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2025年10月05日

棚野の千両祭

かおだしたとき:2025年10月5日(日)10時30分〜13時00分
かおだしたさき:諏訪神社(美山町鶴ヶ岡)

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諏訪神社(美山町鶴ヶ岡)の大祭「棚野の千両祭」に、家族4人でかおだししてきました。15年に一度とされている大祭ですが、新型コロナ流行による中止もあって、20ぶりの開催でした。久しぶり開催の大祭見たさに、(雨の中でしたが、)鶴ヶ岡の人口約600人を超える人が詰めかけました。駐車場には府外ナンバーの車もたくさんありました。

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途中から雨がどしゃぶり。たくさんの見物客や立てられた傘で遮られ、なかなかちゃんと観ることができませんでした。そもそも奉納芸ですから「神様が観られるついでに参拝者も観る」というものだと思いますが、それでもせっかく来たので、子ども達を交代で抱っこしながら観させていただきました。小学1年生の娘は獅子が刀をくわえたり急に振り向いて武士に襲いかかったりする度に驚きの声を上げていました。獅子に頭を噛んでもらえたのも喜んでいました。2歳年上のお兄ちゃんは芸能鑑賞そこそこに、当て物の屋台や境内の溝っこにいるドジョウ探しを楽しんでいました。

前回開催から人口が300人近く減っている鶴ヶ岡地域ですが、そんなことは感じさせない、前評判通りの絢爛豪華な奉納芸の数々でした。この祭りは、15年経っても地域が元気である象徴でもあると思いました。
千両祭の奉納芸は口伝が基本だということです。「若者たちが毎夜、年上の指導者からどやされながら練習に励んでいるのだろう」という勝手な妄想をしていました。祭りを一緒に作り上げ、そのなかで培われた人間関係がコミュニティ力となり、今のようにパワフルな鶴ヶ岡が保たれているだろうかと、これまた勝手な想像をしているところです。
(記事:田畑昇悟)

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【諏訪神社】
美山町鶴ヶ岡地域にある諏訪神社は旧郷社、地域住民にとっての氏神である。狼を神使とし、猪鹿退治の守護神として崇敬されている。

<由緒>
神社所蔵の縁起によると、建立当初は大森大明神と号し、713年(和銅6年)に長井山に建立、創建年次の詳細は分からない。大和よりこの地に来た大長大師円勝坊が獣害を除いて土民を安堵させようと、1369年(応安2年)に信州諏訪神社を勧請し、現在の地域に社殿を創立して建御名方命を祀ったといわれている。1378年(永和4年)に当地に建てられた時には今の社域の下段にあったが、正徳二年(1712)に神殿を改築して現在の位置に移った。

<御狩の日>
諏訪神社の法師は神官を兼ねて、棚・砂木の二村を祈祷布施所とし砂木に狩蔵を作って当社の狩所とした。そして、円勝法師の創始した由緒により、毎年1月5日を「御狩の日」と定め、神官は草鞋脚絆の扮装で腰に短刀を帯びて、神幣を捧げ持って先頭に立ち、 供奉の村民は弓・槍・銃を持ってその後に従って疾走し、猪・鹿を獲って神前に供える例であった。この様式にも変遷はあったが、1945年(昭和20年)まで続けられていた。このため、大晦日から正月5日まで、南は川合・相白の境である烏帽子岩に、東は田土、西は松尾の境に忌縄を張って通行を禁じ、住民はこれを犯さなかった。しかし、これは明治維新のとき廃止になった。

<棚野の千両祭>
諏訪神社で通常行われるのは、例祭のみの祭りだが、15年に一度の中祭と、30年に一度の大祭は「棚野の千両祭」と呼ばれ、華やかな芸能が奉納される。いつごろ始まったかははっきりしていないが、明治時代は50年に1度行われる大きな祭りだったという。
5つの大字ごとに異なる民俗芸能が奉納され、多額の費用をかけた華麗・豪華な様から「千両祭」と呼ばれている。下流から順に、高野は神楽、鶴ヶ岡は神楽と俵振り、豊郷は獅子舞と姫振り踊り、盛郷と福居は棒振り太刀・長刀振りを献進し、豊作、勇武などの縁起を祝う。全ての奉納芸の伝承は口伝が原則とされている。
京都府登録無形民俗文化財に指定されている。
posted by テダス at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) |   美山町
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