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2022年06月19日

話題の映画 司馬遼太郎原作 峠・最後のサムライを観に行く


映画、「峠」は各紙・メディアは大きく宣伝します。

司馬遼太郎の大ベストセラー「峠」が待望の映画化
動乱の幕末期に自ら正義を貫き、和平・独立に挑んだリーダーの物語
累計発行部数398万部の大ベストセラーとして今なお読み続けられている司馬遼太郎の名著「峠」
坂本龍馬と並び称されながらもあまり知られていない、越後藩の家老「河井継之助」の最後を描いた物語


・・・が6月17日に封切りとあって、初日に行きつけの二駅先の109シネマ湘南に行ってみてきました。
上映シアター7は座席170と、このシネコンでは中程度の広さ、観客は映画の内容から予想通り、私と同じ世代の男性が一番多く、あとは高齢者ご夫婦、普段時たま見かける、若い女性映画ファンは全くいませんでした。
客の入りは、多めに見積もって30%、平日の初日としてはこんなものでしょう。

司馬遼太郎の小説は現役の頃はそんなに読んでいませんでした。
時代劇とか、幕末のドロドロ政治の裏側的な話が好きでなく、もっぱら、同じ世代のバックパック旅行記、下川裕治とか沢木耕太郎を電車のなかで読んでいました。
やがて退職してから、時代、歴史物を読むようになり、長い旅に出る時はブックオフで司馬遼太郎を買い漁ってもってでるようになりました。
でも司馬遼太郎の幕末物はあまり読んでいません。何故か、ハッヒーエンドには程遠い、結末を知っているからかもしれません。
もっぱら戦国時代、成り上がっていく男の話を、他の登場人物と共に楽しんで呼んでいます。

司馬遼太郎の小説 おすすめネットランキングは

1, 燃えよ剣 新選組 土方歳三
2, 竜馬がゆく 坂本龍馬
3, 坂の上の雲 明治・日露戦争のお話
4, 国盗り物語り 美濃の国の戦国大名、斉藤道三
5, 新選組血風録 近藤勇・沖田総司・土方歳三ら
6, 花神 長州 大村益次郎
7, 最後の将軍 徳川慶喜
8, 梟の城 戦国時代の忍者のお話
9, 夏草の賦 四国統一物語 長宗我部元親
10, 街道をゆく : 三浦半島記 源頼朝
今回の「峠」は入っていません。

自治体、長岡市の観光CM
109シネマ湘南で本編が始まる前20分以上前から、次々に予告映画の宣伝があります。
しかし、今回の本編直前の広告はユニークと云うか、笑っちゃうというか、流石・・というか
新潟県・長岡市、自治体の観光宣伝映像でした。

長岡と云えば、この映画の主人口「河井継之助」よりも先に思い浮かぶものが2つあります。
太平洋戦争海軍の「山本五十六」の出生地です。

山本五十六は、明治17年に長岡藩士高野貞吉の家に生まれた。
その後旧長岡藩家老山本帯刀の家を継ぎ、阪之上小学校、旧制長岡中学を経て海軍兵学校、海軍大学校に進んだ。
昭和14年8月30日、海軍中将時代に海軍次官から連合艦隊司令長官に就任、15年11月に海軍大将に昇進した。
海軍次官当時、日・独・伊三国同盟に反対の立場をとり、最後まで太平洋戦争回避を主張した。
当時の日本国民の心の支えであり、海軍の象徴であった山本五十六は、まだ働き盛りの59歳という若さで、南太平洋の空にその生涯を終わった


もうひとつは長岡の花火です

日本有数の花火大会として、誰でも一度は見てみたいという花火大会なのですが、開催には悲しい歴史があるのです。

1945(昭和20)年7月20日、左近地内に1発の爆弾が投下されました。長岡に投下された初めての爆弾でした。
その12日後、空襲は、8月2日の午前0時10分まで続きました。1時間40分に及ぶ空襲で、市街地の8割が焼け野原となり、1,488人の尊い生命が失われました。
925トンものE46集束焼夷弾等が投下され、163,000発余りの焼夷爆弾や子弾が豪雨のように降りそそぎ、長岡を焼き払ったのです。
当時の市域で、焼夷弾の落ちなかった町内はないといってよいほどすさまじい空襲でした。
なぜ県下で長岡だけが空襲されたのか
県下二番目の大都市には幾つかの軍事工場があったからといわれてますが、県下で一番大きい都市「新潟」は米軍が原子爆弾の投下予定地として京都・広島・新潟・小倉・長崎の5都市を選んでいたため、新潟市への焼夷弾攻撃は行われなかった。と云われています。



そして今回の主人公、幕末、長岡藩家老「河井継之助」です。
この映画のオープニングは、下記年表のなか、慶応3年 徳川慶喜の二条城の大政奉還から始まります。

文政10年(1827年)1月1日 継之助、長岡城下に生まれる
嘉永 5年(1852年)秋 江戸に遊学。佐久間象山に学ぶ 翌年、浦賀に黒船来航
安政 6年(1859年)継之助、再び江戸、備中松山、長崎へ遊学 山田方谷らの教えを請う
安政 7年(1860年)3月3日 桜田門外の変。尊王攘夷の気運が高まる
慶応 元年(1865年)継之助、郡奉行に就任。藩政改革に着手
慶応 2年(1866年)1月21日 坂本龍馬の仲介により、薩長同盟締結
慶応 3年(1867年)10月14日 徳川慶喜、大政奉還を上奏
12月9日 王政復古の大号令
慶応4年 (1868年) 1月3日 鳥羽・伏見の戦い 近代武装の西軍を前に東軍は大敗
長岡藩、ガトリング砲など近代兵器を備えていく
4月11日 江戸城無血開城。慶喜は水戸藩にて謹慎
5月2日 継之助と西軍の談判が決裂 のちに 、北越戦争開戦
7月25日 継之助負傷
8月16日 継之助、敗走途中の会津塩沢で没。享年42

映画の前半は、長岡藩の中立を目指す河井継之助と、武士として矜持、生き様についての展開
映画の後半は、薩長西軍と、長岡藩士の戦いの映像になります。


新潟、当時越後の幕藩大名は

村上藩  堀10万石、
新発田藩 溝口6万石
高田藩  松平25.9万石
長岡藩  牧野7.4万石 越後では小さい規模の藩体制です。
近隣には
石川県 加賀藩 前田120万石
福井県 福井藩 松平32万石 などの大藩やら、先進的知識を求めて、学者「佐久間象山」を生んだ 長野県 松代藩 真田13万石があります。
長岡藩はさして目立つ存在ではなかったのです。
司馬遼太郎が小説で書き下ろすまで、私も、幕末の混乱期のなかで、微かに「戊辰戦争」「河井継之助」の記憶がある程度でした。

この映画のなかで、初めて知ったことがありました。
大政奉還の後の、天皇を祭り上げて政権を樹立した「薩長連合」は鳥羽伏見の戦いの後、各藩に官軍への参加、3万両に及軍資金を命じました。
譜代の大名家、越後長岡牧野7.4万石は、この要求に応じなかったのに、譜代筆頭の老中を輩出する彦根・井伊家30万石は、藩論を覆してその後、会津攻めの先鋒として働いているのです。
えーそうなんだ。
あの時代、もう徳川宗家への忠誠とか、恩とか、武士の意地よりも先に、近代兵力を備えた西日本の雄藩の大武力に前には屈するしかなかったようです。

この映画のメディアの論調は

新聞紙上の論調・評判としては、現在のウクライナの情勢を引き合いにだす論調が目立ちます。
藩を守る姿に、セレンスキー大統領や、ウクライナの人々が重なる・・・
とりわけ、戦争を避けるために、西軍(官軍)と何度も交渉する姿が描かれます。
多くの武士が損得にとらわれ、今日は薩長、明日は佐幕という動乱のなか、主人口「河合継之助」は和平独立という己れの信念を貫き、最後まで武士として生き抜く姿が「最後のサムライ」といわれる所以でしょう。
「燃えよ剣」の土方のような、壮絶な人生でもなく、「竜馬がゆく」の坂本龍馬のように、世界を変えようと動いた人物に比べ、日本の維新史には埋もれがちの人物ですが時代は変わっても人間本来の生き方ではないかと感じます。

その後の戊辰戦争の推移は
7月中旬 新発田藩 溝口6万石が、西軍に合流
8月中旬 越後全域が西軍の支配下となる
8月23日 西軍が会津若松城下に突入
明治元年(1868年)9月22日 会津藩降伏。翌23日、長岡藩降伏
     10月21日 榎本武揚率いる東軍の軍艦が 蝦夷地に上陸(箱館戦争)
     会津藩は下北半島転封斗南(現在のむつ市周辺)となる。すなわち旧南部藩から切り取った土地に移した。
明治2年(1869年)5月18日 五稜郭開城。東軍が投降し、箱館戦争及び戊辰戦争が終結
     燃えよ剣の主人公、土方歳三の最後の戦いでした。

映画総評・・・
司馬遼太郎の小説の世界観を知っている、60代後半から私達後期高齢者一歩手前の歴史小説になんら抵抗がなく、司馬遼太郎原作の映画作品、燃えよ剣・竜馬がゆく・坂の上の雲・最後の将軍を見ている身からすると、役所広司の「河井継之助」は出来すぎ、彼は当時、40歳になったばかりてす。
佐久間象山に師範し、長崎留学をして坂本龍馬や、長州の若者とすれ違っていたはず、越後の小藩の家老職の家に生まれさえしなかつたら、きっと新政府のなかで頭角を表していったでしょう。
司馬遼太郎は、あの時代にリーダーとして生きざるを得ないをあえて「最後のさむらい」・「時代の峠」と表したのでしょう。

次に観たい・予定している映画は
・Plan75        倍賞千恵子 75歳から自らの生死を選択できる制度
・ベイビー・ブローカー  是枝裕和監督とソン・ホンガ。カンヌ、アカデミーコンビの話題作
・東京五輪SIDE:B    東京五輪SIDE:Bはイベントを作り上げた人たちの視点からの作品
  
三週連続で見に行かなくては。
まだ、梅雨空が続き、本格的に旅にでれない。
暇人、団塊オジサンとしては安い・楽しい・娯楽・格好の暇つぶしです。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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