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2019年09月10日

台風15号、鎌倉を直撃。東日本大震災の教訓が生かされず

9月9日のまさに丑三つ時
(※ちょっと雑学、一つ時というのは2時間を4で割るので、30分間になります。 「丑の刻」というのは、午前1時から3時の間になり、それをさらに4等分してみます。
よって、丑三つ時というのは午前2時から2時30分頃ということになります。)
台風15号は、相模湾の三浦半島より、つまり鎌倉の江ノ電が走るあたりに上陸した模様です。

t15-1.jpg全日の夕方からスマホには、緊急避難命令が大容量で届くのですが、一体どの範囲の人々に、今すぐに身の安全を確保して、避難しろと云っているのか、疑ってしまいます。
私の住所は、湘南鎌倉と云っても、海岸線からは離れている、横浜市や藤沢市に近い丘陵地帯で、その上鉄筋コンクリート構造の集合住宅の中層階が住まいですから、このカゼ台風のこの時点の状況では、生命の危険は全く感じていませんでした。

台風は深夜3時頃、我が家の上空で東京湾方向に左シュートしていった様子です。

t15-2.jpg朝、6時に起きたのですが、予想だにしていなかった停電で、電気・水がストップし慌てました。
中層5階建のマンションは屋上に高架水槽を持たずに、地下の受水槽から加圧ポンプで各戸に給水しているので、電気がないと、水は配給されないのです。

退職後鎌倉に越してきて、停電は2度目です。
一度目は、15年前、台風による裏山の「栄光学園」の崖崩れでの停電。
二度目は、東日本大震災による当日の停電とそれに続く計画停電です。
7〜8年置きに停電が起きているのに・・・
東日本大震災はまだ8年前なのに、もう備えを忘れてしまっていたのです。
色々日本各地の台風・水害状況をニュースで見ていて、関東南部は風水害が少ない、いいところなんて言っていたバチがあたったようです。
それでも、前回の教訓から、水の確保する場所は出来ています。
目の前の公園の水道蛇口は、震災前は子供のいたずらで、流しぱなしなどが合った為、蛇口の回し口を外していたのですが、あれ以来t15-3.jpg、災害用にいつでも使える状況にあったので、20リットル容器2つを持って給水確保しました。

しかし、TVで情報が得られないのは少々辛いです。
朝のラジオ番組は、困窮している、情報がない私たちのことを知らないのでしょう。何時もの通常番組に時々、電車の運航状況をつたえるだけで、大規模停電が関東各地で起きていることは全く流していません。
ネツトでようやく、どの範囲で停電が発生しているのか、把握できたのは、7時半ごろでした。

水を確保したので朝食を軽くすませ(ガスは停まりません)一段落したので、今日のお昼の食材を探しに街にでました。
我が家の周辺の信号機は全てストップ、大きな交差点ではパトカーが出で、手信号でした。
川を越えて、仕事場のNPOセンターの前を通ると、灯がついています。入ってみると、電気がきているのです。
そのまま、駅に向かうと駅構内は停電していません。JRの電線網かと思ったのですが、駅向こうの商店街、パチンコ屋までも煌々と電気がついています。
どうも東電グリッド網システムは、良く解りません。

t15-4.jpgターミナル駅は、人で溢れていました。
ここから出る、東海道線・横須賀線・京浜東北線・湘南モノレールは、土地柄か、線路への倒木の処理がまだ終わらず、お昼過ぎになるようです。
多くの白シャツサラリーマンの方々は黙々と電車が動くのを列を乱さずに待っていました。
現役時代の自分だったらどうするでしょう。
どうしても自分が参加しなくてはならない会議や、指示をださなくてはならないような状況でしたらやはり黙々と待って並んでいたかもしれません。

天災は忘れた頃にやってくる。
ものすごく良い教訓の言葉だと思います。
この7〜8年毎の停電経験、次は、もっと大きな首都圏大地震でなければ良いのですが。
7〜8年後、私は78〜80才、恐らく生きていないと思いますが。

posted by 西沢 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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