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2025年09月25日

映画 宝島 50年前のある沖縄女性を思い出す

「暑さ寒さも彼岸まで」の秋のお彼岸を迎えても、毎日の暑さが続いています。
この暑さは、昨年の夏に経験した暑さが、今年も引き続いているような感覚に囚われており、あれほど日本各地をカメラ片手に飛び回っていたのに、この暑さと天候不順で全く旅にでる気にもならず、大人しく、老人のように家に引きこもる日が続いています。
一つだけ、外に出かけても良いかなと思うのは、新しい、興味ひかれる映画の封切りニユース、宣伝掲載の紙面です。

今回はメディアの宣伝・露出の多かった「宝島」を見に行きました。

金曜日の封切り当日、シアターは2週間前に見た「遠き山並みの光」と同じシアター6、木曜日の朝一で座席を予約した時は一割も席は埋まっていまんでしが私のお気に入りの席はIの15、前に座席はなく、通路側、一番トイレに行き易い座席です。
最初にここを抑えておくと、奥の16.17には先ず入ってこないのが何時ものパータンなのですが、今回はあてがはずれました。
直ぐに16も17も入ってきました。そっと拝見すると二人共50代の女性、仲間ではなさそうです。
シアター6は136席、ほぼ9割の入でした。
上映時間は191分、なんとあの「国宝」よりも長い3時間11分の超大作なのでした。



映画「宝島」・・・とうやら沖縄が舞台

アメリカ軍統治時代、GOZAで起きた沖縄市民の反米騒動の裏に何があったのか・・・
この暑さのなか、自宅から最短電車で二駅の東海道線湘南のど真ん中「辻堂」駅前の大型ショッピングモール4階にあるシネコン、109シネマ湘南は全10スクリーンで収容人数は2045シートの巨大映画館なのです。
この暑さのなか、冷房の効いた電車に乗り、駅前のショッピングセンターをブラブラし、2時間、映画のなかの別世界に浸りきると、交通費(往復380)・映画館代(1,300)・お昼(日高屋中華そば420)で合計2,100円で一日、涼しく、そして外の世界と触れ、外食のラーメンとなれるのです。
7月から、「国宝」「遠い山並みのひかり」そして今回の「宝島」と自己満足している夏の終わりです。

主な登場人物は四人

「おん」(永山瑛太)
戦後の沖縄を舞台に時代に抗う若者たちの姿を描き、第160回直木賞を受賞した真藤順丈の小説「宝島」を映画化。
監督「るろうに剣心」シリーズの大友啓史監督がメガホンをとった。
舞台1952年、米軍統治下の沖縄。
米軍基地を襲撃して物資を奪い、困窮する住民らに分け与える「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいた。
そんな戦果アギヤーとして、いつか「でっかい戦果」をあげることを夢見るグスク、ヤマコ、レイの幼なじみの若者3人と、彼らにとって英雄的存在であるリーダー格のオン
しかしある夜の襲撃で“予定外の戦果”を手に入れたオンは、そのまま消息を絶ってしまう。
残された3人はオンの影を追いながら生き、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、それぞれの道を歩んでいくが、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境で、思い通りにならない現実にやり場のない怒りを募らせていく。
そして、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出す。

「おん」の親友 グスク(妻夫木聡)

グスクはやがて警察官となり、県警の刑事として働きなが親友「おん」の行方を指す探す
日々を送る。
戦後の沖縄の米軍統治時代、女性たちも沖縄住民も食べていくには、米軍に依存していかねば生き残っていかれない社会、米兵相手の盛り場は、稼ぎのない、戦争に負けた男たちに代わって働く女たち、今でも沖縄の女性は強く、そして離婚率は日本国内でずば抜けて高く、そして子供の出生率も高い。
日本の夫婦離婚率 上位5県は
1位 沖縄県 2.13
2位 大阪府 1.7
3位 福岡県 1.68
4位 宮崎県 1.68
5位 北海道 1.65
その女性たちを巡って、沖縄ヤクザ社会の抗争が頻発し続けるなか、グスクに近寄ってくる、アメリカ情報局とも思える人物が現れる。
彼らは、グスクが「戦果アギヤー」のリーダーであった「おん」を探し出すのに協力すると云う、グスクはその不自然な申し出に不安を覚えるが、沖縄の置かれている今、検察組織よりも強力な米軍MPの情報欲しさに手を組むことにする。
やがて、数年後、沖縄の多くの家庭に荷物が届く・・・中身は毒マスク・・・
ここから大きく話は展開していく・・・

「おん」に憧れる少女 ヤマコ(広瀬すず)

「おん」や「グスク」「レイ」たちが夜の米軍嘉手納基地のフェンスを乗り越えて米軍倉庫の物資を盗み出し、生活に困っている市民に配る姿にあこがれが、「おん」は絶対にフェンスを超えてなかにいれさせず、ヤマコは外で待たされていた。
あの日、「戦果アギヤー」は米軍の見つかり逃亡することになる。
何時もはそれで終わりになるのだが、今回は違ったようで、「おん」は姿を消す。
やがて成長したヤマコは小学校の教師になる。

そんなある、教室で授業をしていた子供たちは、外の異常な音に気づき一斉に窓に駆け寄る、音の原因は校庭に落ちてくる米軍の飛行機だった。
宮森小学校ジェット機墜落事故とは
1959年(昭和34)6月30日、石川市(現うるま市石川)の宮森小学校とその付近の民家に米軍ジェット機が墜落炎上した。
その被害は、死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)、住家17棟、公民館1棟、小学校の3教室を全焼、住家8棟、2教室を半焼する大惨事となった。
当時としては世界の航空機史上まれな大事故として内外に報道されました。
米軍は事故翌日「嘉手納基地所属のジェット機が訓練飛行中に突然爆発、パイロットは無事脱出したが、機体は目標をそれ、市内に落ちた」と発表、次いで7月2日、正式発表として「不可抗力の事故」であると言明し、住民の怒りをかいました。
これを機に沖縄県では大きな「反基地運動」が起き、ヤマコはいつもデモの先頭にたつようになる。
「おん」の弟 レイ(窪田正孝)

レイは「戦果アギヤー」のリーダーの兄の行方を探す為に沖縄の裏社会のヤクザになる。
沖縄におけるヤクザの歴史は、日本の伝統的なヤクザとは異なり、第二次世界大戦後の混乱期に生まれた無法集団が起源。
戦後の混乱期に米軍基地から物資を盗み転売する「戦果アギヤー」と呼ばれる活動から「アシバー」と呼ばれるゴロツキが登場し、1952年頃に「那覇派」と「コザ派」の二大勢力が形成された。これらのグループは幾度も大規模な抗争を繰り広げたが、本土復帰を前に本土暴力団の進出を阻止する目的で1970年に「沖縄連合旭琉会」として大同団結した。
その後も派閥争いや抗争は続き、1992年に制定された暴力団対策法のきっかけともなりましたが、2011年に旭琉會が沖縄旭琉會を吸収し、現在に至っています。
この映画でも大きく取り上げられており、アメリカの情報局はあの日「おん」が手にした重大なもの正体が徐々に明らかにある時、レイは組同士の抗争に巻き込まれてなくなる。

沖縄に今でも多く残る米軍そして自衛隊基地

映画は沖縄本土復帰運動へ流れていく
ベトナム戦争中、沖縄の米軍基地は出撃・補給基地、そして新兵の訓練施設として極めて重要な役割を果す。
B52戦略爆撃機が嘉手納基地からベトナムへ飛び立ち、大規模な爆撃作戦の拠点となる一方、沖縄住民は基地の拡大や米兵による事件・事故の頻発、枯れ葉剤使用疑惑などから、戦争に加担させられることへの不安と反米感情を高めた。
経済的な「ベトナム特需」に潤う側面もあったが、多くの住民が戦争への「加害者」であるという意識を持つようになり、基地撤去を求める「沖縄闘争」が大きな盛り上がりを見せた。
ベトナム戦争において、アメリカの施政下にあった沖縄は、米軍の最重要拠点のひとつとして、前線への兵士・物資の供給、出撃基地、後方支援基地といった極めて重要な役割を担った。
その役割は、沖縄の経済を一時的に潤した一方で、基地集中による住民生活の犠牲と、戦争への加担という沖縄の葛藤を深めることにもつながったった。

怒りのピークはコザ騒動

県民の4人に1人の命が失われた沖縄戦ののち、沖縄本島の中部に広大に米軍基地が建設された。嘉手納基地です。
この嘉手納基地のゲート前に位置するコザ(現沖縄市)の街には、基地や兵士がもたらす繁栄を求めて南西諸島各地から人々が集まっていました。
戦後25年、日本復帰を1年5ヶ月後に控えた1970年12月20日未明、米兵が起こした交通事故をきっかけに駆けつけた群衆が米軍関係の車両を焼き討ちしたコザ騒動が起きた。
四半世紀に及んだアメリカ統治への不満や怒りの爆発だった
12月20日未明。沖縄県コザ市(現沖縄市)で、5千人もの群衆が米軍関係者の車を次々と焼き払う事件が起こった。
激しい地上戦が繰り広げられ、県民の4人に1人が犠牲になったとされる沖縄は、戦後も米国による統治が続いた。嘉手納基地に隣接するコザの街は米兵でにぎわい、1960年代に入るとベトナム戦争景気に沸いた。

69年11月、当時のニクソン米大統領と佐藤栄作首相による会談で「72年の沖縄返還」が合意
そんな日本復帰を目前にしていた時期に、コザ騒動は起きた。
騒動の発端は米兵による交通事故だった。
午前1時ごろ、軍道24号(現在の国道330号)で、道路を横断しようとした住民を米兵の運転する車がはねた。
付近の歓楽街から駆けつけた人たちが事故処理中のMP(米憲兵)を取り囲んで騒然とする中、近くで米兵による別の追突事故が発生。
ヒートアップする群衆にMPが威嚇発砲したことが逆効果となり、怒りを増幅させた人たちは次々と米軍関係者の車やMPカーを横転させ、火を放った
後にこのコザ騒動を検証番組では、襲撃した車は全て「黄色ナンバー」米軍車両のみで民間車両には手をだしておらず、転覆し燃やした車は道路中央から道路脇に寄せて、一般車両や消防・医療救急車両、の道をあけていたと語っていました。
6時間に及んだ騒動ではおよそ80台の車両を焼き払い、逮捕者は21人を数えた。負傷者88人を出したが、死亡者や生命にかかわるようなけがをした人はなく、周囲の店舗などへの略奪行為もなかったと伝えていた。

見終わって思い出す、あの女性は今、何処に
映画のなかの「戦果アギヤー」のリーダー「おん」は生きていた。
沖縄の北、鹿児島県悪石島はヤクザたちの密貿易の拠点となっておりそこで、あの沖縄嘉手納基地の倉庫から持ち出したのは、米軍が否定していた「毒ガス兵器」だった。
そして、嘉手納基地を抜ける時に基地内のジャングルで一人出産する女性に遭遇し生まれたての赤ん坊を預かり、悪石島へと逃亡する・・

詳しい映画の結末はこの辺でお終いにしますが・・・、
この3時間17分の長編を見ていて思い出しているのは、ある知り合いの女性です。
生まれは沖縄・美里村(現在の沖縄市)地図で見る限り嘉手納基地の隣です。
彼女は私と同じ世代、知り合ったのは1970年代、アルゼンチンのブエノスアイレス郊外の豊かな花卉園芸農家に嫁いできた女性で、同じ沖縄出身の男性と手紙同士で知り合い結婚し、男の子と女の子の二人の子供の母親です。
何度かこのお宅で週末の麻雀を楽しませていただいた思い出があります。
私が日本に帰国して一年、このご夫妻がどんな事情があったか分かりませんが、離婚し、夫は子供二人を引き取って沖縄に帰ってきました。
しかし、聞く所よると、彼女は絶対に生まれ故郷沖縄・美里には戻りたくないと、お腹を痛めて生み育てた幼児二人を手放し、アルゼンチンにとどまる決心をしたと云うのです。
自分の幼い二人の子供を手放しても、故郷には帰りたくない、彼女は故郷で何があったのか・・・この映画を見終わって考えています。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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