• もっと見る

2024年03月09日

テレ東 懐かしのルート66 アメリカ中西部横断 ヒッチハイク旅


テレ東で60周年記念特番として、
タレント4人によるアメリカ大陸ルート66をトラックヒッチハイクの番組を観た。
テレ東は、他局とちがった形の旅人番組がお得意で、外国人に云わせれば「クレージーな番組」と呼ばれている。
確かに、「路線バス乗り継ぎの旅」やら外国人旅行者に密着しての旅など、他の民放ではやらないユニークな番組か多く、旅行好きシニアにはお気に入りのテレビ局ではあるが、さすがにアメリカ大陸横断、それも昔流行った「ルート66」の密着旅となると、ほぼ100%、事前仕込みでないと、成り立たないと思った。
しかも、一般人ではなく、お笑いタレント・芸人、俳優となるともっと難しいキャスト確保となるのは必須おそらく、他局なら企画の段階で「ボツ」となっていたたろう・・・それを本気で?
旅人のスタートは、シカゴ。終着地はLAX、西海岸太平洋のサンタモニカ、全長3,700km
日本では北海道「稚内」から九州「鹿児島中央」が3.032kmです。

当然ながら、21世紀のアメリカの東西は高速道路で結ばれており旧道であるルート66は通らない。高速道路どころか、列車ての移動も需要もすくなく、ほとんど空路がメインであろうが、このブログを書くにあたって、バス便ずあるかどうか調べてみた。
驚くべきことに一日四便がでていました。

もう少し若けれは、少なくとも退職直後の55才の時なら、もしかすると乗っていたかもしれません。
でも、このバス、詳しく調べていませんが、直通なのか、大都市乗り換えなのかはわかりませんが、少なくてもバスのみ400ドル、でアメリカ大陸を横断できることはわかりました。
でも、このバス、「ルート66」は通らないのは確かです。

私達、団塊世代にとって、「ルート66」とは

ウィキペディア引用
『ルート66』(原題:Route 66)は、アメリカ合衆国で製作されたテレビドラマ
アメリカの大学を卒業した若者コンビが、スポーツカー(シボレー・コルベット)で旅する中の出来事を描くロードムービー。
CBSにて1960年10月7日から1964年3月20日まで4シーズンに分けて放送された。全116話。
日本では、1962年4月7日から同年10月27日までNHK総合テレビで放送され[、その後吹き替え声優を変更してフジテレビにて放送された。
また、東京12チャンネル(後のテレビ東京)で再放送も行われた。


そう、私達団塊世代の中学生の頃の時代です。
アメリカの家庭の冷蔵庫には、肉・ソーセージ・チーズが溢れており、若者が自家用車を乗り回す姿に驚き、憧れていた時代です。
未だに、このドラマの主題歌はナット・キング・コールが歌い、ジャズのスタンダードナンバーにもなっており、今でも耳に残っています。
この街道が全米に知れ渡ったのは、米国を代表するノーベル賞作家・ジョン・スタインベックが「怒りの葡萄」で舞台として描き、ジョン・フォード監督が映画化してからでした。
ヘンリー・フォンダ扮する東部の農民一家が、荷物を山積みにしたポンコツトラックで “ルート66” を西に向かうシーンはとても印象的でした。
スタインベックは この作品の中で “ルート66” を「マザーロード」と呼び、多くの米国民の心に「マザーロード」の記憶が刻まれたようです。

こんな繁栄を極めた“ルート66” ですが、アイゼンハワー大統領が1956年に連邦補助高速道路法に調印し、全米で高速道路網の整備を進めた結果、次々と州間高速道路に置き換えられ、ついに1984年に全路線が廃止されました。
日本初の高速道路は名神高速道路で、1965年、全線開通しています。
団塊世代の私は17才の時で、バックパッカーとして九州を名古屋発券の均一周遊券で旅した帰り、日本初めての高速道路に乗りたくて、大垣からJR高速バスに乗って
名古屋に目指したことを覚えています。
そのように、「ルート66」は団塊世代の様々な記憶・思い出を呼び覚ます「キーワード」なのです。

テレ東の番組はどうなったか
第一走者「フアちゃん」は 小学2年生から小学4年生までアメリカ、ロサンゼルスに居住していた帰国子女でもあり、セブ島への語学留学の経験もあるですから、基本的に一般会話は不自由しないようでした。
しかし、今回のテレ東の選車の条件は高速は「荷物を積んだトラック」、下道「ルート66」は現在大型トラックは走っておらず、一般車もOKという条件なのですが、現在のアメリカのヒッチハイク事情は昔と違って、外国移民による不安定な治安事情でかなり難しい状況になっており、苦戦し、2日間で進めた距離は地図上の2区間のみとなり、次「ケンコバ」にバトンタッチしました。この企画がテレ東内で取り上げられた時点で解っていたと思います。

日本国内の「ユーは何しに日本へ」のなかでは、外国人旅行者に対する日本人の親切さが目立ちますが、アメリカ本土ては、ヒッチハイクは危険な行為とみなされているのです。

特に運送会社の事業用トラックにおいては基本的にヒッチハイクの同乗は禁止されていたり、日本と同じようにドライバーの運転時間が制限されており、難しいのです。
そんなアメリカの事情を知っている私は、この番組は全て制作会社の「仕込み」で成り立っているだろうと見ていました。
日本国内の旅番組のような、ホテルの予約はなしでのアメリカ中西部の旅は成り立つハズもないのです。


何処まで、「仕込み」で何処から「ガチ」かはわかりませんでした。
この番組の司会は「元猿岩石」の有吉でした。
元祖、テレビ上バックパッカー番組ですが、実際にはほぼ90%、仕込み、やらせでした。
そんな簡単にアジアの地でアルバイトをできる訳もなく、二人プラスカメラ三人の長距離のヒッチハイク移動は不可能です。
そして、後から報道されたように、中東の国の移動は空路を使っていました。

同じ時代、今やバックパッカーのバイブルとされている「沢木耕太郎の深夜特急」は空路・鉄路を使わずにバスのみで、香港からポルトガル・ロカ岬を目指す内容ですが
この本にしても、全てがリアルでなく、旅の後10数年後に書かれた「小説」です。
かなりの資金と、途中からの友人・知人の援助でなりたった旅だったのです。
「猿岩石」のあとの「南米」や「北欧」の同じようなバックパック企画旅は全て、作り物でした。
くれぐれも今の日本の若者は、海外貧乏旅行では海外の人は日本人に対して親切で、経済大国、勤勉な人種とて尊敬しているなんて、神話を信じてはいけません。
アジア・中南米・アフリカでは、海外旅行者は全て「カモ」と見做されます。
海外で街なかで向こうから話しかけてくる人間は99%、金目当てのトロボー、詐欺と思って間違いありません。
楽しく、思い出に残るような旅をしたいなら、ある程度ゆとりのある旅程・資金・そして語学力が必要です。最低、英語一般会話力、プラス現地の言葉は必須、できればフランス語・スペイン語カタコトでも。

第三走者は俳優の城田優、最終走者は「ノンスタイル井上」

このテレ東「トラック乗り継ぎ旅」の一見、ガチに見えるように作られていますが、海外でのこのような企画で出演者のスケジュール調整やらフライト・宿の手配の他に、カメラクルーやら通訳、その他諸々のスタッフの手配も必要となりますので、かなり作られたものと見たほうが良いでしよう。
ラストは予定通り、東のシカゴを出発して、ルート66の観光名所を紹介し、ドローンをふんだんに使い、普段のアメリカ中西部ではみられない壮大な風景をが見られサンタモニカの海岸の太平洋に沈む美しい夕日で終わりました。
めでたしめでたし。
でもテレ東の誤算は、同じ時間帯「侍ジャパン」強化試合欧州戦があり、しかも日本の若手ピッチャー六人による完全試合とあって、視聴率は予定していたよりも伸びなかったのでは、と老婆心ながら心配しています。

*************************************************************
ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
この記事へのコメント
コメントを書く
トラックバックの受付は終了しました

この記事へのトラックバック