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2022年07月11日

久しぶりの開催、平塚七夕まつりを観に行く


三年ぶりに平塚名物の七夕まつりが開催される。
平塚の七夕祭りという毎年、雨というイメージが強いのですが、今年の関東首都圏は、観測史上もっとも早く梅雨があけ、7月8,9,10の3日間は真夏のような日差しでした。
?・・・七夕って、7月の7日じゃなかったけ?
三年ぶりの七夕祭りなのに、どうして7,8,9の金土日なの?

七夕とは
七夕まつりは、中国の牽牛織女の伝説に基づいて始まり、日本へは星まつりとして伝えられました。
はじめ宮廷貴族を中心とする都の生活のうちに受け継がれ、書道の上達や恋愛の成就を祈る風習となりました。
江戸幕府はこれを年中行事に取り上げ武家の風習となり、しだいに庶民へも普及するに至り、各地域によって特色のある七夕まつりとして今日に至りました。
そうですよね、私達が子供の頃は習字が上手になるように、そして短冊に願いを込めて書き、笹に吊り下げていたもの・・・


平塚の七夕に限らず、私が育った信州の県庁所在市のアーケード商店街も、東北三大祭りの一つとして取り上げられている「仙台の七夕まつり」もほぼ全て、戦後の商店街振興策として始められたものです。但し私の田舎でも、仙台でもそうですが、旧暦の行事で七夕まつりは8月の7,8,9でした。
私達が子供の頃は、まだ自分の家の前に笹をたてて、自作の短冊や飾りをつけしていたものですが、やがて、古来の家庭行事・風習か人集めの商業イベントの風潮が強くなってきており、もう小学校の授業でも七夕の為の習字の授業はやっていないのではないかと思われます。

なんで平塚なのか?

そもそも、平塚という土地・場所は・・湘南?関東首都圏?

関東にお住まいの方々は、おおよそ、平塚という地名と場所はわかると思いますが、地方、関西圏の方々は平塚って場所は性格には解らず、概念として"湘南"?とイメージしかないと思われます。
私は日本に帰国して、再就職し、住まいを横浜・東戸塚に移した時、勤務地は本社東京でしたが、頻繁に、「平塚」「小田原」「熱海」周辺の客先を担当させられました。
東京都内や、横浜・川崎・横須賀は横浜支社、神奈川県でも小田急・東急私鉄沿線の客先は、東京本社でカバーしていました。

本来、「平塚」「小田原」は横浜支社、「熱海」は静岡支社が担当のはずですが、この地域の物件でスーパーゼネコンや、大手メカコンが施工担当するような大型物件はほぼ、建築場所とは関係ない本社或いは支社で扱い、工事担当部署が決まっていきます。
しかし、全ての物件が超大型でもないのですが、時には、私達が携わるコンピュータービルシステムを組み入れたの中小の現場は存在するのて、営業と技術担当は誰かしらつかなくては成らず、自然な流れで、湘南・東海道沿線に住まう、工事も見積もりも出来る人間が対応することになります。

平塚は東海道首都圏ローカル線の最も西に位置する街・・・でした。

千葉・埼玉に住む人からみれば、東京から63.8km 所要時間1時間3分、1,170円と以外と遠いし、地方の人から見れば、とても毎日の通勤距離としては考えられない距離・場所なのですが、東京都内で仕事をする人間が、湘南、東海道沿線、横須賀線沿線に住まいを求めるとなると、平塚が最西端でした・・・(過去形)

平塚は辛うじて通勤圏、そして湘南なんです。
平塚の先、大磯・国府津、ましてや小田原に至っては、首都圏とは思われなく、完全に関東の田舎というイメージがありました。・・・(過去形)
しかし、今は違います、その理由は東海道線がこれまでの東京駅始発、終着ではなくなり、千葉・埼玉・栃木と直通で繋がり、品川を経由しないで渋谷・新宿・池袋・大宮へと繋がる湘南新宿ラインが出来たことにより、平塚は以前のような、ギリギリ首都圏の街から、湘南の平塚という都会的な街に変貌しつつある街なのです。

七夕祭りにくるのは20年ぶりでしょうか?

 

自宅最寄り駅大船から平塚へは4つ目、17.3km 所要時間16分、330円と近いです。
感染症パンデミックで今年は三年ぶりの開催のようです。
本来なら、カレンダーの巡りから云えば、7月7日を挟んだ3日間なのでしょうが、古来から日本の行事・風習は三年ぶりの市・商工会議所・町内会をあげてのお祭りなので無視して、人が集まりやすい金・土・日の3日間です。

駅ロータリーから一番近い一本目、紅谷パールロードと二本目のメイン、旧東海道商店街通りがメイン会場となっています。
駅に近い、一本目の通りは、主に協賛企業の出し物、飾り付けが多い、広告・宣伝型の飾り付けのものが並び、次の二本目には、大竹を交差させた、どちらかというと企業色が薄れた、本来の七夕祭りに近いものが展示されていますが、昔のような、各学校や職場による七夕飾りはもう見かけませんでした。
昔は、書かれていろいろな願いを見るのが楽しみだったのですが、年々薄れて、商店街の客寄せイベントになりつつつあります。

それでも、三年ぶりのイベント復活で賑わっています。

お天気の良い、一日目の午前中とあってか、地元テレビ局のクルーの姿が目に付きました。
次に多いのは、大きなカメラを抱えた、私と同世代と思われるシニア男性の姿です。

分かります、この感染症パンデミックのなか、なかなか自由に外出も出来す、お互いに趣味の世界で交流する場所である、地元の公民館やセンターで集会の制約がされ、行く場所(きょういく・きょうよう)の場所を求めていたのでしょうから。

子供たちとお年寄りの姿が目立ちます。

 

現在、私は認知症グループホームのサポートをしており、これらの介護施設で働く多くのスタッフのご苦労を間近で見て、最近になって認知症というもの本質が分かるようになってきました。
入居者各々は個室が与えられ、食事も介護もスタッフが担っていますが、同居家族の皆さんの負担は軽減できますが、認知症そのものの進行は、止められません。
人ひとりが、清潔な個室とは云え15平米の部屋で、一日誰とも会話もせず、歩かずに閉じこもっていれば、健康的な私達さえ、何らかしらのストレスを抱えるのは、目に見えています。
高齢者・お年寄り・認知症を持つ人に対しては、外部からの刺激が絶対に必要なのだと、施設長は云います。

ですから、私がサポートで入るグループホームでは出来るだけ、外に連れ出すことを心がけていますが、其のためにスタッフ人数が必要だったり、移動の為のマイクロバスが必要だったりするのです。
一ヶ月の基本入居費の安い所は要注意とかの施設長は云います。
この七夕祭りにも車いす高齢者を引率してきた、施設の女性スタッフを見かけしました。
一日中、明るい・清潔なだけの部屋で過ごすよりも、こうやって、街に出て、いろいろな音を聞き、目にして、風を感じることが一番の薬、長生きに繋がるのだろうと思われました。
保育園の子供たちを目にしたお年寄りの目にどう写っていたのでしょうか。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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