
そして、そのなかの一枚戦後の桜木町駅を良く知っています。私のなかではついこの間までの、渋谷から の東横線の終着駅の桜木町駅の写真です。
横浜博覧会を覚えていますか?
1989年(平成元年)に神奈川県横浜市の現在のみなとみらい21地区で、横浜市制100周年、横浜港開港130周年を 記念して開催された博覧会です。当時私は41才、横浜駅から横須賀線二駅の駅前大開発マンション群の第一号棟に住んでいました。
東京勤務でしたが、世の中、バブルは弾けておらず、今では考えられないのですが、東京の超大型現場を担当しながら 自宅が近いだけの理由で片手間で横浜万博パビリオンを数多く手がけ、終った後は跡地には、雨後の筍のごとく、 オフィスビルが建設されていくのです。

消しても、消しても書かれていく、落書き。

写真を撮った後に気が付いたのですが、あれ、この踏切は何なんだろう?

映画を見に行こうと出かけた朝の朝刊で、この東横線高架下の活用・開発を巡る記事がありました。 横浜市は創造都市構想を打ち出し、アート・芸術での町づくりを進めています。

見学に訪れて若い芸術家に話を聞きました。
何と有料だと云うのです。幾らなのかは聞きませんでしたが、利用価値が決まっていない、ガード下、高架下なんだから ただで貸せばよいものを。
建設エンジニアにとって「横浜みなとみらい地区」は、古戦場なのです。

工事部署の責任者として、バブルの象徴と云われた「東京都都庁舎」を側面サポートしながら、 部内のメンバーをこの「みなとみらい地区」のオフィスビルに宛てていたのですが、私より上の年代は次々に、内臓系が原因で 倒れ、入院したり、若手は仕事量のストレスで出勤できないような状況になり、全て責任が私の元に押し寄せて来たのです。 今思い出しても、仕事人生で一番苦しい時期でした。
ストレス退社・病気原因で退社・最悪のケース自死までありました。
あれから20数年、再び横浜駅・桜木町から眺める、みなとみらい地区のビル群は、かつての戦場に散って行った、建設 エンジニアの墓標に見えます。
私自身も、未だに絶対に近寄りたくない高層建築が横浜西口にあります。
あの当時の苦しみ、辛さ、不安感を思い出すので嫌だからです。
でも、あの辛い、嫌な現場があったからこそ、55才早期退職を決意できて、私の今の老後があるのですから、 何時かは、あの建物に入り、最上階のレストランで食事して、この辛い・苦い思い出を消し去りたいと思っています。
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