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2020年05月25日

人生100年時代の現実 ピンピンコロリが理想だが

朝日新聞オピニオンから

「人生100年時代」と云う言葉には、前向きな響きがあります。
でも大勢が長生きしながら「死」へと進む社会には、想像以上に厳しい現実が待ち受けているのではないでしようかと問いかけてます。
「病気にかからずに、ピンピンコロリであの世に逝きたい」と言う方はまわりに沢山おり、死に方の見本のような云い方をしています。
ピンピンコロリは、言い方をかえると、突然死とも言えます。
昨日まであんなに元気だったのに……」が枕詞となり、本人もまわりも、予期せぬ形で死を迎えることになります
ピンピンコロリは、果たして本当に幸せな死に方なのでしょうか。



私の家族、親戚にはこのような突然死、或いは家族に長い時間の入院・自宅介護の世話にならずに逝った方がかなりおります。
父の場合、動脈瘤破裂で一晩で逝きました。71才
母は認知症を患っていましたが、入院とか施設の世話にはならず、自宅のトイレで倒れそのまま意識なくなりました。85才
姉の夫の場合、心筋梗塞で自宅で倒れ、その日のうちに亡くなりました。70才
妻の姉の夫の場合、クモ膜下出血で倒れ、3日でなくなりました。42才
兄の場合、ガン宣告時ステージ4で、6か月でホスピスで亡くなりました。72才
人が亡くなるのに「理想的な死に方」と云うのははばかれますが、実際問題として70代を超えますと、如何に家族に迷惑をかけずに亡くなる逝く、死に方を考えます。

オピニオン欄で、私と同じ団塊世代の医師「富家孝」氏(1947生)の記事に目が留まりました。

「ピンピンコロリ」はまれ。
医療や介護といった社会保険はお手上げ寸前で、打開策が必要です。
高齢者にも出来るだけ長く働かせようと云う思惑でしょう。「人生100年時代」とは政府もうまいことを云った思います。
<中略>
ずっと元気でいて、あまり苦しまずに亡くなる「ピンピンコロリ」が理想ですが、残念ながら滅多ににいません。
病気やケガなどにより不自由な体で生きる期間が平均して、男性で9年、女性で12年ほどが実情です。医療・医薬品の進歩で寿命が延び、がんを克服しても、先には認知症が待ち構えており、80代後半では4割、90代では6割が発症します。
<中略>
そもそも「延命治療はして欲しくない」と云う人が多い中、何処まで治療すべきなのか?
例えば、胃に直接栄養を流し込む胃ろうには功罪があります。欧米では口から食べれなくなった高齢者への安易な適用は「生命への冒涜」ともみなされます。
<中略>
今の若い医者は死について全く解かっていない人が多い、治療のことばかり教育されていたからです。死を「旅立ち」と表現するなら、旅行前のように病気や死のことも事前に話して考える必要があるでしょう。



宗教学者「山折 哲雄」氏 (1931生)のオピニオン

「人生100年時代」と云う言葉には直観的な反発を覚えます。
戦後40年で、50年から80年になった人生が、医学の進歩であっという間に100年に延びた。
そのことの明るい面ばかり語る意見が多いからです。
<中略>
私は昨年88才を迎えました。昨年不整脈が原因の脳梗塞で倒れ、一命を取り留めたこともあり、人生の最晩年をどう生きるか、どう死んでいくかは、
私自身が直面する問題でもあります。
周囲の老人からは「そろそろ向こうの世界へいきたい」と云う切実な声が聞こえます。橋田寿賀子さんの「安楽死で死なせて下さい」はベストセラーなにり
樹木希林の本があれほど読まれたのは、副題にあった「死ぬときぐらいすきにさせてよ」の言葉に多くの共感を集めたからでしょう。
ただ、こう願っても今の日本では聞き入られません。
<後略>



「PPK」(ピンピンコロリの略)の相対にあるのが「NNK」(ネンネンコロリの略)です。
「NNK」とは高齢者が寝込んで介護が必要な時期を経てから亡くなることをいうようです。
「PPK」は高齢者が元気なうちに突然、もしくはごく短い期間の療養の後に亡くなることで、さしずめ、私の家族、親族をそれに近い逝きかたでたし。
誰も「死」から逃れられないことは、私たち知っています。
しかし「死に方」は選択が可能であるとも云います、だから「PPK」を望む。
それは長生きをしたい、ということの裏返しであり、長生きをした上、元気で人に世話をかけずに最期を迎えたいというのが「PPK」をというシニアの本当の気持ちでしょう。

日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査2018年」による理想の死に方というデータがあります。



77%の人が、家族、他人、医療機関に迷惑をかけずに「PPK」(ピンピンコロリ)と死んでいきたいと願っているのです。






PPKの場合、ほとんどの場合、自宅で最期を迎えることができる点からも、理想の死に方として望まれています。
そして、気になるご本人希望する最後の場所ですが、かつて、私たち子供の頃は寝込んでも自宅で家族や周りの人が世話をする、ということが多かったように思いますが、成人してからは、ご自宅で亡くなったと云うケースはほとんど見受けられなくなりました。
1977年(昭和52年)に自宅と病院が逆転し、それ以後は核家族化の進行や病院や福祉施設の整備に伴い、死ぬときは病院や福祉施設など自宅以外で亡くなるケースが増えいます。
しかし、平成から令和に変ってから明確なデータは有りませんが、再び自宅で亡くなりたいと希望するひとが増えているのと思います。

私のホームドクターは女医さんで、地域中核大病院時代からの知合いで、独立・開業後もずっと診ていただいています。
長い付き合いなので、軽口・冗談・我が儘の通じる話しやすいドクターなので、2ケ月に一度の診察の時にPPKの死に方について相談することがあります。
この女医先生は地域中核大病院時代に末期医療に携わって自宅訪問診療もやっていました。
彼女、曰く、末期がんステージ4で見つかって、自宅訪問診療・介護で半年緩和治療、その後ホスピスで二〜三週間、ご本人とご家族が望めば、最後の場所をご自宅と云うことも出来る。
私「いいじゃないですか!、それって理想、うちの兄貴がそれでした」
 「カトリック系ホスピスで亡くなり、礼拝堂に手の空いている看護師さん・シスターが
  みんな集まって賛美歌で送ってくれたそうです。」
 「姉さんはボロ泣きで、予定していた町の葬儀場での葬式はいないと云ってたそうです。」
先生「でも、肺がんはダメよ、苦しいわよ」と。

PPKを望んでいるわりには、頻繁に定期的に検査を受けています。
胃カメラ・大腸カメラ・胸部レントゲン・頭部MRI・膵臓/肝臓MRI・血管狭窄撮影調査などなど、PPKとは真逆のことをしています。
私が設定した死亡年齢、78才まで後6年、6年後ピンピンポックリと逝ったら、どうぞ「あいつは偉い、計画・予定通り逝った」と拍手して下さい。

参考・お遊び程度ですが、各地にある「PPK」願望・詣・祈願のお寺は結構沢山あります。
■ぴんころ地蔵尊 長野県佐久市野沢 http://pinkoro.com/
■瑠璃寺 長野県下伊那郡高森町大島山812 http://www.takamori.ne.jp/~pinkoro/
■福泉寺 「ぽっくり大師」横浜市緑区長津田町3113  http://www.fukusenji.jp/
■吉田寺 奈良県生駒郡斑鳩町 http://kichidenji.com/
■保寿院石屋山常満寺 埼玉県日高市 http://xn--y8jwb6d8b6785a.jp/toiawase.html
■福島県にある会津ころり三観音 
福島県会津地方の大沼郡会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)、
河沼郡会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音)、
耶麻郡西会津町野沢の如法寺(鳥追観音)の三観音をあわせて、会津ころり三観音という。
http://www.nct.ne.jp/~kannon/sankannon/map/index.htm

こんなにあるとは思いもしませんでしたが・・・webエンジニアの感想としては、各々お寺にちゃんとホームページがあるもんですね。時代ですね。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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