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2025年09月30日

信州・佐久、秋分にコスモス街道をゆく



最寄り駅は北陸新幹線佐久平

2025年9月お彼岸、あの猛烈な暑さでは団塊世代世代シニア77歳ともなると何処にもでかけられませんでしたが、ようやく、今年の暑さのピークが過ぎたようで、兼ねてから一度行きたいと思っていました、信州・佐久のコスモス街道に行くことにしました。
コスマス街道は日本各地にある、コスモスの花が咲き乱れる秋の風物詩的な道を云い、日本各地にありますが、私の中のコスモス街道とはやはり1977年に発売された音楽グループ「狩人」の2枚目のシングル曲のタイトルの「コスモス街道」は、八ヶ岳高原線沿線が想いおこされます。

〜バスを降りればからまつ林、日除けの白いレストラン、秋の避暑地で出会う人はみな何故か目を伏せて、なぜか目を伏せて歩きます、コスモスの花は咲いていますか、今でも咲いています〜

私にとって「コスモス街道」とは、信州、軽井沢とか、八ヶ岳高原周辺が思い浮かぶのです。
やはり、結婚前にカミさんと歩いた道でもありますし。
そんな今、喜寿のおじさんがネット検索すると、ほぼ私の理想といる「コスモス街道」が信州の佐久にあるようです。
最寄り駅は、北陸新幹線の佐久平駅です。
私の生まれ故郷長野市が冬季五輪開催で新幹線が長野まで開通したのは1997年(平成9年)10月1日。当初は「長野新幹線」呼ばれていました。
今回の佐久平駅は全く新しく、小海線乗り換え駅として新たな出来た「新駅」で28年の間、何度も帰省や旅で長野・北陸新幹線も利用していますが、一度下車したことがない駅でした。
今回、この駅前で中学校の同級生の「T君」と落ち合うことになっていました。
今年の春の同級会の席でコスモス街道へ行きたいという話に乗って来てくれました。
故郷の長野市で会社を経営している現役、独身、お金持ち、私のwebサイトを見て、私が訪れた関東の名所、花の公園を後を追うように長野から新幹線で一泊で通うような旅好き人物であるのは、今年の春、東京で開催した同級会の席で知り、今回の企画となった訳です。

まずは目指すのはメインのコスモス街道

「T君」は小さな会社とはいえ、現在現役中の役職は会長です。乗っている車は最新の超高級車、LEXUS最新モデル、これで今日一日この車で団塊世代おじさん二人で、コスモスを求めて出かけることにしたのですが。
彼は自宅長野市郊外から直ぐに高速にのり、佐久平で降りると大凡45分だと云います。
私は自宅湘南から東京経由、佐久平へ、しかし、佐久平に停車するのは「あさま」だけで朝夕は1時間に2本、日中は僅かに一本しか停車しません。
そこで、一番短時間で着く列車を選んで「T君」10時過ぎ到着東京やの列車を選んだのでが・・・
最寄り駅大船に安全を見て予定より30分早く到着したのに東海道線東京・上野ラインが止まっており、東京駅までアクセスかゼロ状態です。
これまで、何度も旅行で羽田も成田へ予定よりも二三k本早めに電車でいくことにしており、予定のフライトや新幹線に間に合わなかったことは一度もなかったのですが、今回はともかく東京も或いは大宮方面の電車が東海道・横須賀線・京浜東北線、全て止まってしまい手の打ち用がなくなつてしまいました。こんなの初めてです。
結局予定していた列車に乗れず、佐久平に止まる列車は予定より一時間後となり、「T君」に電話しました。自由な時間がある二人、特に慌てることもなく新車のナビに「コスモス街道」と入力してスタートです。

二人共に県庁所在市の長野市の街なかに生まれ育ちで、長野県北部は良く解っています、旧信越線の上田・小諸・軽井沢はわかりますが、佐久となるとこれまで信越線・小海線駅の地名になかった場所、「コスモス街道」は名前だけは微かに聞いたことがある「岩村田」という、市?町?地区?にあるようです。
「T君」も全く初めての場所、カーナビにまかせて行くしかありません。
割と簡単に「コスモス街道」に到着しました。

佐久のコスマス街道とは<
国道254号線の内山トンネルから黒田地区、松井地区にかけての約9kmの区間に、50万本ものコスモスが咲き誇ります。
地域住民による手入れ:このコスモスは地元住民の活動がきっかけで、現在も地元の方々によって手入れが続けられています。
佐久市の市花であるコスモスが市民に親しまれていることから、佐久市のシンボルとして選ばれた場所です。
ちょうど秋のお彼岸の時期が見頃で佐久高原コスモスまつりが開催され、地元のおもてなしを受けることができます
まつり期間中は地元の農産物直売なども行われ、より一層秋の雰囲気を満喫できます。私達が行った]25日二日前に終わっていました。
大体のイメージはネット画像で解っており、今回の本命は広大の何十万本のコスモスを展望出来る場所です。
ここへの交通アクセスは、車でしかないのです。タクシー?、何処から?、一番近くても岩村田か?一日チャーターという形になるでしょう。


大本命の内山牧場大コスモス園

コスモス街道は国道に面しており交通量も多く、イメージ通りの映像は撮れないので、最初からここに時間をかけるように計画してきました。
かなりの山のなかにあり、普通乗用車は問題ありませんが、大型観光バスの駐車場はみあたれませんでした。

内山牧場大コスモス園とは
佐久市の内山牧場にある入園無料の花園。
3ヘクタールの広大な敷地には、約100万本の様々なコスモスが栽培されており、コスモスの名所として人気を集めている。
開花のシーズンとなる9月中旬から10月上旬には、地元の人々だけでなく、多くの観光客が訪れている。私達の行った9月25日はほぼ全園身ごろを迎えていました。

内山牧場大コスモス園の大パノラマは必見



ここのコスモス園の一番の特徴は
入場無料、駐車場も無料。全て佐久市がやっています。
植栽・管理も地元ボラティアでやっているようです。
農場・牧場の斜面にコスモスを植えているので、遠く、上部から全体が見えることです。
春の芝桜のようにいろいろな角度から、全体を眺められるのが大きな特徴です。
そしてコスモス斜面の遠景は群馬の山並みがあります。
この内山牧場大コスモス園の位置はちようど長野県と群馬県の県境上にあり、県境の先は下仁田村であり、その南はあの日光事故墜落現場の上野村がある・・・
そう説明を聞くと、やはりここへは、そう簡単に自力で公共交通機関を利用してやってくるのはかなり無難しい場所だと分かるでしょう。

ここの大コスモス園特徴の2は
斜面のコスモスは筋状に植えられていますので、通路となっており誰でも自由に大コスモス畑の中で記念写真が撮れることです。
私達が滞在していた小一時間に10数組の観光客がやってきていました。
多くが、シニアのカメラマン、大きなカメラとレンズと三脚を持って場内を移動していました。
観察していると、コスモスの花弁に集まってくる小さな小鳥・蜂やその背景の森に住む、小動物を撮影しているようですし、年配の御夫婦はコスモスの花に囲まれ桃源郷のような雰囲気の写真のなかで微笑んでいました。
関東の都会に近い、コスモス園とは違った雰囲気の映像が撮れる場所でした。

団塊シニア二人おじさんの次の行先は

70代シニアの行き先の定番は温泉
簡単な食事が出来て、その上温泉に入って、見晴らしのいい、事前安い日帰り温泉施設で休憩です。
頻繁に長野市と東京の間を高速を使って仕事してきた「T君」が事前に見つけてきてたいのは、いつもの高速道路から見ていた、山の中腹にある「平尾温泉 みはらしの湯」でした。
天然温泉を使用した露天風呂は、蓼科山、八ヶ岳連峰を眺望できる圧巻のみはらし。
岩盤浴、トレーニングジム、森林セラピー室、食事処、癒し処を兼ね揃えた施設はを、健全な体づくり、豊かな心づくり、豊かな人間関係を築くことができる空間。との宣伝文句
入浴料は一人800円、東京のスーパー銭湯並、食事処もありますが、ゆっくり横になって寛ぐ場所は別料金ですが。
70代のおじさん二人、特に食べるものはどうでもよく、蓼科・八ヶ岳連峰が目の前に見える露天プロに入り、フリードリンク付きのうどん・そばランチ定食で十分です。
中学卒業いらい、初めてゆっくりと裸の付合い話で一時間過ごしました。
同じ年齢、同級生と言っても、ほとんど同級生は家庭を持ち、今は孫の成長を楽しみにしている家庭環境ですが、私達二人共ほぼ独身と同じような立場です。
主な話はこれから先、家族に頼らず生きて行くには先ず、資産・財産・お金の話になり、引き続き、遺産相続をどうしてる等の話になりました
ほぼ、二時間ほどここでゆっくり過ごし、私は帰りの新幹線の時刻が気になり始めます。
北陸新幹線はこの日中の時間帯、一時間に一本しか「佐久平」に停車しないのです。

今日の最後はここになる
ピンコロ神社に寄っていこうと「T君」が誘います。
お互いに77・78歳、「ピンピンコロリ」と逝きたいという高齢のおばあちゃんの姿が、もう自分たちの世代となっているのを、最近とみに気感じるお年頃なですから。
「T君」もこの旅のプラン計画で知ったようです。
このあたり、佐久市野沢は旧佐久甲州街道(佐久往還)と富岡街道が交わるところにあり、江戸時代には豊かな米作地帯として佐久の米は上州をはじめ武州、甲州などへ供給されていました。
野沢宿は食糧、生活物資などが行き来する、商業的にも大きなまちでした。
佐久地方は日本でも有数の長寿の里です
中心部を流れる清冽な千曲川には、アユやハヤなどたくさんの魚が棲み、水田では佐久鯉の養殖が盛んです。
今でも海のない佐久地方にあって、豊富な川魚は大切なタンパク源であり、肥沃な大地から採れる野菜や果実、山菜など自然の恵みは健康長寿の秘訣であると思われます。
また、野良に出てよく働く姿勢や信仰心の深さもこの長寿を助けていると思われます。
ぴんぴん(健康で長生きし)ころり(寝込まず楽に大往生する)という願いから「ぴんころ地蔵尊」と命名、建立されたお地蔵さんを拝んで、お年寄りはニコニコと輝いています。
長野県が長寿県と知られているのには、戦後の農村医療をリードした、佐久総合病院の存在も大きいのでしょう。

帰路新幹線を途中の大宮で降りる理由は
帰路、佐久平から一時間に二本台となる16:47の新幹線で帰ることにしました。
佐久平から各駅停車、東京に18;22分到着、カミさんには事前に帰宅は7時頃と伝えていました。
帰路、私はいつも大宮で下車して、上野東京ラインで自宅のある大船まで戻ります。大宮で新幹線から在来線に乗り換える理由とは・・・
もちろん、新幹線特急料金は安くなりますが260円だけです。
一番の理由は新幹線が東京駅に着くのがいつも帰宅ラッシュの時間帯、以前東海道は東京駅始発でしたから一本見送れば確実にラシュの時間、大船まで座って帰れるのですが東海道線が熱海・宇都宮間直通となり、この時間ですと、すし詰め状態ままとなるのが確実です。
この時間帯、お年寄りだからと席を譲る人は皆無です。ましてや、団塊世代77歳男性に席を譲る人は稀有です。
そこで多少時間はかかりますが、確実に大宮から湘南に向かう「上野東京ライン」に大宮で乗ればプラス10か15分の時間オーバーで座って自宅まで帰れる、しかも260円お得に・・・。
貧乏・年金シニアの考えた旅のの知恵でした。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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