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2020年03月01日

ノスタルジー あの時代・あの音楽にセンチメンタル

先週、づっと常に意識していた72才になりました。

自分の人生で2度目の東京オリンピックの年と云うだけではなく、父が亡くなった71才を超え、兄が亡くなった年齢と同じ年齢になり、自分では若いと思っていても、街のウィンドーに映る自分の姿は確実に高齢者であることを意識します。
時代は違う、昔の72才と21世紀、人生100年時代の72才は違うと云われても、ホモサピエンスの寿命はそう劇的に変わるハズもなくこれから先の人生に光、希望、夢を見出すたよりも、自然に過去を振り返る時間が長くなってきています。

自分の生きて来た人生を振り返る・・・
人によっては、自分史を造ったり、思い出のアルバムを整理し過去を思い出したりする方は多いかもしれませんが、72才、まだそんな終活じみた事をする気分では有りません。
自分史的なもの、過去の旅のメモ、写真の整理などは一度済ませています・・が、誰の為、何の為、残された家族が自分を偲び、思い出す為に・・・、たった二人、子供のいない家族、カミサンは位牌も遺影もお墓もいらない、必要ないと云ってます。
形のあるものは何時かは、消滅する。
自分の心になかで思い出せば良い・・・

最近、夕食後の時間の過ごし方が変わってきています。
日中は二人は各々、自分の時間を過ごしています。
カミサンは、午前は女性だけのスポーツクラブ、午後はお友達のバックや小物づくりで過ごし、土日は頻繁に横浜・鎌倉に手芸材料の買い出しとショッピングと云うパターン。
私は、週一度のスポーツと、定期的なweb・パソコンサポートの他は、自分のサイト・ブログの更新でネット世界に入り浸っています。
そして、二人で一緒の夕食後は、リビングでTVをみる生活でしたが、最近のTVは面白くなく、特に寒い冬は早めにお風呂で各々1時間過ごす生活がパターン化しています。
1時間、お風呂で何をしているかと云うと、読む本がなくなると音楽プレイヤーで、お気に入りの音楽を聴いていると1時間は簡単に過ぎていきます。
私の楽曲フォルダーには、70年代から80年代のお気に入りの曲が入っています。

「歌は世につれ、世は歌につれ」と云いますが、写真や文章よりも、耳から入る音楽は鮮明に当時のことを思い出し、あの時に引き戻されます。

神田川 1973 かぐや姫
1973年のこの唄、この時私はまだ南米にいて発表当時の日本の世相は、実際に知りませんが、帰国後、カミサンと同棲を始めた時はまさに、この歌詞と同じ状態・環境でした。東京の下町、上野不忍池近く、裏は東京大学の四畳半と3畳の風呂なしアパートでした。
二人で、近くの銭湯に行ってました。時々、この町の小さなパチンコ屋で二人で千円分だけと云う約束で遊んだことを思い出しています。
確かに、あの頃は若かった。何も怖くはなかった。

なごり雪 1974 イルカ
まだ正式に結婚する前、70年代の都会で暮らす若者と同じく、お正月は実家に帰るのが当たり前でした。
当時、まだ新幹線はなく、年末の上野駅は、今の春節の中国の帰省客ラッシュと同じように、改札に通じる構内に新聞紙を敷いて待っている地方出身者で混雑していました。
実家に帰る信越線のホームにカミサンは、私の実家へのお土産を持って見送りにきていました。
凍えるような寒さ、小雪。今でも「なごり雪」を聴くたびにあの、上野駅のホームを思い出しています。

時代 1975 中島みゆき
一緒に暮らすようになって、二人の部屋に最初に買った電気製品は、レコードプレイヤーでした。
カミサンが買ってきたのが「中島みゆき」のアルバムでした。
流行歌や歌謡曲、フォークソングではなく、「中島みゆき」。
そうなんだ彼女はこの傾向なんだと、初めて理解しました。
今でも、「そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ。あんな時代あったねと、きっと笑って話せるわまわるまわるよ時代はまわる、喜ぶ悲しみ繰り返し・・・」を風呂の中でしみじみ聞いて、思い出に耽っています。

あずさ2号 1977 狩人
南米から戻り、2年間の専門学校を卒業し、高度成長期の建設エンジニアリング会社に就職した年。
会社は新宿西口近くありました。通勤の乗換時、「8時ちょうどのあずさ2号」がいつもホームに停まっていました。
「あなたの知らない人と二人で、いつか行くハズだった信濃路へ」
結婚前、カミサンは女友達と八ヶ岳へ旅行に行き、私は実家の信州に行き、途中で別れて、結婚式をあげる予定地の軽井沢で待ち合わせしたのを、この唄を聴くたび思い出しています。
私たちの青春そのものでした。

東京ララバイ 1978 中原理恵
「午前3時の東京ベイは港の店のライトで揺れる」
「午前六時の山の手通り」
「東京ララバイ 地下があるビルがある」
「東京ララバイ 部屋がある窓がある タワーも見えるけど」
この大都会東京に暮らす、都会の女性を唄った歌詞は、あの当時、建設エンジニアとして、真夜中まで働いていた頃を鮮明に思い出します。六本木、赤坂の現場、深夜のタクシーの列、新宿摩天楼で迎えた朝。
日本の最先端で働いていた自分・・・・

異邦人 1979 久保田早紀
正式に結婚したよく翌年から、二人で旅にでるようになりました。
最初はメキシコでした。まだ大手旅行会社のツァーに乗るしか知識も経験もなかった頃で、8日間で二人で80万円もしましたが、二人で目いっぱい働いており、ボーナスで楽勝、世界の行きたい所が行けていた時でした。
やがて旅先や、旅スタイルは、徐々に変化していき、出来るだけ個人・自由旅行の形を目指した切っ掛けとなったのが、この「異邦人」でした。アジアへ行こう、イスラム圏に行こう、異文化に触れよう、いつか南米を二人で自由に旅しようと。
この曲を聴くたびに、ウズベキスタンの青いタイルのモスク、市場、二人でさ迷ったイラン・イスファハン、イスタンブール街に流れて来る祈り「アザーン」を思い出しています。
あれから、もう何年たったのでしよう。

そしてアルゼンチンタンゴの名曲
一番好きなのは、アルゼンチンが最も豊かだった時代1930年代、第1次世界大戦で中立を維持したこともあり、国民一人当たりの収入がフランスと並んで高い、世界で最も豊かな国の一つだった頃に造られたタンゴの、メディア・ルス(淡き光)この歌に登場するコリエンテス通りは、私の20代・青春そのものでした。
朝まで遊んで、外にでると昨夜の雨で落ちたジャカランダ―の花で、石畳の道路が紫色に染められていたのを思い出しています。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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