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2024年05月23日

孤独死・孤立死を考えたことありますか

我が家は子供のいない70代シニア年金二人暮らし。
恐らく統計はわかりませんが、全国ではかなり多いのではないかと思われます。
ネットで「子供のいない70代シニア年金二人暮らし」と検索すると、出て来るのは「老後資金はいくら必要か」がほとんどです。
ご心配ありがとう、でも、今のところその心配は無用、カミさんの知りたいのは、孤独死・孤立死のようです。

我が家の朝の日課と朝食メニューは

カミさんが朝起きるのは、私よりも1時間早く、5時半に一人で起きて365日同じメニューの朝食の準備を「ドリップコーヒー・卵(日替わりで目玉、ゆで卵、オムレツ)・チキン野菜サラダ・果物入ヨーグルトとパン超熟5枚切り」です。
カミさんは私が起きる6時半まで、一人、じっくりと新聞を読みながら、朝日の差し込む、公園側のリビングで朝食をするのが日課であり、それが楽しみのようです。
私が起床するのは6時半、起きてリビングに行くと、食卓の上にはグラスなみなみとつがれた水と血圧計が置いてあり、深呼吸二回してから、血圧を測りノートに記録してから、冷蔵庫から朝食プレートを自分で食卓に準備をして食べます。
これは、結婚して46年、ほぼ同じ朝で、同じ朝食メニューです。
他人は、何十年間全く同じメニューで飽きない?と聞かれますが、では皆さん、朝何を食べているのでしようか?
和食?、ご飯に、味噌汁、卵に焼き魚は、我が家では夕食メニューですし、カミさんに「たまには、別のメニュー」なんて、言えるハズもありません。
カミさんの答えは解っています。「じぁ自分で造ったら、ついでに買い物をして、洗い物もしてね」に決まっています。

今朝のTVのモーニングショーでは孤独死について


こんな朝の風景、カミさんは「今日、出かける予定ある?」と聞きます。
「昨日6,000歩歩いたら、今日は出かけないかも知れない、でも何で?」と聞き返すと
「9時からモーニングショーで”孤独死特集”をやるから、一緒に見よう」と云うのです。
私は76歳、カミさんは73歳、子供のいない二人暮らし、統計的には後数年の余命の私、必然的にカミさんは、退職後移り住んだ鎌倉のマンションの地で一人暮らしになり、そして一人で逝くのは間違いないのです。
それが後何年後かはわかりませんが、必ずやってくる最後です。

孤独死と孤立死は違う
孤立死や孤独死に明確な定義はありません。ただ、「誰にもみとられずに一人で死ぬこと」は共通ですが、孤独死より孤立死の方が「家族や地域住民との関係が希薄で社会から孤立した状態での死亡」の意味を含んでいます。
孤独死は誰にでも起こり得ることで防ぎようもありませんが、孤立死は防ぐことができます。
サービスを利用する方法もありますが・・・
孤立死を防ぐには? さまざまな「見守りサービス」
 
自分自身が孤立死する前に発見されて生還する、最悪の場合でも死後数日内に発見されるためにはどうすれば良いか。
自治体のサービスを利用する
 ・ご近所福祉スタッフなどボランティアによる見守り
 ・近隣住民と協力しながら地域で相互に支え合う
 ・事業者(新聞、ガス、電気、水道、生協等)との連携
 ・機器(人感センサー、福祉電話、タブレット端末等)による安否確認

企業等の訪問サービスを利用する
 ・宅食サービスでの安否確認
 ・牛乳配達時の安否確認
 ・ヤクルト配布時の安否確認
 ・ホームヘルパーによる生活状況の確認

企業の見守りサービスを利用する
 ・ホームセキュリティー会社の安否確認サービス
 ・郵便局のみまもりサービス

見守り家電製品を利用する
 ・象印マホービンの「見守りポット」(みまもりほっとライン)
 ・見守り電球「ハローライト」
 ・見守り冷蔵庫
 ・生活家電に取り付ける専用センサー
 ・見守りカメラ
 ・会話ロボット
 ・スマホの見守りアプリ

一番の対策は「多様なコミュニティーやネットワークづくり」と「社会参加する意思」と行動でしょうが、もうそのレベルを越している方のほうが多いのが孤独死・孤立死の問題なのですが。
誰にも迷惑をかけない生き方も良いのですが、人生100年時代を生き抜くためには、お互いもっと人に頼って生きても良いのではないでしょうか。
ただ、「誰にもみとられずに一人で死ぬこと」は共通ですが、孤独死より孤立死の方が「家族や地域住民との関係が希薄で社会から孤立した状態での死亡」
の意味を含んでいます。
孤独死は誰にでも起こり得ることで防ぎようもありませんが、孤立死は防ぐことができます。

カミさんは云います、私は確実に一人で逝くことになる


男性・女性という生物的寿命の違い、戦後昭和23年生まれの夫と26年生まれの妻、二人共生まれ育った故郷を離れ、都会で結婚し、子供はいない。
二人共に兄弟・姉妹はいるが、ほぼ同じ世代、年齢層でとても、都会で自由気ままに暮らしてきた、若干経済的に余裕がある、妹・弟の晩年の看取りは出来ない
自分たちだけでせい一杯だろう。
二人の兄弟・姉妹には甥っ子・姪っ子はいるが、両方の甥っ子6人のうち5人は独身、一人はヨーロッパ赴任行きっぱなし、唯一頼れそうなのは、カミさんり姪っ子一人ぐらいでしょう。
人は生まれてくる時は、母親の力で生まれてくるが、逝く時は一人、出来れるだけダレの手も借りずに、でも苦痛のないように一人で逝くもの、とカミさん元、医療従事者らしい
ことを云います。
カミさんは、私の逝き方についても、逝った後についてもとてもドライな考えを持っているようで、常々語っています。
「遺影」も「仏壇」も「位牌」もいらない
「お墓」もいらない、「遺灰」は海洋散骨する。
だって「君がなくなったら、私一人、私がになくなっら誰もいないのよ」
そんな、後に面倒なもの残したくないのよ。
ずっとカミさんはこう云うのを聞いていますので、そのとおりやるでしょう。

これまでも身近な人の死に立ち会ってきています。
今でも思い出すのは、父親の死でした。
子供の頃から、病弱で仕事嫌い、パチンコ三昧の父親に代わり、肝っ玉母さんとてお店を切り盛りして母親は、末っ子の私が学校を卒業したら、父親と別れて小料理屋をやると、常々云ってました。
私が、両親知らないの元から離れて、海外・都会で暮らしてきた20年後、父親は急逝しました、71歳でした。
父親がなくなって、私は、信州の実家で行われた葬儀に立ち会うために、実家へいきました。
そして、納棺の時、私の知らない母親の姿をみました。
あれほど、私が幼い頃から、喧嘩が耐えない夫婦だったのに、母は納棺された父親の遺骸に涙ながして大声でしがみついたのでした。
母親というよりも、夫婦、男と女を初めて、自分の父親・母親に感じました。

次に長兄の死
兄は盲腸癌て72歳でなくなりました。
最後は信州のキリスト教系のホスピスで、三週間の入院でなくなりました。
死に立ち会いませんでした。
ホスピスでのお別れには、姉が立会ました。
信州のエリート女子校卒で、社会的団体活動などを率先してやっている姉が、云ってました、あれほど感動したお葬式、お別れのセレモニーは初めてだった。と
72歳、独身、一人暮らし、孤独死・孤立死にもっととも近い存在だった兄の最後は、最後にお世話になったホスピスの皆さんと、実家の姉・兄に見守られて旅立ちました。
姉は私も最後はここでと、ドイツに住む一人息子にラインしていました。

私の場合・・・
二人両方の兄弟には、なくなって全て終わった後に連絡することになっており、私の郷里の兄・姉にはそう伝えました。
すると、4つ上の姉、3つ上の兄は、自分たちのほうが先いくから、ご心配なく、そっちで勝手にやっていて。第一田舎から鎌倉まで遠くていかないよと云ってます。
さて、このブログ、何時また読み返すことが出来るか

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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