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2025年03月25日

Googleマップから見る団塊世代の典型的住まいは如何に

団塊世代、昭和38年(1963)中学卒業時のクラス同級会が、来月4月半ば東京で開かれるようになった。

このクラス会の幹事がしっかりしていて、ほぼ5年おきに信州で開催されてきていたが、今年は全員が喜寿77歳になる記念の年と、少しづづではあるが同い年の同級生の訃報が伝わってくるようになり、5年間隔では・・という危機感があるようでの開催となりました。

今年は、全員の故郷の長野市ではなく、全国に散らばっている同級生の足の便を考えてと、こんな機会がないとなかなか東京都心にでて来る用事も必要だろうと東京・築地明石町、聖路加ガーデンタワーの天空のレストラン「 ルーク ・ウィズ スカイラウンジ」で開催するとの案内がありました。
築地は私にとってアルゼンチンから帰ってきて、専門学校に通う際のバイトの、そして青春の思い出の地であると共に、聖路加ガーデンタワーは、その後就いた建設業界でのバブル崩壊最後の現場として色々思い出が深い場所、もちろん参加と返事をしました。

参加者名簿によると現在13,4名ほどのようです。

地元以外の関東・首都圏からの参加者は4名、東海から1名、山陰から1名を予定しているようです。
現代の社会環境では、所属している色々なクラブ・団体の会員名簿には住所詳細なく、地域だけ、連絡先携帯電話番号の掲載の有無も事前承諾も必要ですが、このクラス会の名簿は遥か20数年前に作成され、更新し続けているものですから、全てオープンに記載されています。

そして、全生徒50名名簿のなかには、お亡くなりになった男子3名、女子3名、連絡先不明男子1名、女子1名います。
皆さん私と同い年、77歳から今年78歳になる後期高齢者、いったいどんな人生を歩んできたのか、今、どんな生活をしているのか、クラス食事会の席でどこまで話せるのか、分かるのか分かりませんが、現代のようなネット社会、グーグル・マップがあれば、お住いになっている地域、環境、住宅外観からある程度の生活を推測出来ます。
実際にクラス会の席で御本人の口からお聞きする前に、基礎知識として、マップ上でどんな環境の所にいらっしゃるのか、覗き見することにしました。

見えてきたのは、団塊世代が生まれ育った社会背景でした。

生まれ故郷の長野市にお住まいの方の何割かはそのまま実家を継いでいる方もおり、大半は私の実家と同じく、市内中心部から転居し、車で30分ほどの郊外、元田んぼ・畑の住宅開発地に越していました。

では、故郷を離れ、関東首都圏に現在住まわれている私を除いた男性3名、女性1名、他に、東海圏にお住まいの女性2名のお宅をグーグルマップの覗き見させていただきました。
意外な事実、それは戦後の団塊世代の人生を映し出していました。
関東首都圏に住まう男性三名のお住いは、千葉県、茨城県、そして東京都下多摩地区、いずれの住所も「〇〇台」とありました。
すべて、都心から電車で一時間程度の距離の振興、大手不動産開発住宅地域でした。
「〇〇台」という住宅団地には、日本全国の公団の住宅開発のさいに命名されたようで、横浜や多摩地区の公団開発ニュータウンなどに多くあります。
私の近く湘南と横浜を結ぶ根岸線の根岸線にある本郷台・港南台・洋光台などが典型的です。
全国の新興住宅地には「●●ヶ丘」や「●●台」という地名がつけられることが多く、これは土地を造成して街をつくった際に、昔の地名ではイメージがよくないことから名付けられることがあります。
鎌倉にも多くの「〇〇台」がありますが、平成にはいってからは、自然破壊、環境保護優先の市民運動で現在は山林・丘を開発しての住宅開発は行われていません。

首都圏に住む同級生男性3名に共通しているのは、
・高学歴(東大・早稲田・東工大)
・職業は国家公務員、大手通信会社、大手電機メーカーです。
関東首都圏にお住まいの女性はお一人の登録されている住所は、都内、渋谷の繁華街近く、グーグルマップ上で見てもどんなお宅、お店なのか判りませんでした。
その他、女性で山陰にお住まいの方の住所も「〇〇台」でした。

その他の方々については
クラスの男性24名のうち14名は、生まれ故郷長野市あるはその周辺にお住まいでした。
不明2名、故人2名。
クラスの女性26名の16名は、長野市あるはその周辺にお住まいで、故人2名、不明1名、
その他婚姻先の地方にお住まいでした。
昭和22年・23年、戦後生まれの地方出身者としては、もっと東京首都圏に住んでいるかと思っていたのですか、意外と少なかったのです。
進学率も他の地域違ってかなり高い地域の中学校で東京を含む都会、仙台・札幌・名古屋・新潟へとでていたもの、就職は地元が多かったのでしよう。

Gマップで覗いてみます。外観よりもどんな地域・環境にお住まいなのか?

今回、信州に住む幹事が今回の同期会のためにライングループを立ち上げ、私の承諾もなく最初のメンバーになっており、ラインを発展させる為に積極的に投稿してくれと頼まれました。

正直、グループラインのはカミさんの「カーブスクループライン」を毎日みているので、面倒くさい、大嫌いでした。
案の定、77歳おばさんメンバーのラインスタンプで通知音がなりっぱしで閉口しています。
そこで、私は関東・南部の季節の便りとして、鎌倉の桜開花状況やら先週は、「鶯の初鳴き」を投稿しました。
すると、何人もの女性から、「鶯の初鳴き」を自宅で聞こえるのですか?という投稿がありました。
当たり前、普通に聞こえるのに慣れてしまいましたが、確かにここに越してくる20数年前に住んでいた、駅前大規模開発マンションでは、小鳥のさえずりさえも聞こえてこない、時には風に乗って駅のホームから聞こえてくる発射ベルの音か日常の生活でした。

同じ首都圏や地方の「〇〇台」と名のついた住宅地を覗いてみました。

鎌倉のような山や丘を開発したような場所ではなく、ほぼ平坦な田んぼ・畑地を開発、分譲した場所のようでした。
これらの宅地の廻りを見回しても、森も森林もましてや海もありません。

この日本のエリートとも云える同級生の住む家の窓からみえるのは、お隣、或るいは一車線道路を挟んだ前のお宅の玄関。
都心から離れた、千葉、茨城、三多摩の地域でも、自宅の窓から見える風景は、ほぼ、自分たちと同じような、同じ世代、同じ社会環境の家から見える風景なのでしょう。

各家庭のGoogleマップ映像では、綺麗に磨いた車が写っています。
そして、御本人は気づいていなでしょうが、二世帯同居のようで、表札が二枚、同級生の名と、きっと娘さん家族の名前の表札なのでしょう。
この同じような造り、同じような世帯構成、そして同じような「80・50問題」があり、これからの「介護問題」やら「葬祭問題」「相続問題」が必ずどこかで起こってくるのでしょう。

そんな事は考えずに、ともかく旧交を温める為に、一日東京の会場に行きます。
私が6年ぶりに日本に戻り、専門学校夜間部で学ぶ為に入ったバイト先の築地市場はもうなく、あの時代、市場内大手から見たら弱小だった「築地市場場外」のお店は今や築地を代表するような飲食店に代わっている様子、「築地本願寺」、隅田川にかかる「勝鬨橋」や私達夫婦の将来に大きな変化を与えた「聖路加病院」そして、あの「地下鉄サリン事件」の時の地下鉄日比谷線駅を思い出して、久しぶり10数年ぶりにカメラレンズを向けてみましょう。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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