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2020年04月25日

週間現代の「人生は最後に間違える 実体験編」を読んでみて2

4月25日号の内容の実体験記の続きは
4,迷惑をかけまいと、老人ホームに入ったら
5,景色の良い所で、静かに晩年を過ごそうと思ったら
6,懐かしさに駆られて、同窓会に出てみたら


4,迷惑をかけまいと、老人ホームに入ったら
5年前に妻と死別し、一人暮らしをしていたが、ご自身が要介護2と認定されたのを機会に、介護付き有料老人ホーム(入居金300万、月々の利用料15万)に入った75才男性のお話です。
3年後、運営会社の資金繰りが悪化し、別の会社が運営することになりました。
月々の利用料は20万円になり、今まで利用料に含まれていたサービスは別途追加料金、スタッフは半分なりサービスは低下しました。
しかし、帰る家はもうなく、別の施設に移ろうにも資金がありません。
子供たちに迷惑をかけたくないと云って入居を決めた手前、同居は云いだせない状態。
帝国データバンクの資料によると、老人ホームや介護施設を運営する会社の2019年の倒産数は96件にのぼります。
ホームが倒産すると、別の会社に引き継がれますが、新たな会社は前の負債を引き継ぎ、黒字化を目指すので、必然的にサービスは低下します。
他の男性の実体験では、一人暮らしに慣れていたのが、老人ホームではプライバシーのない集団生活のストレスが重くのしかかると云います。
一人暮らしは、多少の生活上の不便や介護を受ける苦労はあるものの、家を手放して老人ホームに入るということは、いざという時の逃げ場がなくなるとことでもあるとさとりましたが、年齢は重ね、自己資金は枯渇し時は既に遅しです。
子供の立場からすれば、財産もお金もない年老いた父親は、正直、負担以外の何物でもない。
少なくとも子供への見返りとなる、財産・お金は最低限手元に残して置くべきと、述べています。

5,景色の良い所で、静かに晩年を過ごそうと思ったら
都内の2LDKマンションに住んでいたご夫婦のお話です。
子供が小さい時から千葉や神奈川の海によく遊びに行き「定年したら静かな海の見えるところで暮らしたい」と話しており、定年後三浦半島に,築25年、85平米の3LDKの中古一戸建て、最寄り駅から徒歩とバスで20分ほどかかり、不便だが、海まで5分の立地が気に入り、都内のマンションを2,500万で売却して移り住みました。
古い家なのでリフォームは念頭にありましたが、いざ実際に住んでみると、高台の海が見える家は、潮風にさらされ予想外に痛んでいたうえ、シロアリの被害が見つかり、かなり予算オーバーだが、老後の資金を切り崩して修理しました。
状況が一変したのは、移住してから1年後、ご主人のステージ3の大腸がんが発覚しました。
都内と違って、入院・通院には片道1時間以上かかり、こんなことなら医療施設の充実した都内にいるべきだったと後悔しても、すでにこれまで家には1,000万以上使っていて、もう、住み替える資金的余裕は残っていない状態です。

海外ロングステイと同じリスク
地元不動産の専門家の話では、「都会で住んいた家を売却し、なけなしの退職金を叩いて移住してくる60~70代の夫婦は多いです。が、最大のリスクは離婚や死別で夫婦のどちらかが残されること」と話しています。
これは、私たち団塊世代のロングステイのサイトを立ち上げた時から、警鐘をならしています。
コスタリカでも、ペナンでも、チェンマイでも同じようなご夫婦を見ています。
ペナンでは、日本から下見に来た私たちが心配するよりも、現地の日本語ガイドさんが、心配していました。
ご主人と一緒にペナンに移住し、ご主人を失くしたあばあちゃんの姿を、毎日通勤途中の車のなかから、目で追っているそうです。
日本政府も大使館も何もしてくれないから、私たち日本人相手のガイドが目を配って、どうしているのか見ていると云うのです。

コスタリカでお会いした、ご夫婦(当時60代後半)は、サンホセ郊外の新興住宅地の建売を購入しました。
スペイン語が全く話せないのに、よくもコスタリカへ来たものと、理由を聞くと、当時2万ドルの預金残高証明と、年金振込証明があれば在留ビザがとれたから、と云ってました。
一回目のコスタリカの時、伺ったこのお宅は2度の押し込み強盗被害に遭ったいってました。
それなのに、何故住んでいるのか?、
一緒に行った、カミサンはどんなに気に入っても、それではとても住めない、何故日本に帰らないのか?との問いに
実は日本の家は売り払ってきており、帰れないと云う話です。
5年後の2回目のコスタリカ訪問の際には、ご主人はホスピタルに入院していました。
ホスピタルとは、無料の病院です。しかし、薬が必要な時は自分で買わなくてはなりませんし、優秀な医者は、自分で医院を持っており、中南米のホスピタルと云うところは、義務で働く若い医者の訓練の場所のようなところなのです。
相変わらず、お二人ともスペイン語はカタコトで、現地で食堂をやっている日本人のお子さんが、日々の介護、買い物のお手伝いをしていました。
将来この家と財産を譲ると云う約束のようでした。

海外も日本の田舎暮らしも同じです。
移住する時に、その先、二人のうちどちらかが倒れる、病気になる、亡くなると云う想定がなされていないのです。
とても、便利な都会暮らしに慣れた、残された奥様が一人で、静かな、そして景色の良い、しかし田舎特有のお節介すぎる、詮索好きなコミュニティで暮らせるとは思えません。

6,懐かしさに駆られて、同窓会に出てみたら
同窓会幹事サービス代行会社によると、還暦以上の人達の同窓会の相談が非常に増えてきて、この2~3年でそれ以前の倍以上になっている。
盛んに「人生100年時代」「終活」と云われるようになり、100才まで人と人の繋がりを求めている人が多くなったのかもしれません。と語っています。
この記事に登場する方は、かなり否定的なご意見、体験をお持ちです。
A子さん68才
30才の時に、中学校の同窓会に出席し、あまりにも会話の中身がなく、つまらなかったので、2度と出まいと思っていたが、還暦を迎えた齢に、恩師が参加すると云うので行ってみた。
恩師との再会はうれしかつたが、後は5000円以上もする高い会費を払った、無為な時間でしかなかった。
昔話、噂話、自慢話、亭主の話、息子の話、そして病気と薬の話、前向き、建設的な、今の話が全くないのにあきれ果てた。
「このコロナ危機をどう乗り超えようか」とか、「落ち着いたら、来年はどんなことをしようか」とかお話出来るのは、学校時代の知り合いではなく還暦を過ぎてから出来た新しいお友達のほうです。

私の場合
18才で故郷を離れ、20代半ばまで海外にいたので、同窓会・同級会とは縁遠いのですが、やはり50代半ばあたりから、連絡があり出たことがあります。
でるのは、中学校の同級会だけです。
資本主義経済社会の日本の場合、中学校までは義務教育なので、同級生の家庭環境、親の社会的地位や収入などは多少の差はあっても、昭和30年代の私たちの場合、似たり寄ったり、さして差は有りませんでした。
しかし、高校・大学・就職と進むうちに、試験・財力・能力によって選抜されていき、特に団塊と云う大きな塊の私たちの世代は、同級生イコール社会の競争相手となって行くのです。

40才半ば頃一度、高校の同級会にでたのですが、参加した元同級生は、日本の企業の第一線で活躍してるものが殆んどで、会話は会社の話、仕事の話、給料の話ばかりです。
20才で海外にでていた私とは全く異質なものを感じました。かれらも、それを感じたのでしょう。
そして、50代の半ばに出席した同級会が最後で、それ以降は住所も電話番号も解っているのに、連絡はいっさいありません。
この時は既に退職していました。
止せば良いのに、私はそろそろ定年を意識しだしていた現役の同級生に、現状を語りました。
早期退職後、鎌倉に住み、海外のロングステイ候補地を廻っている、バリ島・ホノルル、チェンマイの話、そして世界遺産への旅、世界奥地の貧困地帯の医療の話 マダガスカル、ネパール、マザーテレサホームの話・・・
子供を造らずに、バブル景気の業界でうまいこと乗って資金を造り、早々と退職した元同級生の話、考え見れば面白いハズがありません。
次回から、案内状は一度も届いていません。

しかし、中学校の同級会は違います。
スタートが全員、ほぼ同じで、現在の生き方も千差万別です。
国鉄が解体されて、針・灸学校に入り直して医院をやっている男、中央官庁の官僚になり、次官
レースに敗れ、関連官庁のトップを3年置きに移っている男、火災事故を起こした大手造船会社の設計部長、親の会社を引き継ぎ、今は息子に次期代表への教育をしていると云う男、同じく親の会社を引き継いだが、倒産し今はトラック運転者をしている男、小学校の元校長等々、色々な人生があるようです。
しかし、この中学校の同級会も65才を境いに、参加者も少なくなり、2年に一度の同級会に参加するのは、私を含めた決まった男子5名、女子4名程度となって
います。共通点は、特に今、人生・家庭内に大きな危惧をかかえていない人達ばかりです。女性は皆さん年相応に美しく、幸せそうです。
この年齢になると、参加する人は傍から見ると幸せそうな人ばかり・・・
これが同級会・同窓会の姿なのです。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方



posted by 西沢 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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