「怨念」のエネルギー [2011年12月01日(Thu)]
人は誰かに対して、 「怨念」を持っているし、ある時期には怨念の塊になることもある。私などは政治活動を若いころに、中年になってからは市民運動・社会運動の真ん中にいるから、この「怨念」に遭遇する機会が多い。
そもそも「怨念」は、どこから来るのだろう。私自身の場合で言えば、若いころに失恋して去った彼女の先にいた男性や政治・社会活動をしていて、間違っているはずの政党や派閥が支持を広げたり、私のグループを大きくするための活動を妨害されたりすると、その対象に対して怨念を持つ。 ところが、私も目立ちやすさと自然人間のところがあるので隙がたくさんあるのだろう。他者からの「怨念」をぶつけられることがある。 この場合にやっかいなのは、怨念をぶつけてきている他者の心理がわからないことが多いのだ。何で「難癖」をつけられたり、「ありもしないことを吹聴」されるのか、さっぱりわからないのだ。 だが、最近は謎が解けつつある。 その理由は、どうも「ライバル心」ではないか、もう少し違う角度でいえば「嫉妬」ではないのだろうか、というように思えてきた。嫉妬は女偏で女性の特徴のようにされる場合があるが、男の嫉妬も酷いのだ。 つまり、私を「憎い」「目立つのが許せない」「自分の勢力だと思っている者が、田中を支持するが許せない」というような要素があるようだ。 こればかりは、私の側からは対処の方法がない。じっとしていて風が飛んでしまうのを待つ以外にない。これに何らかの形で反論すると尚更「ライバル心」と「嫉妬」を掻き立てるだけになってしまうからだ。 だが、嫉妬のエネルギーは巨大なのだが、その特徴として縮小再生産するものなのだ。 「創造的」「挑戦的」エネルギーは、これに対して拡大再生産をする。 ライバル心や嫉妬心で負のエネルギーを使いたい人には、そのようにさせておけばよい。人生の時間を無駄に使い、自らを辱めているだけなのだ。 |
Posted by
田中尚輝
at 18:52