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2019年03月24日

三陸鉄道リアス線の開業に思う事

東京では桜の開花宣言がなされ、めっきり春めいてきた春の彼岸の日、東北の被災地、岩手県の太平洋側の鉄道が3・11の地震・津波から復興され、開業の運びとなったようです。

riasu2.jpgこれでやっと、念願だった被災地に行けます。
2011年3月1日から個人的サイト上でブログ「鎌倉リタイヤライフ」http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/blog1.htmlを始めました。
10日後の11日東日本大震災です。
鎌倉でNPOやNGOあるいは個人的な公的、公益活動をする団体・個人をサポートする中間支援NPOのメンバーとして何かをしなくてはと云う想いでいっぱいでした。
私の廻りの人々は、夜行バスに乗って手弁当で被災地ボランティアに向かいました。
少しでもお手伝いをと、NPOセンターで知り合った同世代の団塊おじさんは、紙芝居一式を持って避難所巡りを開始しました。

私は一歩も動けませんでした。
震災の2週間後、原発事故で揺れている日本、逃げだす外国人で溢れかえっている成田空港から旅だっていました。
3度目のアンコールワットの町、シェムリアップにセミロングステイする為です。
一時は、この旅行を中止することも考えました。
でも、中止してどうするの?被災地へ行ってどうするの?
あの多くの人が亡くなった防災センターの残骸や、陸地に船が乗り上げている姿の町にカメラを向けることが出来ると思う?
我田引水かもしれないけど、こうやって日本人観光客が外国へでて、日本は安心なんだよ、と語りかけ、姿をみせることも一つの復興のお手伝いなんだと、自己暗示をかけていました。


毎年、3・11がやってくると、あの津波の映像がよぎります。
何時かはいかなくては。
でも、旅行者して物見遊山の気持ちででかけても良いのだろうか?と自問します。
カミサンは、とても観光客として、私は行けない。と云います。
政府・社会は、観光としてでも出かけ、宿泊し、お土産を買う事だって復興の一助だと云いますが・・・そんな気持ちになれません。

riasu.jpgしかし、今回の三陸鉄道リアス線全線開通の報道で心騒いでいます。この三陸鉄道のなかで北リアス線の駅「田野畑」に思い入れがあります。
岩手県北部太平洋側田野畑村に新しい駅が誕生したのは1984年、今から35年前です。
私もカミサンも岩手県には縁もゆかりもありません。が、何故か朝のNHKのニュースを見ていたのです。

「田野畑」と云う名前を何処かで見た事、聞いたことがある・・・・
その日出社して、部下を目の前にしておぼろげながら、訊ねると、その新入社員の出身地で、彼も朝のNHKの中継を見てたそうです。何故なら彼の父親が村会議会の議長として出席していたそうです。
ずっと陸の孤島であった田野畑村がようやく、鉄路としてつながった記念日でした。
この年から、毎年、お歳暮としてイクラが詰まった生鮭が届くようになりました。

あの大震災の時、私は既に早期退職していましたが、直ぐに彼に実家の安否の確認の連絡をしました。彼の実家は、海岸から離れた高台にあり、全員無事でした。
いつかは、田野畑村に行き、お父さんにお会いして、お礼を言いたいと思って8年経ちました。
ようやく、一観光客として、鉄道ファンとして行けるようです。

この夏、仙台から東北本線で一関、気仙沼と乗り継いで三陸鉄道の南の始発駅「盛」から各駅停車で北の久慈経由八戸への旅をしようと計画しています。

カミサンは行かないと云います。
いいよ、僕一人でのんびりと、二泊三日程度で、東日本大震災の地を訪ねてくる。
それが、高度成長を牽引してきた団塊世代の定年後の一つの務めだと思うから。
posted by 西沢 at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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