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2023年01月01日

生活に身近な箱根駅伝コース

お正月の季節季語、歳時記(俳句の季題を分類して、解説を加え、例句を載せた書物)にもなるお正月の箱根駅伝は、関東では人気で、関西圏に住む方々とは違った思いで見ています。
その理由の一つは、わが町を走る駅伝だからです。
スポーツ中継に映る、自分の住む街の姿が長時間TV映像として、全国に映る、一種の誇りがあるのでしょう。
この思いは、特に神奈川県、ルート沿道に強いようです。


私がこの箱根駅伝のルートに近い、横浜市戸塚区に新居を買ったのは1983年昭和58年、35才の時でした。
それまで、この大学箱根駅伝が私の住む町のはずれを走ってしるのは知りませんでした。
否、微かに知っていましたが、全く興味がなく・・・私は強烈なアンチジャイアンツで、阪神ファン、あの悪童「江川卓」が文庫本CMにでていると云う理由で新潮社の文庫本を買わなくなったほどのアンチ巨人ですから、東京4チャンネル、読売テレビの看板番組を見る訳がありません。
そして、初めて自分の目でこのイベントを見たのは、1997年平成9年49才の時が初めてでした。
アンチジャイアンツの理由は、こじつけでしょう。
実は1983年昭和58年に駅前マンションを購入してから、1998年のお正月までの15年間、お正月休みは全て海外の世界遺産の地を旅しており、日本にいたことがなかったので、自宅周辺を通過する読売テレビの「箱根駅伝」は全く無関係、興味なかったのです。

1999年正月、権田坂

しかし、1999年のお正月は15年ぶりに日本で過ごしていました。
前年の夏、私は中央アジア、ウズベキスタンを旅した時、なにかの感染症に感染したようで、帰国後体調不良、通勤の地下鉄階段も上がれないような状況になり
大病院に行った所、その場で担架に載せられ、絶対安静を告げられました。
A型肝炎、ベット安静三週間と告げられました。
しかし、翌日、また新たな医師が現れ、C型肝炎ウィルスを検出したので、このまま三ヶ月入院して、完全に治療することを勧められ、インターフェロン治療に入りました。
一種の抗がん剤治療で、一時期、私の会社内では、「かなりヤバい」説が走り回っていたと、後から聞きました。
9月に入院し、12月に退院し、後3ヶ月の通院で完全にウイルスを撲滅するという長い治療でした。

何十年ぶり自宅過ごすお正月

お正月のまるまる一週間、駅前の自宅マンションの窓から外を見ると、派手なウェアーを来た若い集団が、旧東海道方面に歩いています。
そして、次々に大学の幟、旗を持った集団も後に続きます。
「そっか、大学箱根駅伝だ」
「こんな近くを通るんだ」と久しぶりに外にでることにしました。
彼らの歩く方向は、旧東海道の先、の「権太坂」のようです。
名前は聞いたことがありますが、行ったことはありません。
神奈川県でいちにを誇る大規模駅前のマンションを購入しても、駅とマンションの間だけの生活で、その先のバスで行くような所へは行ったことがありませんでした。
権田坂は、JR横須賀線東戸塚駅から、徒歩15~20分の旧東海道にある坂道です
箱根駅伝の中継映像のあの坂は、旧国道一号線の場所です。
それでも、平坦なルートから見ればかなりの勾配に感じるのでしょう。
ここを過ぎると、次は戸塚中継所です。

戸塚中継所

権太坂を抜けると平坦なみちを戸塚駅方面に走ります。
35才で東戸塚駅前大規模開発マンションの第一期マンション群に入居しましたが、周りにはコンビニはおろか、商店らしきものもなく、電車に乗って横浜・戸塚にでるしかの買い物難民状態でした。
ですから、カミさんと私は、お隣の戸塚駅周辺には当時、ダイエーの大きなお店があり周辺の散歩、お買い物冒険として、よく歩きました。
東戸塚から駅伝でも使われてきた、ルートのんびり歩くと40分から50分かかります。
旧国道は旧東海道に沿って行き、JR東海道線戸塚駅の大踏切を通ります。

ここは、JR東海道線、横須賀線、貨物線の3本の複線レールの踏切で、朝の通勤時間、開かずの踏切として有名なところです。
箱根駅伝では過去に何度も、この踏切で足止めをされたチームが沢山ありました。
1983年から戸塚駅を通過するルートを権太坂・不動坂・戸塚跨線橋・旧有料道路を通るルートに変更されました。
これで、踏切待ちは、蒲田の京急羽田線の踏切と箱根と箱根登山鉄道の小涌谷の踏切だけとなり、2012年、蒲田の踏切も立体交差でなくなり、残すは箱根だけとなりましたが
箱根と蒲田・戸塚では交通量は何十倍も違い、車両も短いので、手信号での箱根駅伝への協力はこの先も続くでしょう。

3区 戸塚中継所からは、旧東海道・現国道1号線遊行寺坂へ

退職して、東戸塚から鎌倉市・大船に越してきて、初めて遊行寺の名前を知るようになりました。
私の住むマンションはバス通りに面しており、エントラホールの前は、隣の町、藤沢行きバス停があります。
藤沢は神奈川県のこの周辺(横浜市の西の端、鎌倉市)では一番の大きな町、大都会です
小田急線で大都会のターミナル駅新宿と繋がっていたり、観光地江ノ島・鎌倉ともつながっていてます。
私の自宅からは、足腰のトレーニングを兼ねたロング・ウォークで45分ほどの距離です。
箱根駅伝コースは、旧戸塚宿から旧藤沢宿をトレースするように、現在の旧国道一号線を走ります。

遊行寺と藤沢宿
この坂は実際に歩いて見て権太坂ほどの急勾配は感じませんでした。
そして、往路はこの坂は下りになりますが、復路は長いゆるやかな登りとなりスタミナよりも、気力、メンタルの影響が強く影響するでしょう。
特にシードを争っているチームには。横浜方面からてくと遊行寺の手前のは、渋滞で有名な「原宿交差点」があり、先には「藤沢宿」の資料館があります。

近年、藤沢では、日本各地の盆踊りを招いた街起こしが盛んで、有名の富山・八尾の風の盆もここでやっていました。


さて、今年の復路、この藤沢・遊行寺ではどんな戦い、順位なのか楽しみに見てましょう。


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posted by 西沢 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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