CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2019年11月13日

令和天皇 祝賀御列の儀 万歳と君が代に違和感

令和天皇と云うか、今上天皇というか、徳仁(なるひと)天皇というかはさておき、私は一般的な日本人とおなじ程度のシンパティーを、現在日本国の天皇制に対して持っています。
特に現天皇が生まれた日のことを今でも記憶しています。
1960年〈昭和35年〉2月23日、当時小学六年生の私は、地元「信濃毎日新聞」の配達をしていて、その日夕刊が皇太子誕生のニュース掲載で遅れたからです。

皇居前で万歳する人々
tenno00.jpg祝賀パレードのルートをみて、現役時代似通った皇居前からの朝の通勤路を思い出していました。
お天気も良く、心から祝福してTV画面を見ていました。
しかし、その後のニュース映像を見ていて、何かひっかかるもの、違和感を感じました。
その一つ、前夜行われた前夜祭の映像です。
何回も行われる「天皇陛下万歳」の映像。

思い起こされるのは、先の大戦の終戦の日の皇居前広場の映像です
tenno01.jpg沢山の一般市民が、皇居、二重橋前に土下座して泣き崩れるあの写真です。
この写真の裏には、南方の島で散って行った多くの若い兵士が最後に叫んだと云われている「天皇陛下万歳」があるのです。実際に、兵士の皆さんが本当に「天皇陛下万歳」と云って死んでいったとは思われません。
きっと「お母さん」とか、愛する人の名を叫んだにちがいないのでしょうが、当時の社会情勢では、「天皇陛下万歳」と云って死ぬのが、日本国民の義務、常識だったのでしよう。

あの何度も繰り返される「天皇陛下万歳」の三唱に、私が最初に思ったのは、それを目前にして佇む、徳仁天皇のお気持ちです。私とちょうど一廻り違う干支のねずみの今上天皇は、100%戦後うまれ、そして、美智子皇太后の元、一般家庭と同じく、両親の手元で育てられ、成長してきていますので、目の前に繰り返される、ご自身に対しての終ることのない「天皇陛下万歳」を目にして、反って困惑したのではないか・・・と勝手に推測して見ていました。

そして、赤坂御所にお帰りになって、御所の玄関で催された「君が代」の吹奏をお二人で、立ってお聞きになる姿をみて、日本国国歌、「君が代」をどう感じただろうと、且つてに想像していました。
日本国国家「君が代」に初めて感じた違和感
tenno02.jpg日教組や穏健左派の団体・組合が、学校の行事で「君が代」を歌う事、起立することを拒否する報道を春の卒業時期に目にして、歌詞の内容はどうあれ、一般的儀礼として、従うべきだと私は思っていました。
「日の丸」も「君が代」も日本国内いると、特に感情もなく、普通に受け入れらていますが、海外、特に厳しい環境の発展途上国や、白人オンリーの国で聞いたり、歌ったり、目ににすると、全く違います。

たった一人の異邦人として暮らしている時に目にする「日の丸」は美しく、日本人であることを意識させられ、力を与えてくれることもあります。これは、旅行先ではなく、厳しい環境での仕事先などでは強く感じます。
同じく、「君が代」もそうです。
他国の国歌のような、華々しい旋律、歌い上げ、鼓舞する、長い国家でなく、浪々と謳う、そして短い日本国国歌「君が代」は、時として涙が滲むこともありました。
しかし、今回、天皇陛下御夫妻を前にして、日本国の国歌公務員の吹奏隊が演奏すると、違った意味を持ちます。

問題は、歌詞の内容です
tenno03.jpg若し通り、「天皇陛下の世が、何代も、小石が大岩となり、苔がつくようになるまで、続きますように願います」となります。
確かに、戦後民主主義、主権在民、象徴天皇制のもとで、この歌詞の唄を国家とするのに、反対する勢力があって当然と
今回の祝賀御列の儀の最後で思いました。

現在の日本国国家「君が代」の歌詞の解釈は、次のようです。
君が代は = あなたたちの時代は
千代に八千代に = この日本国の長い歴史を受け継ぎながら
さざれ石の巌となりて = ひとり一人(個性)を大事ににしつつ、協力し
苔のむすまで = (この国が)末永く繁栄するよう

今回の記事を書くにあたって、初めてこのような解釈をしりました。
どこの誰が、このような解釈をしたのか知りませんが、古文の試験なら0点間違いないでしょう。
posted by 西沢 at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
この記事へのコメント
コメントを書く
トラックバックの受付は終了しました

この記事へのトラックバック