何で、そんなことが云えるかと云うと、この築地市場内に3年間、住民票を移し、住んでいたから知ってるのです。おまけに、築地市場内の仲卸の会社のお嬢さんと一緒になるかどうか、悩んでいた時期もあったのですから。
もしかすると、今頃、築地・豊洲移転の大騒動の真っただ中にいたかもしれません。

電子専門学校は当然夜間ですので、先ずは、午前中の働き口、出来れば住み込み、食事付が好いなと、当時の「アルバイトニュース」で探し当てたのが、築地市場内の練り物専門仲卸の会社でした。
勤務条件は
勤務は、朝6時〜12時
朝食・昼食兼用のお弁当がつく
市場内の事務所兼仮眠所的な場所を自由に使って良い
生の魚を扱い、水ビショになったり、匂いが付かないのが良い。
給与は、高いのか安いのかは、帰国当時(1975年)解りませんでしたが、月手取りで13万程度
目標とする、一年間100万の貯金は、住まいと食事がついているので可能と判断しました。
築地の朝は早く、深夜12時から長距離トラックが出入りし始めます。
私の仕事は、早出の社員さん(5時出社)の荷受けのお手伝いで、6時には出社してました。
6時半になると、社員・アルバイトさんらが総勢20数名が出社し、この日の市場から仕入れた、練り物類を前日の夜に注文が入っている、中小のスーパー、小売店への梱包、荷さばきを9時までに済ませ、配送するのが仕事でした。
9時を過ぎると、直接市場に足を運ぶ町の魚屋さん、すし屋さん、中小の商店を相手に、練り物を販売し、10時にはほぼ完売して、毎日棚卸をして、残ったものを市場内の大型冷蔵庫に持って行って、本日の業務完了です。
ここで、一般社員、アルバイトさんは、帰るのですが市場内に住み込んでいる私は、そのまま別棟のオフィスに移り、毎日の棚卸帳簿つけから、日本各地の練り物メーカーに向けて、明日に向けての注文の予定などを伝えて仕事が終わるのが、午後14時でした。
オフィスからそのまま、市場内厚生棟のなかにある、銭湯に行って、汗を流し、仮眠所で昼寝をしてから、夜の学校に通う生活が2年間続きました。
今は、観光客が賑わう場外には、その頃早めの夕飯を食べられる食堂はほんの数件だけでした。場外市場は築地に買い出しに来る、プロのみを対象とするお店だけがある、場内関係者からみると二次的な街でした。
今、観光客が行列がする場内の食堂も、市場で働く私たちを相手にするお店で、安く・早いお店で、今のような高価なお店は有りませんでした。
当時の豊洲、勝鬨橋を渡った先は、市場関係者多く入居している無機質な公団住宅が立ち並ぶ町でした。私は、専門学校を卒業しても一年間、この築地で働いていました。
当時アルバイトで働いていた私は、この仲卸の会社の中堅社員となっており、跡取りのいない社長から、お嬢さんを紹介され、会社を継ぐように一年間説得され続けていたのです。
しかし、南米から戻ってきて28才、綺麗な都会のお嬢さんと一緒になり、後の人生をこの築地と云う狭い世界で働き続けると云う選択がどうしても出来なかったのです。
あまりにも、広い世界を旅して、知りすぎていました。
その頃出会った女性が同じような夢を持っており、この先この女性と一緒に二人で、未知の世界を知りたいと云う夢が、安定を約束された人生を上回っていたのです。
あれから42年、昔の仲卸のお店はどうなったんだろう、あのお嬢さんはどうしているのだろうと、思いながら、昨今のニュースをみています。
一度引っ越しした豊洲市場を訪れてみてみたいのですが、どうやら外部の人間は、観光通路のみの入場制限で昔のように、誰でもが、場内の仲卸のお店通路に行けないのが、残念です。
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