているのを知り、早速上映館を調べました。
近年の世の中を賑わし、大ヒットとなり、数多くの映画賞を獲得したきた映画は。大手の大キャンペーンCMではなく朝のラジオ番組発信の映画紹介が多いのです。
「カメラを止めるな」も「翔んで埼玉」もみんな、このような早朝のラジオ番組からでした。

案の定、全国で10数館しか上映しておらず、幸い私の地元では、一番近いのが横浜みなとみらい地区の「キノシネマ みなとみらい」でした。
キノシネマ みなとみらいは、JR桜木町から徒歩15分、地下鉄みなとみらい線みなとみらい駅徒歩1分の3スクリーンの小さな映画館です。自宅大船から横浜乗換のみなとみらい線で行くのが最短ですが、敢えて料金が190円安く、駅乗換、車内の3密を避ける為に、桜木町から歩きました。
シアター1は53席、シアター2は109席、シアター3も109席と云いましても、コロナ対策で一席ずつ間隔をあけてのチケット販売の為、実質は半分の50シートが満席状態です。

キノシネマは木下グループの映画館及びアミューズメント施設の開発・運営する企業で2019年4月に「kino cinéma横浜みなとみらい」、6月に「kino cinéma立川島屋S.C.館」、
2020年6月に福岡天神に3番目の映画館として開業してている小さなシネコンですが、大手の109シネマやTOHOシネマが、ハリウッド製や稼げる子供向けアニメを多く上映しているに対して、後発のキノシネマは大手が扱わない、良質の映画を上映しているように見受けられます。

ストーリーは単純・明解です。
時は1979年、手作りの熱気球で東ドイツ脱出を目指した家族の勇気を描く実話サスペンスです。
ベルリンの壁の崩壊の1989年の10年前のお話です。
東ドイツ住民全てがシュタージと呼ばれる東ドイツの秘密警察の監視下に置かれて生活していた時代、西側のTV放送を密かに見ている何万の東ドイツ人民は西側に脱出しようとして、投獄・銃殺されている頃、この映画の主人公家族は、大空には国境線はない、と熱気球での西側への
脱出を計画し、一回目は国境の手前200メートルで墜落、失敗します。
この主人公家族は、失敗の原因を研究し、2度目のトライを試みます。
原因の1、ガスバーナーの配管が上空に昇るにつれ温度が下がり、凍結してしまう。
原因の2、下からの監視を逃れるために、高度を上げ雲の中に隠れると、熱気球の素材が濡れて重くなりスピードが落ちる。
その為に、近所に住む親しいシュタージ勤務の家族を避けながら、2回目の熱気球の制作にかかるのですが、一回目の失敗・墜落を調べていた秘密警察は、ここに残された残骸から、この主人公家族に徐々に迫ってきます。

ガスボンベの製造・販売者刻印ナンバー、大量のバルーン用生地の販売先、現場に残されていた薬局の処方箋・・・これらをドイツ人らしい緻密さで、追い詰めてついに自宅そばまで迫ってきます。これを察知した主人公家族は、天候不順、バルーンの一部未完成のまま、北風の吹く
夜に、東ドイツから自由を求めて西側の空に飛び立つと云うストーリーで、ハラハラ・ドキドキで楽しめました。

上映時間は1時間50分、これは私の前立腺肥大による頻尿状態ではギリギリの時間、今回は、何とかエンディングロールまで間に合いました。
外にでると、まわりは普段の鎌倉の生活とは違う、若い人たちで溢れています。



この映画館が入っているビルの下は「ツタヤカフェ」で、図書館・書店とカフェが一体化したとても都会的なおしゃれな空間です。
帰りこの思い出深い、みなとみらい地区を歩いて桜木町まで帰ります。
もともと、この横浜で一番のおしゃれな街は、1989年、横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して開催された横浜万博の開催跡地なのです。
奇しくも、今回の映画のベルリンの壁崩壊の年です。
私は41才、当時何にもなく、アクセスする道路もまだない土地で、万博パビリオン建設を幾つも同時進行で担当していたました。
あれから31年、今回、じっくりとこの当時MM21と呼ばれた街を歩きました。

最近、昔の当時を振り返ることが増えてきています。
ディズニーランドの開業時、1983年、私は江戸川区による舞浜地区の開発工事に携わっていました。ここでも、まだJR舞浜駅は勿論、アクセス道路もない状況で、葛西臨海公園はまだない状況で、ホテルや水族館の工事に携わっていました。
今や、大人気のお台場、国際展示場なども同じような状況で、レインボーブリッジもないなか、毎日泥だらけの長靴を履いて、ユリカモメ全駅機械室の集中監視・コントロールの仕事をしていました。1995年の時でした。
全て、私が30代半ばから40代半ばの、一番の働き盛りの頃の話。
齢を取ると、昔を思い出すことが多い、この日、若者であふれかえる近未来のような、横浜の街を歩いて、時代を感じていました。

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posted by 西沢 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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