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2022年08月14日

都会に住む団塊世代のお盆の過ごし方、帰省・墓参り

昭和の時代 帰省L特急「あさま」
55才で退職して、今年の夏で19年になる。
毎日が日曜日、休日、365連休がつづくと一般的な休みとか休暇の意識がなくなり、曜日感覚も薄れていく。
少なくとも二年前までは、鎌倉市役所指定管理事業所の非常勤ながらスタッフ・メンバーであったので、曜日感覚はあったがそれも卒業するとますます曜日・休日の感覚は薄れていく。
そう、8月15日がやってくる。
終戦記念日という感覚は、戦後生まれの団塊世代には薄く、「お盆」の季節イコール、実家、田舎の母親に顔をみせなくては、という、一年に二度の感覚がくる。
私の実家は、信州の県庁所在都市、カミさんの実家は北関東、浅草から私鉄の急行電車という、私とはかなり帰省に関するイメージが違った場所で生まれ育っている。

今、新幹線ができてから東京駅から最短85分で長野市に着く
現在の住まいの鎌倉市からでも2時間20分で行ける距離だが、新幹線開通のそれ以前、独身時代の列車は「L特急あさま」が一番早かった。
昭和の時代のお盆やお正月の上野駅は、この間までの中国の、春節の国民民族大移動と同様の風景があった。
ホームに新聞紙を敷いて、次の列車を待つ人々、酒盛りする風景は当たり前にあった。これは東京の北の玄関口「上野」だけとかと思っていたら、新宿駅では
登山着姿の若者がやはり、夜行列車を待ってホームに座る姿は夏の風物詩のようであった。

信越線がオール電化するそれ以前、団塊世代が入試で上京する頃、まだSLは日常的に走っていた。
信州から関東平野に入るには、難所の「碓氷峠」を超えていかねばならず、数十のトンネルを通過する度に、汽車の窓を開け締めしていた。
そんな時代もあったのだ。

いつ頃まで家族がお盆に集まっていただろう
南米から帰国し、バイトしながら専門学校に入り直して、東京・築地界隈で暮らしていた頃、昭和50年初頭、独身の私はお正月・お盆に帰省するのは全く当たり前の常識であった、お土産のお菓子と一緒に大量の洗濯物を母親に渡すのが、末っ子の私の勤め、親孝行であった。
実家を継いだ兄の家族、嫁に行った姉の家族、そして独身の長兄と末っ子の私、12人が一緒に食卓を囲めるように、小さな郊外の住宅ながらふすまを開けて一緒に食事する・・・そんな風景、まさに昭和の、戦後の風景が残っていたのはいつまでだろう、と考えています。
父親がなくなっても、家族は毎年、お盆・お正月には集まっていたと思います。
その習慣・行事がなくなった、とはっきり言い切ることができるのは、母親が亡くなってからからでしょう。
2007年平成19年の2月、寒い日、母親が亡くなりました。
私は59才、兄・姉は62、63才。すでに実家の兄弟よりも、自分の子供、伴侶との生活の長さ、濃さのほうを当然優先する年齢・環境になっていたのです。
その後、実家を継いだ兄家族全員、嫁いだ姉家族全員、私達夫婦二人、独身の長兄が揃うことは一度もありません。

実家での新盆の最後は
2007年2月、母親が亡くなって年の8月の旧盆が、実家で新盆の最後でした。
その11年後、2018年、生涯独身で暮らしていた長兄がなくなりました。72才、盲腸癌、闘病生活半年、終末医療ホスピス3週間でなくなりました。
お葬式は、私達兄弟三人の家族葬ですませました。
新盆は、実家の兄の自宅で、亡き、父・母と一緒に済ませたと聞いています。
この年73才となっている、実家の兄、兄嫁さんや、一人実家に住まう独身の甥っ子の家庭環境を考えると、あまり負担にならないように、自然に実家にに立ち寄る機会は年々減っていきます。

昔、子供の頃のお盆の迎え火、送り火は
私達、団塊世代が高齢者となる昨今、世の中のニュースでは、ターミナル駅に子供家族、孫の顔を見て微笑み、抱きかかえる同じ世代と思える、「祖父・祖母」の映像が多く流れます。
そして、ブログを書くためにフリーイラストを探しているなかでも、お年寄りが孫を相手にするイラストを多く見かけます。
私達のような子供のいない夫婦にとって、お盆とか、お正月は、年老いた両親に、今の元気な姿を見せに行く、そういう感覚なのですが、現実社会は違うのです。
私達、団塊世代はもうとうの昔から、迎える、歓迎する立場なのでしょう。
このお盆の送り火、私の田舎、信州北部では、白樺の皮を燃やす習慣があります。
いまでも、実家の兄は、亡き父・母・兄をこうやって玄関先でもやし、送っているのでしょうか。づっと帰っていないので知りません

墓参りに行かなくなって・・・
私の父親の本家筋のお寺は、市内郊外にあるお寺です。
お葬式やお盆には、本家のお寺とそのお寺が属する浄土真宗の上位の寺からお坊さんが二人くる仕組み、又別に、あんじょさんと呼ばれる尼僧は、月一度命日に、お経とお線香をあげに、自宅くるような風習がある地域です。
そんな古いお寺体質から、父親は離れようとしたのか、市営墓地を生前に購入していました。
ですから、そのお墓には、今は亡き父、母、兄が入っています。
その市営霊園は、市の北部の山の頂上付近を開発した土地で、冬場の除雪されていない時期は訪れることが困難な場所で、もちろん車が運転できない私は、兄の手を借りないと、墓参りは出来ません。
先祖を敬う、亡くなった個人に思いを寄せる場所として、お墓は必要でしょう。
もし、実家の兄やら家族がなくなった時、この山の上の市民霊園のお墓にはいることでしょう。
その先はどうなるのか?
もちろん、嫁いで出た姉はこのお墓にははいらないでしょう。
私も、もちろんで、元々子供いない夫婦ですから必要としておらず、お葬式はなし、基本的には、海洋散骨ということで二人の合意できています。
今、実家の家族構成、50才になろうとしている独身の甥っ子、とその弟(独身)がこのお墓を守っていく、先祖というより、彼らにとっての祖父母と両親、そして父親の兄弟が埋葬されている、山奥のお墓をどう考えているのか知る由はありません。

日本全国で行われている「墓じまい」・・・
同じく「実家の処分」・・・
その前の段階年老いていく「両親の介護」・・・
私達が現在経験していくことを、この団塊ジュニア世代は、もっと厳しい条件下で生きて生かさなくてならないのです。

2022年のお盆を迎えて、昔は楽しい「実家への帰省」が、今は重い試練となってきています。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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