自己都合で会社を辞めた場合は3ヶ月間の給付制限というのがつきます。
結果的には手続きをした4ヶ月も先にやっと最初の失業保険がもらえるということになります。
退職した年、なるべく早く失業手当をもらう為に、ハローワークから紹介されたのは、職業訓練校で指定された技術教育を受けることにでした。
指定の講座・訓練期間、学ぶ為の交通費が支給され、受講した翌月から失業手当がもらえるとのことで、この時の訓練リストのなかから一番惹かれたのが「Webエンジニア講習」でした。
もともと現役時代から興味があり、本格的に言語・プログラミングを学習したいと思っていました。
退職した2003年とはどういう年だったかというと

そして、2001年、ヤフーBBが店頭、手売りで華々しくADSL回線を個人の住宅にサービスを開始しした年、ほぼ一般個人的には、ネット元年の年。
二年後の年私は退職し、現役時代から興味を抱いていた、html-web言語を学べるチャンスを退職直後55才で手にしたのです。
丸三ヶ月とプラス私は個人的に携帯用webページ講習で、半年、若い受講者にまじり学習しました。この年の神奈川県の定員は20名でした。
ハローワークの説明では、定員より応募者が多い場合、書類審査と志望動機論文審査があると伝えられました。
私の場合、55才と年齢が一番上と思われるが、この講座を受講したい大きな動機、意欲を書くことと、受講後、この経験を今後どう活かすかを書くようにすすめられました。
モデル的な書き方は、「受講後、この技術を生かして、独立する」が一番だと言われました。
要は、職業訓練が、如何に社会の失業率を下げ、社会貢献するか、当時の労働行政が目指す方向と合致するかなのでした。
私は合格して、新横浜の電子専門学校の「webエンジニア科」を受講しました。
生徒は24名、私は55才最年長、ほとんど20代の若者、女性も10数人いました。
授業が始まって一週間で分かりました。
この講座に参加している若者の大半は、現役のwebエンジニア、webデザイナーばかりなのです。
彼らは、前の会社を辞め、もっと条件の良い会社に移る間、このようなハローワークが推奨する職業訓練講座を受けることにより、早く失業手当がもらえ、交通費もでで、指定された日にハローワークに行かずにも済む・・のが理由でした。
この講座の最終週は、卒業制作としてwebサイト(ホームページ)を一つ作り、全員の前でお披露目することでした。
私はこの時のサイトのテーマは決まっていました。
「団塊世代の定年後 海外ロングステイ」です。

私が退職した2003年、退職シニアによる海外ロングステイは、一大ブームでした。
毎週、どこかのTVチャンネルで、退職後海外で優雅暮らす定年退職ご夫婦の生活を紹介していました。
2003年外貨相場は1ドル100円から120円に間を行ったり来たりしていたました。
そしてメデイアは、夫婦国民年金でも、アジアなら優雅に暮らし、貯金も出来ると囃し立てていました。
当時の私達世代の間では「巨泉する」という言葉が流行っていました。
TV司会者の大橋巨泉のように若い奥さん一緒になり、海外の住まいをオーストラリア、カナダ、ハワイと二拠点、三拠点、シーズンによって棲み分け、お土産物屋を経営し、優雅ゴルフ三昧の生活をしていて、一般サラリーマン退職者からは羨ましがられていました。
2003年当時は人気の地は、オーストラリア・ニュージーランド・バンクーバーそしてハワイでした。
しかし、私が退職したろから、このようにTVで取り上げられても、一般的なサラリーマン退職者の年金や財産では暮らしていけないことは明白で、次第にこのような白い砂浜、美しい邸宅、安全な白人社会ではなく、実際問題として、退職者夫婦が年金だけで暮らしていける、年間通して暖かく、治安が安定しており、日本からのフライト条件も豊富なアジアに目線が代わって行きます。
タイのバンコク・チェンマイ、インドネシアのバリ島、マレーシアのペナン
が一大人気地へと移っていきました。
私は、この「Webエンジニア講習」の卒業課題サイトづくりに「海外ロングステイ」をメインテーマにサブとして、戦後のベビーブーマー世代、小学校から墓場まで続く同世代との競争の団塊世代の定年後をどう行きていくかと、海外旅行が団体パック旅行から、夫婦二人だけで自由に動くにはテーマとして
「定年後の海外ロングステイ」
「世界遺産の旅」
「団塊世代の定年後の生き方」
を三本柱として、2003年12月からスタートしました。
あれから20年になろうとしています。
10年ひと昔と云います。
既にふた昔になるのです、私の卒業制作サイトは勿論、あの当時のままではなく、何度も何度も修正、訂正、削除、追加を加えてきています。
一般的、ホームページの評価のひとつなるPV値(ページビュー)は現在サイト全体で年間150万程度です。
個人の趣味のページとしては、まあまあですが、世間一般の評価数からみれば、ゼロに等しい、知っている、興味のある人のみのサイトとなります。
今の世の中、パソコン或いはスマートフォンを持っている日本人は94%と云う数字がありますから、年間150万は、社会に何の影響も及ぼさない数字なのてす。
過去、年間300万程度を更新し続けていました。
しかし、2020年春からPV値は急速に落ち続け、半分以下になっています。

原因はひとつだけでは有りません。
■ プリンセスダイヤモンド以降のパンデミックによる人の移動がなくなったこと
■ 団塊世代の終焉、高齢化 団塊世代が世の中の重荷になりつつあること
■ 社会全体が海外ロングステイどころではないこと
■ 私が海外旅行を卒業し、パスポートを更新せず、サイト内情報を更新しなかったこと
私のサイトの検索ワード「団塊世代」「定年後の過ごし方」「海外ロングステイ」による検索順位はどんどんと下っていきます。
当たり前のことです。
何時かは大幅に、ホームページに手を加えるか、改修するか、或いは削除するか
このような旅に関する情報サイトで古い情報をそのまま、20年近く掲載することは、恥・罪だと私は思います。
今年、それらのベージ全体を削除しようと考えています。
ほぼ全ての海外旅行情報のページが、「恥・罪・不適正」ではないかと思っています。
団塊世代の定年後の過ごし方については、生き方・逝き方などの内面の問題なので残しましょう
投稿記事も、海外に関する記事はかなり違ってきているかもしれないので、削除しましょう
国内の旅の記事もいらない。
世界遺産の記事もいらいない。
旅の情報記事もいらない。
全て、終活の為、残された人に迷惑にならない為、早め早めに処分しないと。
ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ
定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ
ブログ管理人のつぶやきツイッター
【シニアライフの最新記事】
- 居心地の良いスタバの無料Wi-Fi 駅周..
- 胆嚢摘出腹腔鏡下手術 第三章 一ヶ月検診..
- 身近にある熟年離婚の波、足音
- beランキング 訪ねたい桜の名所トップ2..
- 団塊世代は今年77歳、喜寿を迎えた
- 早咲き染井吉野系、地元鎌倉の玉縄桜は満開..
- キャシュレス時代 ポイントカードと電子マ..
- 胆嚢摘出手術のその後 第二章
- 築20年のマンション、トイレ・お風呂場の..
- 西田敏行お別れの会と「人生の楽園」の人..
- 悪夢をみる、いつもの仕事と海外の旅の夢
- 退職20年を過ぎて、家の中の家電類が一斉..
- 胆嚢摘出手術 第一章 手術はやるべきだ..
- 日本年金機構より生きていますかの問い合わ..
- 孤立する同世代シニアおじさんの一日は
- なぜ女性トイレだけ行列 調べてみたら…見..
- 認知症治療に有効か過去を振り返る 記憶力..
- 熟年離婚・熟年別居以外のの選択肢 卒婚..
- カミさんの銀行ATMデビューツァー
- 入院手術前に歯の治療をしておかなくちゃ