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2019年01月16日

定年後の夫婦の在り方は千差万別、でも私には理解できない

夫婦の在り方・関係とは外から、他人からみても解らない・・・そんな当たり前ことですが、退職してから様々の方と知り合い家庭こと、子供のこと、人生観などについてお話をお聞きするようになって解るようになりました。
退職前、現役時代といえば、仕事関係の建設業界で25年暮らしても、日常生活で接する周辺の廻りの人々は、ほぼ同じような学歴・経歴やら、似たような経済環境の人だけでした。
そんなに深く、家庭内やご夫婦のお話を聞く機会は稀なことでした。

haha.jpg私が、夫婦って他人からは想像できない不思議な関係と、最初に感じたのは、実の両親の間柄でした。
地方都市の繁華街で小さな八百屋を営んでいた両親は、子供の目から見ると、毎日喧嘩ばかりしている不仲な夫婦でした。病弱は父は、私が小学校に上がる前に結核療養所に入り、退院して来たのは、中学一年生の時でした。
7年間も、郊外の隔離された療養所に入っていたのです。そんな状態ですから、末っ子の私を含めて4人の子供を抱えた母は、なりふり構わず働いていました。
店が県内一の花柳界に近い場所で、店には、料亭や飲み屋や花街に働くお姉さん方が何時も出入りして環境でした。
母は、町で一番早く車の免許証を取得した「肝っ玉かあさん」的存在でした。
時は、東京タワーが建設された昭和の時代です。

父が療養所から帰ってきてからの夫婦の間は険悪でした
働き者で、町で人気の母親と、男の働き盛りの7年間を結核隔離療養所で過ごして来た父親。
退院して帰って来ても、仕事は全て母親が仕切り、市場に行っても相手にされず、帰りは何時もパチンコ屋に通っていた父親。
今、考えると父親の葛藤は手に取るように解りますが、その当時、実に不甲斐ない男としか見れませんでした。
毎日、夫婦喧嘩が絶えませんでした。近所に父親の姉が住んでおり、何度、その叔母さんに、喧嘩の仲裁を頼みに行ったことか。母はその都度、末っ子の私が成人したら離婚すると、子供たちの前で言っていたのを覚えています。

あれから年月が流れ、父が71才の時動脈瘤破裂で亡くなりました。。
自宅で行われた葬儀の納棺の時、母は父が納められた棺にしがみ付き、号泣していました。
私はその姿を見て、茫然としたことを今でも覚えています。
私が38才の時です。20才で親元を離れて18年の歳月が過ぎていました。
その間の父と母の関係は知りません。
あれだけ憎み合っていた、夫婦。あの母が泣きじゃくって、棺を離れようとしません。
私の知らない18年間、何があったのだろう。
否、私の生まれてくる前の若い母と父の間はどうだったのだろう。
所詮、子供であろうと、夫婦、男女の仲は外からは解らないのだろうと、その時に思いました。
今年、私は父が亡くなった年齢になります。
母は、あの時、今のカミサンよりも二つ若い65才だったとは!

話は現代に戻ります。
退職してからは現役時代と違って、色々な人々経歴、色々な年代の人々と知り合う機会が増えました。趣味の旅行の話に花が咲くこと多いです。
そして、不思議な思いに囚われます。
海外旅行で、イタリアに行った。海外旅行でタヒチに行った。バンコクで1か月遊んできた。
全て退職リタイヤした、私と同年代の男性の話です。
びっくりです。「エエー、一人でツァー参加ですか?、奥さんと一緒ではないのですか?」
「妻は誘っても行かないと云う、行くなら娘か、女友達と行く」と云う返事が多いのにまたびっくり」です。
「自分の年金から貯めた金で行くのだから、自由に旅したい」と云う男性。それって夫婦二人のお金ではないの?

私たち夫婦には考えられない感覚です
私たちは子供のいない、世の中で一時流行った言葉「友達夫婦」です。
団塊世代特有の男女平等、家庭内のことは家事も洗濯も料理も、後片付けも出来る方がやる。
財産は二人で築き上げたもの、平等は当たり前。
家の権利も、預貯金名義も常に50%、50%。 
勿論、生まれ、育った環境により違うものは沢山ありますが、一番大切なのが同じ価値観です。
似た者夫婦であることは、二人ともに認識しています。

カミサンも同じようで、友人は「主人と一緒に旅行なんて真っ平」と云うのを聞いて「信じられない」といいます。
その話を同じスポーツ仲間の女友達に話すと、それって当たり前と返されて、再びびっく。
確かに夫婦の間柄は、他人からは覗き見出来ないのは当たり前なんでしょう。

最後に、再び父と母の話。
一昨年、末期がんの兄を連れて兄弟4人で思い出造り旅行に出かけた時、父と母の思い出話になりました。
長女の姉は私より4歳年上で、唯一女の子だったので、母との距離は私たち男兄弟よりも、近かったようです。宿の床に入って、私に
「母にはお前の弟になる子がいたのよ」
「事情があってこの世に誕生してこなかったけど」
「今でもあの頃の母の姿を思い出すわ」と話しました。
それが何時の頃の話か聞きませんでしたが、察するに父が療養所に入っていた頃の話のようです。なんだかんだと云っても、二人は夫婦だったのでしょう。

posted by 西沢 at 07:39| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ
この記事へのコメント
是枝監督の映画になりそうなお話でした。

旅行の話で、私事。
家内が友人に、「旦那さんと旅行に行くなんて信じられない」と言われるそうです。という話を西語サークルの女性人に話したら、追い打ちをかけるように、「当然でしょう。お金の無駄よ」です。
一方、一人で旅行している男性は、「つきあってっくれない。趣味が違う」「死んじゃった」と言う方が多いです。
Posted by Taibun at 2019年01月16日 09:24
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