2020年がどうして、団塊世代の区切り、記念の年なのかと云うと、
1,団塊世代の真ん中、昭和23年1948の干支はネズミ、今年人生で6回目の年男、次の干支は12年
後は84才・・・半分の団塊仲間はいないのではないかも。
2,2度目の東京オリンピックの年、64の東京オリンピックは高校生の時でした。もう一度生で
オリンピックが見れるとは思っていませんでした。
東京五輪が決定した時、多くの団塊世代オジサン達は、2020年の時の自分の年齢を考えました。
72才、先ずその年に生きている可能性は大、ただどの程度健康でいられているかをきっと考えて
いたでしょう。
1月1日、共同住宅のメールボックスを開けると、薄い年賀状の束が入っていました。
やっぱり・・・一昨年、70才を迎える年のお正月から終活の一つとして年賀状をご遠慮する旨を
お伝えしていたのですが、昨年は30枚ほどの年賀はがきが届いていました。
届いた年賀状はほぼ全てが、定番の年賀文字と干支の画像だけで、手書きのないものです。
理由を考えてみました。
1,ほとんど年賀状の中身を読んでいない。
2,自動的に前年のあて名印刷をしている。
3,終活で勝手に年賀状をだすことを辞めても、私は貴方と繋がっていたいから、1年に一度の年賀のご挨拶をしたい、と書いて来た旅仲間の友人女性がいました。でも、その友人も今年はきませんでした。
何で、終活で年賀状を書くこと、出すことを辞めるのか?
私は、55才で退職するまで、年賀状はだしたことはありませんでした。
なんで1週間後の正月明けに会う同じ社内の同僚や上司、或いは仕事の客先に白々しい年賀状を書くのか?若くして、日本を離れていたので田舎の学校時代の友人との交流も有りませんでした。
そして、最も大きな年賀状を出さない理由は
住宅ローンを返済した38才から退職した55才まで17年間、お正月に日本国内に居たことがないからです。幾ら出世を考えないマイペース・不良社員の私でも、10日から2週間の海外旅行休みを摂るには、ゴールデンウイーク、夏の盆休みと年末年始しかないので、お正月は必ず海外、それも世界の僻地と云われる場所で過ごしていました。
私たちは、このようなあまり知られていないような土地から、旅の友人と両親と自宅宛てに絵葉書をだしていました。(※自宅へは、届くかどうかの確認です。)
一番多く現地から出したのは、1992年のアンコールワットからで、30通ほど、海外旅行大好き友人宛てに出した記憶があります。
1992年、日本初のPKO派遣の年、ぺノンペンもシェムリアツプも外国兵で溢れていました。
この年は、カンボジア内戦後初めて海外観光客に対して門戸を開いた年でした。
絵葉書一枚が50円ほどと、当時の現地の物価から考えられない外国人向け値段ですが、仕方ない、他に売っていないのですから。
30枚全て、当然ながら手書きです。
毎晩、観光後の暗いホテルのなかで一番明るい、トイレでせっせと3日間かかって書きました。
次に一番苦労するのが、切手です。
シェムリアップの街中では、海外向け航空便に貼る高額切手が売っていないのです。
国内用の切手では、10枚以上、下地が見えなくなるほど貼らなくてはならないのです。
中東・南米・アジアで良く耳にする、ホテルや現地ガイドにお願いすると云う方法は、50%の確率でお金だけ受け取って、だしてくれないことがあります。
開発途上国で確実にハガキが届けるには、首都の郵便本局に行って、切手を買いだすしかなかったのです。
これは、昔の話で、今やシェムリアップは大観光都市ですから、そんなことはあり得ません。
退職後は、お正月は絶対に日本で過ごしています。
理由は簡単、こんな航空チケットが高い時期に海外にいかなくも良いのですから。
その分、海外から絵葉書をだしていた旅で知り合った友人と、元職場、元仕事仲間にたいして、正統な年賀状を一昨年前までだしていました。
理由のひとつとして、早期、50代半ばで退職した団塊オジサン達の生き様、生存確認をお知らせするのが目的でした。
何で、終活、70才を機に年賀状を辞めたか?
毎年いただいていた最大100通の年賀状の大半は、一度だけお会いしただけの海外絵葉書で繋がっている人であったり、仕事関係、地元の趣味のクラブ、遠い親戚だったりの義理の年賀状でした。退職した人は、私を忘れて欲しくない・・・という意味で年賀状を書くとも云われています。しかし、2020年の今、個人で情報を発信いるツール・メディアは私が退職した17年前に比べると、各段に広がっており手書き文字による情報伝達も一つのツールとして残して置きたい気持ちもありますが、過去にいただいたハガキ、お便り一度整理した時、ミカン段ボール箱、4つにもなりました。
私としては、本当に外に出歩くことも少なくなったら、自分の部屋でこれらの思い出の手紙、ハガキを読み返そうかとも考えたこともありましたが、しかし、私が逝った後、カミサンの処分の手間を考えると、徐々に自分自身で整理しなくては思っています。
2020年のお正月3日目
元旦にとどいた年賀状に続いて、また、3通ほど届きました。
何れも、一昨年に年賀状を自主的に、ご遠慮しますと、お知らせしている相手ですが、印刷に手書きの文章が書いてある上、田舎の同級生、元会社の直属の部下で現社長(あいつ、こんな偉くなって会社大丈夫かな)、元仕事仲間と、ほっておけないので、またまた街中にでて、正月用インクジェット年賀はがきを買ってこなくては。
どうせなら、一度にだしてよ。
余談
箱根駅伝を見ながらこのブログ原稿を書いています。
箱根駅伝も現役時代、全く興味が有りませんでした。
だって読売巨人軍が嫌いだし、お正月に日本にいた事もなかったので、しかし、退職1年目の正月、前横浜自宅の最寄駅に大勢のスポーツ系の若者が集まりゾロゾロと歩いて行くので、行ってみると、箱根駅伝の難所「権太坂」です。
次に鎌倉に越してきて家の前を通るバス車内を見ると、あのスポーツ系の若者の姿、そう、藤沢「遊行寺坂」へ向かうスタッフです。関西、西日本圏ではさほど人気ではない、箱根駅伝の魅力は、自分の住んでいる所、自分が勤めている会社の前をリアルに映し出し、この年になると、終わった後から、必ず、廻りで私の甥っ子が走った、という話を聞かされるのです。
来週からNPOセンターが始まり、神奈川県青学OB会会長と顔を合します、
ああ大変だ話が長くなる
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それでも添え書きをしてくる人には、メールで対応しています。
そんな中で今回3人が、卒業宣言をしてきました。
世間では、仕事納め式や仕事始め式あるいは賀詞交歓会を止めるニュースが出ていました。
何時までも前例踏襲に拘るのではなく、時代に即した発展的解消も必要でしょうね。