
スペイン語が堪能で、南米に日系の友人の多い私は、安全教育を担当したり、労働条件の改善などのサポートを進んでしていました。

協力会社に聞いてみると、鶴見周辺に南米日系人の就職仲介会社が数社あり、ほとんどの南米日系人はここを頼って来日し、三日後に全ての在留資格書類が整って、働き始めるそうです。
1989年、バブル真っ盛りの頃、20才のボリビア来た日本語が拙い青年は、来日2日目の日給は18,000円だったことを今でも覚えています。当時ドル換算すると、彼の田舎の1か月分の給料だったのです。

戦後、アメリカ軍に占領された沖縄に帰れなくなった人々が住み始めたと云われています。
バブル期の南米日系人、特にボリビア・ペルー・アルゼンチンに住む日系人の7割が沖縄県出身だったため、来日する日系二世・三世がこの鶴見に集中して住むようになったのです。
ちなみに、ブラジル日系人はこの鶴見にはそう多くは有りません。
ブラジル日系社会では、ペルー・ボリビア・アルゼンチンは沖縄県人はマジョリティではないのです。

あのバブルの頃、一度は行って見たかった場所です。
沖縄タウンのある場所は、鶴見駅から少し離れた、鶴見区の仲通商店街を中心とした一角です。
駅からのバスもありますが、のんびり歩いても、国道15号線を横断し、鶴見川を渡って、さらに歩くこと5分ほどです。
「仲通1」の信号を左へ曲がれば、そこが仲通商店街です。
「つるみうちなー祭り」は、乗り鉄ファンなら一度を乗っておくべき路線の一つ鶴見線の「浅野駅」の隣の入船公園でした。

「つるみうちなー祭り」は11月10日、11日と2日に渡って開催され、2日目の午後には沖縄のスター「BIGIN」も出演します。
屋外の公園での開催ですから、もちろん入場無料ですが・・・撮影は禁止とかかれていました。
私が行った、11月10日(土)は11月と云うのに、22℃の暑さでした。
ステージ及び公園内は、エイサー、三線、指笛の音で溢れ、廻りは沖縄料理・グッズ・お土産物で溢れ、まさにリトル沖縄でした。
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