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2020年05月09日

日々薄れていく思い出・記憶そして残さなくてはならないものは

前日のブログで、人は齢を重ねていくにつれ、過去、子供の頃の記憶・思い出を遡ると云うことを綴りましたが、それは頭の中での漠然と霞がかかった記憶、映像であることは解ってます。
先日、中国北京のコロナウイルスの外出規制緩和のNHK報道番組のなかで、北京の街並みの近代的変貌をみながら、カミサンと二人、私たちが最後に北京を訪れた時の話になりました。
あれはから何年たったのだろう、あれは私たちが何歳の時、西暦で云うと、和暦で云うと・・
72才と69才の自分たちは若いと思っているシニア夫婦は正確な年を思い出せません。

敦煌へ行った年、まだ兌換紙幣が使われていた中国。
昔の長安(いま西安)の大雁塔が見渡せる道路に、赤い・青いネオンサインが輝くのを見て、二人でもう中国を卒業しようと語り合った年です。
例え、今思い出せなくても、パソコンを開けば記録されているのは解っています。
私は解ります、パソコンを起動し、トップデスクトップにパスワード11ケタの数字を入力し、\ドキュメント\プライベート\旅行関係\旅の記録エクセルと辿ると私たちの二人の旅の歴史にとどりつきます。でも、カミサンがこの階層深くまでたどり着くかは疑問です。

最後の中国訪問は1993年平成5年、私は45才、今から27年前です。
私たちの長い旅の歴史でこれが最後の中国です。北京空港で乗り継いだことはありますが、国内に入ったのはこれが最後です。
この年の記録を見ると、この年はスリランカ・エジプト・オーストラリアに旅していました。
まだバブルの余韻が色濃く残っていた頃です。
そして、あれからたった27年の中国の変貌ぶりに驚いています。
北京国際空港は小さく、暗かった。空港から市内への道路は昔のポプラ並木道路でした。
並列して走る新しい道路は建設中で、煌々とした灯の中、日本製の重機とヘルメットも被らない作業員が働く姿が見えていました。

今日のブログ記事は、自分たちの旅の歴史を自慢する為では有りません。
人の記憶は薄れていくものです。それを60代半ば過ぎの退職者世代に伝えたくて書いています。

このコロナ巣ごもりのなか、土日の午後TBSの「仁 スペシャル」を見ていました。
最終回、現代に戻って来た主人公の医師「南方 仁」は自分が住んでいた江戸時代の家の痕跡を訪ね歩きます。
たどり着いた先、立花サキの屋敷にあったのは「橘 医院」の看板、確かに平成の医師、南方仁はタイムスリップした江戸末期にここにいたのです。
尋ねた先で、立花サキの子孫と思われる現代の女医さんから手渡されたのは、古い手紙でした。

女医さんはこの手紙の内容を読んだことがあり、何時か、誰かが必ずこの家を訪ねてくるだろう、その時、相手を確認する為に尋ねる言葉は
「揚げ出し豆腐はお好きですか?」
江戸時代にタイムスリップした主人公医師”南方仁”と立花サキの二人だけに解る言葉でした。
平成の世に戻って来た”南方仁”はこのサキが書いた長文の手紙に号泣し、駿河台台地からビルの谷間に沈んでゆく夕陽を眺めるラストシーン。

このなかで、サキが書いているのは、今は先生のお名前が思い出せません、お顔はもうっすらと思い浮かべられるのですが・・・このままだときっと時間・歴史と云う大きな力によって、私の記憶は消えていくのでしょう。
今、まだ思い出せる範囲に書き留めることにしました。
○○先生、名前がどうしても出てきませんが、先生がお戻りなった未来の世で、これを読んで下さるお姿を楽しみにしています。
橘 サキ

笑っちゃっても結構ですが、このタイムスリップ創作ドラマのラストを見て、パソコンのなかではなく、カミサンが何時でも手に取って眺め、読める、二人の旅の記録をプリントアウトしようと決意しました。
このコロナ巣ごもりが続く中、膨大な外付けHDDのなかから二人の思い出の旅の記録と、静止画・動画を取り出す作業を始めます。
私たちは子供のいない二人だけの家族。
カミサンが見るか見ないかは無視して、まずはやってみましょう。

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posted by 西沢 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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