• もっと見る

« 2013年09月 | Main | 2013年11月»
<< 2013年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新の記事
月別の記事一覧
日別の記事一覧
話題の分類
【連載】ふるさと偉人伝「近藤篤三郎」 [2013年10月26日(Sat)]

 izinden _02.JPG


 「長谷川泰ものがたり」の作者による連載。エッセイ風の偉人マンガ『ふるさと偉人伝』
 第15回は「火焔土器」の第一発見者「近藤篤三郎」です。
 祖父の代から三代に渡り、現在の関原地区、西山の丘陵地帯にある「馬高遺跡」を発掘調査。考古学を揺るがす発見であった「火焔土器」を掘り当てますが、それが評価されるのは篤三郎が亡くなった後でした。
 現在では長岡市のシンボルとして、いたるところに火焔土器のモニュメントが置かれており、その壮大なメッセージは新潟県立長岡向陵高等学校の校歌にも歌われています。
 〜西山の陵に向かえば蘇る古代の想い、縄文の焔は今も命から命へ燃える〜(谷川俊太郎作詞)

 偉人たちの功績をちょっぴりコミカルに紹介することで、郷土史の盛り上がりの一助となることを目指した「ふるさと偉人伝」は『まるごと生活情報』で連載中です。

 「まるごと生活情報」WEBサイト
 ↑PDF版のダウンロードもできます。
「八丁沖ウォーク」記念てぬぐいイラスト [2013年10月25日(Fri)]

 お問い合わせがありましたので、2013年の「八丁沖ウォーク」参加者限定で配付された記念手ぬぐいのイラストを紹介します。
 ただし、ここで紹介しましたのは細部の異なる別案のものです。

 com _03.JPG

<クリックで拡大されます>


 ガトリング砲は長岡市河井継之助記念館に展示のコルト社製。長岡郷土史の公式の見解による型です。
 銃士の持つ銃は、長岡軍採用のスナイドル銃ではなくエンフィールド2バンドという型を元にしています。これは、実用された同型の銃が八丁沖古戦場の新組地区から見つかり、北越戊辰戦争伝承館に展示されていることからです。(絵が小さいので細部は再現されず、すみません!)
 河井継之助と長岡銃士は、藩兵の証「五間梯子」の腕章を付けています。これは「昇って行く」という縁起の良い図柄です。
 河井継之助の家紋はもちろん、足元は遊学先の長崎で仕入れたブーツを履いている設定です。

 このように、可愛らしくディフォルメされたイラストの中にも、地元ならではのこだわりが反映されている、決して他には無い限定記念品なのでした!

※当ブログ関連記事
「第三回八丁沖ウォーク」
北越戊辰戦争伝承館 [2013年10月22日(Tue)]

 北越戊辰戦争を農民たちの目線から伝える「北越戊辰戦争伝承館」です。
 全国の戊辰戦争でも最大級の激戦が行われた古戦場に建てられ、2回展望テラスからは長岡城奪還戦で有名な「八丁沖」を見渡すことができます。
 ※地元新組地区では「八丁潟」と伝わっています。

shingumi01.JPG


 是非とも「河井継之助記念館」と併せてご覧頂きたいと思います。
 武士の戊辰戦争と、民衆の戊辰戦争を並べて観ることで、より広く深い歴史を知ることができると思われます。

 また、周辺にも「長谷川泰翁像」「長谷川泰生家跡」をはじめ、たくさんの史跡があります。
 郷土史散策にもお越しください。
新組地区ウォークマップ(長岡市健康課)


会館時間/10時〜16時【入館無料】
休館/月・金曜日(祝日の際は翌日休館)
<冬期休館/12月〜3月>

所在地/長岡市大黒町39番地2
電 話/0258-21-2688 または長岡市科学博物館0258-32-0546

当ブログ関連記事
【長谷川泰翁像】
【長谷川泰翁像】 [2013年10月20日(Sun)]

katarukai01a.JPG


 大正5年、文明開化を医療から支えた長谷川泰の遺徳を顕す銅像が、東京湯島天神の境内に建立されました。
 しかし太平洋戦争に際して、その像は無念にも銃弾へと姿を変えました〜

 〜新組地区に平成24年4月18日に除幕された「長谷川泰翁像」は、湯島の銅像を生誕の地に再建する趣旨であり。更には、同郷の彫刻家による現代なりの解釈が加えられています。

katarukai02a.JPG


 「形」とは、言葉とはまた別に、先人の実在を強く現すものです。
 かつて、戦争に供出される形で多くの偉人たちの姿が失われましたが、その中で長谷川泰先生の像がここに再建されたことに、深い感動を覚えます。
第三回【八丁沖ウォーク】 [2013年10月12日(Sat)]

 秋の恒例行事、八丁沖ウォークが今年も行われました!
 八丁沖を見渡す北越戦争伝承館から、富島の八丁沖古戦場パークまで、実際の長岡城奪還ルートに近い道を歩くのです。
 今年も長岡銃士の登場で、元気に「勝どき」上げて出陣!

shingumi02a.JPG


 ・・・ところが、エイエイオーのかけ声の直後から生憎の大雨が。
 ウォークは中止。長岡隊の苦労を想うと申し訳ないのですが八丁沖をバスで渡り、近隣の史跡を巡るツアーに切り替わりました。
 中止は残念ですがしかし、新組地区には戊辰戦争の史跡が多くいのです。まずは北越戦争伝承館を館長の安藤一彌さんのガイドで見学しました。
 さらに、戊辰戦史の研究者である稲川明雄先生と星貴さんの二方のガイド付きで、かなりのお得なツアーになりました。

 特に、長岡藩士「渋木成三郎」の墓は重要です。
 北越戦争で一度落ちた長岡城下に潜伏、敵軍の油断を見て取ると河井継之助に報告。
 それが戊辰戦史に名高い「長岡城奪還戦」を実現させたのでした。
 たいそうな優男で、女装をして忍の様に任務を行ったこともあったそうです。
 〜しかし、河井継之助と同じく再落城の際に負傷。会津へ向かう途中、百束村(新組地区)宝珠院で力尽きると、モルヒネを飲み自決しました。

shingumi02b.JPG


 新組地区コミュニティセンターに戻り、稲川明雄先生(長岡市河井継之助記念館館長)のミニ講演が行われました。
 この地域の戦いがいかに激しく、そして新政府軍を苦しめたか。
 戦争に破れはしたが、長岡城奪還の成功がいかに長岡藩士にプライドを残し、明治の復興を精神的に支えたかなど、大変に濃密なお話でした。
 今はのどかな農村部となったこの古戦場は、戊辰戦史の中で全国的な価値があるそうです。

shingumi02c.JPG


 八丁沖ウォークでは参加記念品があります。
 左肩に付けて、長岡藩兵になりきって歩く「五間梯子」の腕章と、今年は特別にてぬぐいも。

shingumi02e.JPG


 てぬぐいには、ガトリング砲と河井継之助、長岡銃士のイラストが印刷されています!
 この日限り、超限定の記念品です!
 <イラストは、御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の作者>

shingumi02d.JPG


 ゆかりの集落で採れた農作物のお土産品も並びました〜
 ・長岡城奪還戦本陣として同盟軍要人が控えた「清水家」その四ツ屋町の朝採り野菜
 ・八丁沖で地元新組小学校の児童と育てた、低農薬はざかけ米
 どちらも売れきれの大好評でした!

 来年は晴れを願い。是非八丁沖を渡りたいと思います!
【連載】ふるさとむかしむかし「堀口大学」 [2013年10月09日(Wed)]

『ふるさとむかしむかし』
 第10回は、堀口大學(ほりぐちだいがく)です。
 祖父は戊辰戦争で亡くなった長岡藩士。父が大学在学時の子で、東京帝大の前に住んでいたのに由来する命名だそうですね。
 詩人であり、フランス文学者で「ルパン」の翻訳も多く残しています。
 大林宣彦監督の映画「この空の花」の中では、“君は原子炉に太陽を飼いならした〜”という一節が印象的な平和を願う詩「新春 人間に」が読まれました。
 
tosho_03.JPG


 掲載誌は、「としょかんくん」136号(2013年あき号)長岡市立中央図書館発行の児童向け季刊情報誌です。
 市内の図書館や公共施設で配布されています。
会津白虎隊「飯沼貞吉」 [2013年10月08日(Tue)]

 大河ドラマ「八重の桜」はご覧になられているでしょうか。
 長岡藩目線としても、前半〜戊辰戦争まで、会津の苦悩はとても他人事では観られない気持ちでした。

 さて、会津戦争のクライマックスとして決まって描かれる「白虎隊」。
 飯盛山での少年兵の自刃には、戦争の愚かしさを苦く突きつけられます。
 その白虎隊の中で、唯一生き残った「飯沼貞吉」という人物が居ます。
 彼を治療し、蘇生したのは長岡の軍医であるとご本人が語っていますが、その名前は残念ながら忘れてしまわれたそうです。
 
 河井継之助と共に八十里を越え会津に向かった長岡の軍医の記録には、阿部宗達(長谷川宗済の師)と吉見雲台の名が明確に挙っており、特に吉見雲台はオランダ人医師ポンペに習い外科を習得していたそうです。飯沼貞吉を治療した医師とは、この人が有力でしょうか。

 さて、ブログ管理人がこの話題に興味を持ったのは、「飯沼貞吉を助けたのは長谷川泰先生かもしれない」と会津の方から聴いたことからです。
 確かに、長谷川泰は当時国内一の外科技術を教えたとされる佐倉順天堂で、跡継ぎの候補にまで挙った人です。松本良順には軍陣医術(戦地での外科手術)を学んでもいます。
 しかし残念ながら、戊辰戦争中の長谷川泰(当事、泰一郎)の行動は、当ブログでも何度か記事にしたように、奇妙なほどに記録にありません。「長谷川泰ものがたり」では、親友外山脩造(寅太)と河井継之助を看取ったというように描かせていただきましたが、八十里を越えたかどうかすら、定かではないのです。

 〜これからも興味をもっておきたいと想います。
米百俵まつり2013 [2013年10月06日(Sun)]

 越後長岡の三大まつり『米百俵まつり』が開催されました!
 長岡の重厚な歴史絵巻と、その到達店にある『米百俵の精神』を、時代行列に表現して語り継ぐ大イベントです。

 毎年10月の第1土曜日に開催され、翌日曜日には河井継之助の法要が行われています。
 (河井継之助の命日は旧暦8月16日、新暦で1868年10月1日とされます。)

 nagaoka01b.jpg

三根山藩から贈られた百俵の米の場面


 中世から、長岡城下の興り、そして戊辰戦争へ。
 戊辰戦争で長岡は焼かれますが、長岡の大参事(当時の地方官職)小林虎三郎は、何事にも挫けない長岡伝統の『常在戦場の精神』をもとに、人を育てて新時代を築けと『米百俵の精神』を説きました。

 nagaoka01a.jpg

山県狂介の指揮する新政府軍の砲火に破れる長岡軍


 その先見と不屈の精神は、河井継之助、小林虎三郎の盟友である三島億二郎をはじめとした明治時代の長岡人に受け継がます。
 長岡は、官民が一体となった教育と町の復興とともに。驚くほど多くの偉人を世に生み出しました。
 地元有志の皆さんの扮装で、その先人たちの紹介も行われます。

 nagaoka01e.jpg

山本五十六や井上円了の姿も


 そして、2012年より偉人たちの列に加わったのが、「長谷川泰」です。
 同時に、同い年の盟友「外山脩造」も加わりました。
 二人は武士ではなく民衆の出身であり、河井継之助に倣い、民の力からも出来る世の中作りを行った『米百俵の精神』の体現者といえます。

 nagaoka01d.jpg

長谷川泰役は、「長谷川泰を語る会」小林立憲氏


 壮大でワクワクする、しかもふるさとの誇りを学べる『米百俵まつり』
 来年も是非お越し下さい!

 nagaoka01c.jpg

維新の志士たちも!長岡脱藩浪士「白峰駿馬」、坂本龍馬、勝海舟


※当ブログ関連記事
「米百俵まつり」
「米百俵まつり2012」
Google

Web全体
このブログの中
http://www.pecope.com

ジオターゲティング