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2022年10月27日

今更遅いが、行きたかったけど、行けなかった国・場所

日本のコロナ鎖国が緩和されてから連日、海外から観光客が多くなり、円安での買い物、食事を楽しんでいるニュースが流れている、このまま感染症が収まるととは思えないが、自分の年齢、体力・好奇心の衰えを思うと、行きたいという想いがある時には、多少の無理をしてでも
行くべきだったと、今、しみじみと思っています。

行きたかったけど、いけなかった理由・原因は
・費用が高かった
・入国が制限されていた
・遠く、交通の便が悪かった
・危険が考えられた
・情報がなかった
・なんとなく行きそびれた
一番の原因・理由の1位は
・いつでも行けると考えていたこと

単純に一つの理由ではなく、これらの障害が二重・三重に入り組んでいたこともあります。

今、後期高齢者宣告の一年前の後悔
■ チベットのラサに行きたかった。
■ ハングラディシュ、ダッカに単純に行ってみたかった。
■ インド、ダージリンに行きトイトレンに乗りたかったたかった
■ アマゾン・マナウスに行きたかった。
■ フィリピンに行ってみたかった

■ チベットラサに行きたかった。

チベットが外国人でもわりと簡単に入れるようになったのは2006年、青蔵鉄道が開通してからです。
中国の青海省西寧とチベット自治区首府ラサ(拉薩)を結ぶ高原鉄道、総延長1,944kmは乗り鉄だけでなく、乗ってみたかった。
完成直後、日本の旅行会社、特に中国西域に強い、「西遊旅行社」では多くのツアーを発売しており、私の旅の友人の多くも早速でかけていきました。
「西遊旅行」は日本の西域旅行のリーデングカンパニーでツァーの質も良い分、高いことで有名です。
しかし、私達夫婦は団体パックが苦手で、昔、「ブータン」に行くときも、同じ日に西遊の団体パックが催行されていたのを、私達は無理云って
個人扱いにしてもらって、同じフライト・同じ宿・になった事がありました。
そこで、西遊にチベットもお願いしたところ、その時点では、チベットに限っては、個人旅行扱いは出来ないと云われ断念しました。

少しづづ時間が経過し、チベットラサだけに限れば、個人旅行(と云っても中国国内ガイドは必須)が可能となり、日本から行くプランと、ネパールカトマンズから行くプラン、二通り考えました。
この当時でも当然ながら、パーミッションは必要でした。
ネパールから陸路で入るルートが一番楽しそうなルートです。
車とネパール側のガイド、中国国境からは中国側のガイドが必要になり、カトマンズ発・着で8日間、二人で40万円程度でした。
未だに実現していない最大の理由はラサ市内の治安状況と、中国漢民族政府とチベット族・ウイグル族の関係悪化です。
心情的・信条的には、中国政府の思惑通りになりたくないからでした。

■ ハングラディシュ、ダッカに単純に行ってみたかった。

バングラディシュは若き日、貧乏バックパーカーとして東南・南西アジアを旅する時に利用した「ビーマン・バングラデシュ航空」の母国なのてすが何度も利用しても立ち入ったことがありません。
私達夫婦はディープアジアと云われる発展途上の国々には慣れているつもりです。
大昔二人共20代の頃、インドのデリーに深夜到着し、国際空港のロビーの床に寝転び寝ている黒い肌と、キラキラと光る瞳に、異国に来たという実感を味わったことを今でも覚えています。
あれ以後、私達夫婦は沢山の途上国を旅してきましたが、恐らくですが今、この感覚を肌で感じるのは、写真を見る限りハングラディシュ、ダッカでは無いかと考え、ダッカにある日系旅行社に問い合わせしたことがあります。
航空券は、日本で購入したほうが安いのは分かっていました。
全くの予想外だったのが、宿泊費と観光費でした。
先ず宿泊費は日本の超一流ホテルとほぼ同じ値段、一泊200〜300ドルもしました。
そして、観光ガイド、車の値段も、世界最貧国とは思えない値段でした。
日本語で応対出来る会社なので、ざっくばらんに聞いてみると、相手の答えは
「明治維新の開国直後日本というイメージでだと云うのです。外国人は全て特別扱い、一般バングラ人とは別格の扱いとなるので、安いホテルとか、移動手段とか食事は用意出来ない」と云います。
そして、最終的に当分はいいやと、判断したのは、ハングラディシュの世界遺産でした。
主にはイスラム文化のものが多く、パキスタンのように期待していた仏教遺跡にみるものはほとんど破壊されていてなかったのです。
もう10才若かったら、この写真のような雑踏に身を置くことができたのでしょうに。

■ インド、ダージリンに行きトイトレンに乗りたかった

北インドの旧シッキムから紅茶で有名なダージリンには、乗り鉄の間で有名な列車「トイトレーン」(文字通りオモチャのような列車)が走がっており、NHKなどの番組で取り上げられています

シッキムは元々独立した国でした(ブータンのような国)、近隣のネパール、ブータン、英領インドとの長年による干渉・争いの末も1975年、インドに併合され滅亡した小国です。
インドと中国という大国に挟まれた小さなチベット族の国は、いずれかとどこか大国に守られ、ねば生きていけない運命だったのでしよう。
ぜひ、このチベット文化の国に行こう、そしての乗り鉄、撮り鉄として、自転車よりもスピードが遅い、このオモチャのような列車に乗りたいと、昔からお付き合いのあるインド旅行専門店に見積り・手配をお願いしていました。
なぜ行けていないのかの理由
・相次ぐインドの列車事故がひとつ
・雨の多い地域なので、季節が限定される
行けなかった最大の理由は
 この旅にマザーテレサハウスボランティアを組み込んでもらっていたのですが、
 マザーテレサさんが1997年に亡くなり、いつしかカミさんの熱意も薄れ
 てしまったのが理由です。

■ アマゾン・マナウスに行きたかった。

世界一の大河アマゾンの奥地にある近代都市、マナウスのネグロ川とブランコ川(ソリモインス川)が合流する地点をこの目でみたいと思っていました。
昔、初めてブエノスアイレスに向かう時に乗船した、商船三井の貨客船の一部はパナマ運河を横断して、大西洋をサントスに南下する前に、アマゾン川の下流ベレンに停泊する便があることは知っていましたが、私が乗船した便はベレンにはよらず、まっすぐ南下してリオ・デ・ジャネイロに入港する便でした。
もう50年以上前の話です。
今でも、アマゾンには一度行ってみたいと思っています。
あの大河の中に突然と現れた、ゴム人気によって建てられた都市、そして似つかわしくない豪華なオペラハウスとそして、2つの流れが合流しいつまでも混じらずに流れていく様を見てみたい・・・
何度も、一般の日本人なら一生に一度行くか、行かないのに、私達は数え切れないくらい、南米に飛んでいるのに、ブラジルの北の端、アマゾンには行っていないのてす、
アマゾンのマナウスへ行くには、一度ブラジル国内には入って、空路行くか、空路ベレンに行ってから河を遡る汽船で行くか・・
いずれにしろ、ブラジル国内には入って、最低5日間は欲しいのです。
その時間と費用を、他の南米の行きたい、見たい所、友人との歓談と比べるとどうしても優先順は下がってしまい、未だ実現はせず、恐らく、もう無理でしょう。

■ フィリピンに行ってみたかった

フィリピンって簡単にいけるじゃないか、何で?と思われる方は多いと思われます。
そうなんてす、あまりにも身近で近く、これまでも何回も行く機会はありました。
建設現場を担当していると、打ち上げで海外旅行、それも男の職場ですから「フィリピン四日間」なんて当たり前でした。
ある現場での打ち上げで2日後に行く予定だったのが、「アキノ暗殺事件」で中止になり、翌年も妻であるコラソン・アキノ女史による「黄色いTシャツ革命」で中止した経過があります。

カミさんは元職場仲間といった事があり、ロングステイ候補地としてはふさわしくないと、云って行こうとはしません。
フィリピンは男単独で行くと、危険が待ち構えているといわれていました。
女性よりも、官憲・空港税関による「罠」が一時期、報道で伝えられたり、また、日本人男性がトラップにひっかかり、長期間収監されたりしていました。
フィリピンはラテン系の国家、国民です、タガログ語にも多くのスペイン語が混じっており、人種としての性格はラテンです。
ということは、正義やモラルよりも、身近な家族間、人間関係が法律よりも優先し、極端に云えばお金で問題が片付くという認識が根底にある国、中華民族と似ている国だと思っています。
なんで、そんな国に行ってみたいの?
答えは「近いから」「安そうだから」「怖いものみたさ」でした。

本当は行ってみたかった国・場所はもっと沢山あるです。
● ジンバブエ・ビクトリアの滝
● アイスランド・火山と温泉
● ウユニ塩湖 昔、近くまでは行っていたのに
● バヌアツ・ヤスール活火山
● タンザニア・ンゴロンゴロとキリマンジャロ
 今更、明かしても、年寄の愚痴・後悔にしかなりません。
 もっと体力、筋力、胆力があったら・・・良かったのに

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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