最近の田村太郎 [2015年09月24日(Thu)]
ここ数年はブログは放置してしまってますが、検索ではやはりブログが上位に表示されますので、最近の私の様子をまとめて書いておこうと思います。 またしばらくブログは更新しないと思いますので、日々の様子は各団体のウエブサイトや、私のFacebookページでご覧頂ければうれしいです。 https://www.facebook.com/tamurataro 1.阪神・淡路大震災から災害対応・復興支援へ 今年は阪神・淡路大震災から20年ということで、いつもより取材を受けることが多い一年でした。(まだ3ヶ月残ってますが。。。)阪神・淡路大震災からこれまでの軌跡について、神戸市のウエブサイトで取材していただいた記事が下記に出てますので、よろしければご笑覧ください。 http://1995kobe20th.jp/2014/11/966/ 東日本大震災については、民間の活動としては「つなプロ」を軸に、また発災直後に内閣官房「震災ボランティア連携室」の企画官になった延長戦で復興庁にも籍を置きながら、今も東北復興に関わってます。 「つなプロ」は避難生活での被害の拡大を防ぐことを目的に、東日本大震災直後に立ち上げたプロジェクトです。「つないで支えるプロジェクト」で「つなプロ」です。詳しくは下記をご覧ください。 https://blog.canpan.info/tsunapro/category_1/1 この経験を元に、日本財団さんの事業として、次の災害に備えるための人材育成事業にも取り組んでいます。昨年の広島水害や今回の茨城・常総市の水害でも避難所を巡回し、後回しにされがちなニーズへの対応に臨んでいます。 https://www.facebook.com/tugipro 2.多文化共生 阪神・淡路大震災での外国人被災者支援が私の原点。震災直後に「外国人地震情報センター」を設立し、同年10月に「多文化共生センター」へと発展しました。多文化共生センターは2006年に東京・きょうと・大阪・ひょうご・ひろしまの5つの地域団体に独立し、私は現在は大阪の代表理事を務めています。 http://www.tabunka.jp 市民団体が使ってきた「多文化共生」という言葉ですが、2006年に総務省が「多文化共生推進プラン」を策定したのを機に、自治体施策の用語として定着していきました。総務省の調べでは、2015年3月現在、641の自治体が多文化共生推進プランないしはそれに準じるものを策定済みと回答しています。「多文化共生推進プラン」は総務省のウエブサイトで全文を読むことができます。 http://www.soumu.go.jp/kokusai/ プランを策定したり、地域で実行に移すための人材育成も必要ということで、2006年度から自治体国際化協会と全国市町村国際文化研修所で「多文化共生マネージャー」を育成しています。10年間、研修の統括を担当させて頂きました。現在、380名のマネージャーが全国で活躍しています。 2009年にはマネージャーが活躍する器としてNPO法人も設立(多文化共生マネージャー全国協議会)。災害時の多言語支援や地域での人材育成に取り組んでいます。 http://tabumane.jimdo.com 最近は訪日外国人の増加も話題になっています。多文化共生の取り組みは、インバウンドの推進にも役立ちます。全国市町村国際文化研修所のメールマガジンに、短文ですが記事を書きました。11月には大阪で、インバウンドと多文化共生をクロスさせたイベントを実施予定です。 https://www.jiam.jp/melmaga/kyosei_newera/newcontents2.html http://www.osaka-short-trips.com 3.ダイバーシティ 多文化共生の活動を展開しながら、多様性を受け入れる社会の必要性を痛感し、2007年に「ダイバーシティ研究所」を設立しました。企業や自治体の行動変容を促すことで、ちがいを力に変えていく社会の実現をめざしています。 http://www.diversityjapan.jp ダイバーシティ研究所での仕事は、企業からのCSRや人権研修での講師派遣が中心ですが、最近は地域活性化や男女協働参画に関連した講演や研修の依頼も増えています。昨年10月から、自治体向けの定期購読紙「日経グローカル」でNPOと自治体との連携をテーマにした連載も担当しています。 http://www.nikkei.co.jp/rim/glweb/old_contents/jichitai_npo_renkei.html 十三の事務所は「ダイバーシティラボ・大阪」として、複数の団体のシェアオフィスとなっています。多文化共生やLGBTをテーマに活動する団体が入居しています。 http://d-labo-osaka.com/about/ http://webronza.asahi.com/business/articles/2014121600002.html 3.社会起業家支援 地域での担い手育成にも力を注いできました。「社会事業家100人インタビュー」の第1回目でゲストとして呼んで頂いた際に、これまでに私が関わってきた事業を図解してもらってます。 http://socialbusiness-net.com/contents/news841 2004年に「社会起業家をめざす若者のためのビジネスプランコンペ edge」を企画し、以後10年間主催してきました。10年の節目に代表理事を次の世代にバトンタッチし、現在は「最高顧問」として草葉の陰から応援しています。 http://www.edgeweb.jp 非常勤講師としていくつかの大学で教えてきました。多文化共生やボランティア論も担当しましたが、メインは社会起業論です。現在は、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科と明治大学大学院国際日本学研究科で教えています。 4.小児医療へのチャレンジ 2003年に長男ががんと診断され、2009年に亡くなるまで、闘病生活をともにしました。そこで出会った人たちとともに、がんの子どもと家族のための施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を設立し、運営しています。 http://www.kemohouse.jp 実際に運営してみると、病気と向き合う子どもとその家族を取り巻く環境が想像以上に脆弱であることがわかってきました。医療ケアが必要な子どもたちの地域での生活をどう支えるのか。これからは、小児がん以外の疾患についてもカバーできる「社会資源の創出」に挑戦していこうと思っています。 * すっかり長文になってしまいました。まだ書ききれていないこともあるのですが、ひとまず個々までといたします。最後までお読み頂き、ありがとうございました! 田村太郎 |