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2022年07月31日

鏡に映る自分の姿は亡き父・兄に似てきた

往年の端正な顔立ちの、欧米と日系のハーフの俳優・タレントは男女問わず、年齢を重ねていくと欧米系の血が濃いのか、どんどんと外国人の顔になっていく姿をよく見かけます。
ハーフ、混血でもない純血日本人の家系でも、年老いていくと父親・祖父の顔、姿に近づいていくのは実感しています。

二卵生双子の兄も年齢と共に似てきました

私の兄は二卵性の双子で、家族以外の人からは、一卵性ほどでもないけどよく似ていると云われますが、同じ家庭で育った弟の私からみれば、双子なのに全然似ていないと思って育ったきました。

その双子の兄のうち一人は、四年前ガンでなくなりました。72歳でした。
高校を卒業し、都会に出て、労働組合活動にのめり込み、四十代で帰郷しアパートに住み、生涯独身でした。
職を転々とし、母の晩年には母の通帳を頼って生活していたとも聞いています。
兄の晩年は、地元に残っていた、夫を若くしてなくした姉と、実家を継いだもう一人の双子の兄の二人で面倒をみ、最後の二週間はカトリック系のホスピスで過ごしてなくなりました。

見送った双子の兄は今も健在です
昭和20年終戦の年生まれ、団塊世代よりも3才上、兄の子供達は私達団塊世代の子供とほぼ一緒で、今までなら高卒のまま、地元で小さいながら堅実な会社に就職し、普通の生活を過ごしていたのに、誰でもが大学へ行くのが当たり前といわれる社会の風潮のなか、二浪までして関東の田舎のその当時、私も初めて目にする三流大学に入り、大学のカリキュラムであるかのような、提携先のアメリカの大学に短期留学までしました。
卒業時は就職氷河期です。
結果、就職先は、誰でも採用する「商品取引の会社の営業マン」長続きする訳もなく、一年で退社し実家に戻り、現在まで実家に住み、短期派遣の仕事の繰り返しです。
そんな兄と兄嫁二人の苦労、悩みは手にとるように分かります。

兄は今年、喜寿77才を迎えました。
昔、母の喜寿の祝いを地元・善光寺の高台にある、有名な高級感あふれる料亭でもおこなったことがあります。
母は77才、私が49才の時でした。
母は年老い、涙ぐみながら、私達四人兄弟からのプレゼントを喜んでいました。
兄も姉も今は、あの母親の齢を超えているのです。
私は後3年であの頃、喜寿の祝いの母と同じ年齢になります。

どんどんと亡き父、兄の容姿に似てくる

私は毎朝、洗面所の三面鏡の前で体重計に乗り、歯磨きをし、正面の鏡に映る自分の姿を見ます。
毛髪はどんどんと後退し、目の下のくぼみは大きくなり、頬は垂れ下がり気味、口の廻りのシワが増えてきています。

でも、自分は童顔故に、74才という年齢よりは若く見えるはずと勝手に思っています。
TV画面に登場するシニア男性の年齢に敏感になり、いつも自分と較べてみています。
特に、地方・田舎で暮らす同じ年齢の人を見るたびに、74才・75才の団塊世代はもっと若々しい、あんな年寄ではないと思って見ています。

しかし、最近、自宅以外の鏡、ウィンドウに映る姿に愕然とします。

千円カット床屋の待合室から見る、鏡に映る自分ショッピングモールのウィンドウガラスに映る自分の姿や温泉の脱衣場に映る姿が、亡き父親、亡き兄にそっくりなのです。
特に横顔や立ち振舞がそっくり。

兄がなくなった前年、思い出造りの旅行として兄・姉四人で小学生の修学旅行の地、新潟をまわった時の温泉旅館の大浴場で、体力が衰えてきていた兄と一緒に入った時、兄はよろけて浴槽に転倒し、手と顔をつけました。
一緒に入っていた他の宿泊客の方が手をかして下さり、なんともなかったのですが、「お宅のおじいさん、大丈夫」と云ったのを鮮明に覚えています。
普段、子供ころから見慣れている顔・姿ですが、他人から見ると、2つ半年上の兄は「おじいさん」なのです。

今回の旅行あたりから、体力や自分の年齢を気にしだしている
今回、3日間新幹線に乗り、大阪難波の繁華街を自由に二人で歩き回り、パンダ特急に乗り白浜海岸線を路線バスで自由にあるき回り、自分が後期高齢者一歩手前の世間から見ると「立派なお年寄り」であることは全く意識せずに、昔、一日のスケジュールは昔に比べると、大幅に軽くするように組んでいます。
朝の早いのは、今までどおりですが、観光拠点の市内のホテルに出来るだけ早め、明るいうちに戻るようにこころがけています。
初日チェックインを早めに済ませ、一度お昼寝をしてから街にでかけました。
二日目も帰りは早めにし、感染症のことも心して、混んだ繁華街の食堂では食べす、デパ地下で地元で有名なお弁当にしてます。

帰りの新幹線は、敢えて「こだまの自由席」として、帰りの電車は、その日のスケジュール・疲れ・体調しだいで、自宅には18~19時台に戻るようにしています。
大昔、何も怖くなかった40~50台の頃
成田着のフライトは、総武・横須賀線最終電車22:10逗子行きに間に合うのが鉄則でした。
南米・ディープアジアから戻り、この最終逗子行に乗ると、その当時自宅最寄り駅東戸塚に24:16に付きます。
自宅は駅前ですから、その当時の重い・大きな2つのスーツケースをゴロゴロ転がして自宅に戻り、翌朝は5時台に起床し、何語もなかったように、出勤していました。
若かった・・・

自分の家の洗面所の三面鏡は、ライトが3つあります。

上・中・下、いつもは中だけつけて、洗面・歯磨き・ひげそりをしています。
じっと正面から自分の顔・姿を見つめると普段と変わりなく、実年齢よりは若い、頭髪はともかく、肌は年齢相当、決して「お年寄り」ではないと思えますが、上の灯り、下の灯りも点灯し、三面鏡の左右を開いて、改めて自分の横顔をみると、あの時の亡くなった兄の面影、亡くなった父よりも薄い頭髪が浮かび上がってきます。

子供も孫いない夫婦は、あまり自分の年齢を意識しないものです・・・
今日も横浜のデパートにいそいそと出かけていく、カミサンは71才、たしかにとても70代に見えぬ容姿、お出かけ姿です。
私とて、この日差しなかの外出は、ある程度のプランドTシャツ・ショートパンツにサンダルと、74才団塊世代の格好だけは、湘南のダンディーシニアなのでが確実に日本社会のなかでは、「お年寄りのご夫婦」であることは忘れていけないと、三面鏡に映る自分の姿を見て肝に命じています。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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