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2026年05月04日

センタメンタルジャニー 60年前の思い出の地 前橋を訪ねる

テレ東の「日本へ行きたい人応援団」アルゼンチンに住む76歳女性が64年ぶりに、日本の故郷を訪れる番組を見ていて、もしかすると私がアルゼンチン・アイレスで暮らしていた時代・時間が重なるかも知れないと思ってみていました。
そう、あの頃、私は大学から飛び出し、日本から脱出しようともがいていた時代でした。
あの当時、私のスペイン語の外国人講師はアルゼンチン人のイエズス会所属のパードレ(司教)でした。教室の外でも話す機会が多く、私の海外への夢を良く聞いてくれていました。
彼はこの当時、大学だけではなく、当時の「海外移住事業団(現JICA)」のスペイン語講師を務めていました。
そして、ともか一年じっくりとスペイン語をマスターし、それから海外へのルート、手段を探すことを勧められました。
やがて彼からアルゼンチンで、日本と米国と亜国の三社合弁会社から、日本の若手の紹介を頼まれたとの話を聞きました。
しかし、但し、という前提条件がありました。
採用は現地採用、日本からの現地への交通費はでるが、片道切符、給与はドルベースの現地通貨、現地会社の正社員、雇用契約期限は最低5年は、という条件でした。
私は「勿論、OK、いつでも行けます」と即答。

60年前、海外を目指す若者が集まる施設がありました。

赤城山海外研修移住センター。
これって今の日本と同じ、ベトナムやらインドネシアからの技能実習生と同じようなものです。
そんな時、彼が週一、一泊二日でスペイン語講師を務めている、これから海外移住を目指す若者の為の「海外移住移住研修所」が群馬県前橋、赤城山の麓にあるので、一緒に行かないかと誘われ、行ったのが、群馬県前橋市の上毛電鉄の大胡駅から徒歩1時間の場所でした。
1960年代後半、この周辺には民家は全くないような環境で、これから海外移住を目指す若者40名ほどが、半年、ここで語学・農業研修を受けていました。
ほとんどが、ブラジルやパラグアイの移住事業団の開拓地にはいる、独身男性です。
アルゼンチンへはほとんどいませんでした。
かの「日本へ行きたい人応援団」とは、何処かで接触、つながりがあったのではないでしょうか。

今、行ける時にあの地に行かなくては・・・

かのテレビ番組を見て、いままで漠然とした記憶が蘇ってきました。
自宅鎌倉からは意外と遠いのです。
群馬県の県庁所在都市の前橋は、首都圏から直通鉄道路線がなく、必ず、最大の都市「高崎」で乗り換えくてはいけないのです。
その乗り換えの「両毛線」は高崎と小山の間をつないでいますが、本数が少なく、日中は1時間に少ないのです。
いまでは地方都市では当たり前の本数なのでしょうが、首都圏に住んでしまうと、一時間に最低5~7本はあり、出かける前に時刻表を見る習慣が失われている住民にとって、30分に一本の電車は苦痛に感じてしまうものです。

残された時間は少ない、新幹線をつかおう

自宅大船から前橋まで在来線各駅で3時間10分かかります。
料金は3,190円、東京駅から乗換の高崎まで新幹線自由席を使うと2時間20分、5,700円、50分短縮しますが、料金は2,500円高くなります。
これまでの私達の旅では、長距離の西方面では静岡から先、甲信越・北陸方面では、軽井沢から先の長野・富山方面当、東北方面は宇都宮から北は新幹線を使いますが、以内なら、在来線を使うことにしてきました。
これまで我が家の旅のルールで云えば、高崎は当然、在来線が当たり前です、だって安くて、大船駅で座ったままも乗り換えなしで3時間で着くのに、わざわざ東京駅で乗換50分の短縮の為にプラス2,500円は、我が家のポリシーに逆行します。
しかし・・・78歳にして悟りました。
体力はどんどん衰えていくし、新しい、知らない土地への興味・期待も年ごとに薄れていく、そろそろ、旅のスタイルを変更するお年頃となってきたようようです。
でも帰りは、高崎駅始発の熱海行のトイレのある車両に座りました。
高崎発東海道線の熱海直通電車なんて10年前はあり得なかった路線が今では当たり前になり、結構混んでおり、昔なら東京駅で並んていれば100%座って帰れた東海道線は今や横浜でも座れるかどうか解らないような状況となつています。

前橋は大変貌していました。

 

私が初めて、前橋を訪れたのは夏でした。
今でも、関東のもっとも暑い気温を記録しているのは、内陸の群馬県です。
私の住む、関東南部、特に湘南鎌倉は海に近く、夏は海風で都内よりも幾らか涼しく、冬は暖かいのは、退職して横浜から鎌倉に居を移して実感しています。
反対に北関東、特に群馬は夏は熱が籠りやすく、毎年、夏の暑さがニュースになるほどです。
私が学生時代、スペイン語講師と何回か訪れた時の記憶・印象は「耐え難い暑さ」でした。
いまでも、毎年の暑さのピーク時テレビニュースでその極暑を紹介するたびに、当時の暑さを思い出していました。
しかし、今回、あの記憶にある前橋駅に降り立ち、その変貌に驚きました。
元々群馬県の県庁所在都市でありながら、在来線交通線は高崎に集中し、経済面では群馬では一つ飛び抜けた存在になっており、前橋はかなり出遅れてきていました。
その昔、私が降り立った駅舎は当然60年経過しているので、立派な白い清潔感の溢れるビルに変貌しています。
そもそも、前橋と名のつく駅は他にも、JR新前橋と上毛電鉄央前橋があり、路線にも、JR両毛線と私鉄の上毛線があり、外部旅行者には間違い易い都市なのです。

前橋中央駅まで徒歩15分

JR前橋北口から上毛鉄道前橋中央駅へは、昔、とんでもない暑さを実感した道のりを思い出しながら、今で大きなけやき並木の道を、昔を思いただしながら歩きます。
距離は1.1km徒歩15分ですが、大きな交差点は巨大な歩道橋があり、横断歩道はまったくなく、そろそろひざに問題を抱え始めた高齢者にとって、階段が多く、長くあまり親切ではありませんでした。
歩いていて、昔感じた、私の生まれ故郷とは違った都会らしさはなく、かなり空き家が目立つ、メインの駅前大通りからきた印象から比べると、寂れた印象を保ちました。
実際にブログを書くにあたって、現在の前橋の一番の繁華街、ショッピングエリアは駅南口へと変化しているようです。
そう云えば中央前橋からのシャトルバスは、JR前橋から先の「ケヤキウォーク前橋」行きとなっていました。
私の生まれ育った長野市も、冬季五輪の開催で駅も高速道路も新しく変貌し、私の生まれた長野県下一のアーケード商店街の賑わいは、新幹線長野駅周辺へと変化し続けています。

 

上毛鉄道の車両は、意外と綺麗で、ICカード、スイカにも対応していました。
運転間隔は朝夕の通勤通学帯は朝夕は1時間に3本、日中は2本間隔で、始発5時台とはやいですが、最終も23:05としっかりと運行していました。
それよりも驚いたのは、自転車を持ち込めることでした。
追加料金なしで自転車をそのまま車内に持ち込める「サイクルトレイン」を運行しているに驚き。
平日・土日祝ともに、朝のラッシュ時間帯(おおよそ7:30〜8:30頃)を除く大半の時間帯で利用可能です。
基本は最後尾の車両に乗車し、手で支える必要があるようです。
地方では車が必須の社会にあって、こうやって一日の運行本数も時間もユーザー目線で運行する会社は応援したくなります。
但し、私の乗った中央前橋から下車し「大胡」の15分料金450円は、ちょっと高いかも・・・
これは、都会からきた者の言う事ではないでしょうが・・・・

60年前に降り立った駅は

前橋の街なかの変貌や、上毛電鉄の車両、そして車窓の住宅地の風景を眺めて17分で、目的地の「大胡」駅に到着しました。が、電車のスピードがあがったのかも知れません。
大胡駅は、昔の木造のまま、レトロな雰囲気が残っていましたが、一歩外に出ると昔の風景は全くありませんでした。
駅前には大きなモニュメントのような塔が立つ公園となっており、少しいくと小さなお店もあり、その先の大きな交差点道路には、全国展開しているドラックストアがありました。

駅からの「研修センター」への道は当時は車一台が徐行しないとすれ違えないような未舗装の道で、両側は畑やヤブそして上がっていくにつれ、森へと変化していく一本道でした。この先に車だと20分程度、徒歩だと大凡1時間の森のなかに、きっと南米の奥地、人里離れた環境を意識して作られた場所なのでしょう。
今回、この道路をほんの少し登った所で引き返しました。
この先、郷愁にかられ、そろそろ膝にきてる体力のまま登っていっても、ないのはほぼの違いないのと、前橋に戻る電車は一時間に2本なので戻ることにしました。

大胡の名所は菊田一夫作のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」

駅に着くと次の前橋中央行きの時間まで20分以上あるので、以前は行かなかったこの大胡駅の名所、「鐘のなる丘少年の家」方面を歩いてみました。
鐘の鳴る丘少年の家とは群馬県前橋市堀越町にある児童養護施設。
あの当時からありました。
1947年(昭和22年)、菊田一夫作のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」に感銘を受けた初代園長の品川博が創立した。
1972年(昭和47年)から特別養護老人ホームも併設する。
施設の建物には「鐘の鳴る丘」の物語に合わせた、赤いとんがり屋根の時計台がある

♫緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台
 鐘がなります キンコンカン メーメー仔山羊も啼いてます
 風がそよそよ丘の上 黄色いお窓は俺の家よ


あの当時、遠くに、この歌で有名な児童養護施設を眺めながら黙々と登っていた坂道には、今や住宅街となり、生け垣にはこの季節、赤城山麓として有名ツツジが満開、咲き誇っていました。

60年ぶりの過去を遡るセンチメンタルジャニーも、高崎駅から熱海行の直通電車に乗ると群馬から埼玉県北部、本庄・深谷・熊谷と続くと、空席は少なくなり、大宮からは立ち客が増え東京駅からつり革も不足するような混雑となっていきました、あれからもう60年、私は78歳の老人になっているのだと実感した、日帰り旅でした。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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